111
今、私の目の前には茫然と声を失っている両親がいる。
すぐに正気に戻ったのは、父であった。だが、いつものような冷静な視線ではなく、瞳が揺れ動いているところから、父の動揺が見て取れる。
「驚いたな……。ミリシエ領から娘が帰ってきて、久しぶりの家族団欒と思っていたら……まさか、そのような報告をされるとは」
「あの、申し訳……」
「いや、ラシェルが謝ることはない。そうではないんだよ。まさか、精霊王……しかも闇の精霊王が存在し、娘が加護をいただけるなどと考えたことがなかったからな。想定外のことに驚いてしまった」
父は私に優しい眼差しを向けると、自分を落ち着かせるかのように目の前のカップを手に取り、一口紅茶を飲んで深く息を吐いた。
「ラシェル、魔力が戻って本当に良かったわね」
「お母様、ありがとうございます。心配ばかりかけて申し訳ありません」
「いいのよ。あなたが元気でいれば、母はそれだけで幸せなのですから」
私の向かいのソファーに並んで座る両親は、私が報告した内容……つまりは、精霊王の加護を受けたという事実に初めは絶句していたが、徐々に理解が追いついてきたのか、顔の強張りが解けてきた。
何よりも、2人は私が昨日の夜遅くにミリシエ家から帰宅するのをずっと待っていたらしく、馬車から降りると玄関先で両親が並んで立っていたことには驚いた。
だが、それも前回私が意識を失った状態で帰ってきたことも両親を心配させた原因ではあるのだろう。
「問題は、陛下が今回の件を耳に入れてどうするか、だな」
父の言葉に、一瞬緩んだ空気がまたピリっとする。
――そう、陛下のことがある。
陛下の顔を思い浮かべると、あの冷たい視線を思い出し、ブルっと寒気を感じる。
「陛下のことだから、自分の治世に光と闇それぞれの精霊王からの加護を受けし聖女が誕生したことを、ここぞとばかりに利用するだろうな」
「あなた、そんな……ラシェルは陛下から王太子殿下との婚約を解消するように言われたのですよ。それが……ラシェルを利用などと」
「あぁ、お前が言いたいことは分かる。だが、陛下はそういう方だ」
今回のことはそう遠くない未来に陛下の耳に入るだろう。もちろん、黙っておくわけにはいかないことも父も分かっているだろう。その上で、私のことを心配してくれている。
父は深く溜め息を吐くと、私へと気遣うような視線を向けた。
「ラシェルが精霊王の加護を受けたことを知るのは、殿下とフリオン子爵、そして私たち。今のところそれだけだね?」
「はい。殿下からもこの件は慎重に動かなければいけないから、お父様とお母様だけに報告を、と言われております」
「そうか。……殿下は本当にお前のことを第一に考えてくれているのだな」
「えぇ」
「安心したよ」
父の言葉には、殿下に対する信頼を感じる。陛下から婚約を解消するように言われた時から、父の陛下に対する評価はかなり低下していることがわかるからこそ、父が殿下のことをよく思ってくれていることに、内心ほっとしてしまう。
私の心配そうな視線に父は気がついたのか、私に対し穏やかな微笑みを向けた。
「今からの時代は、そんな殿下のような王が求められるのかもしれないな」
父はもう一度、紅茶を飲むと大きな窓から外へと視線を移しながら、ポツリと呟く。
「どういうことでしょうか」
「殿下はあの陛下の血を継いでいるだけあって、カリスマ性と行動力がある。だが、陛下と違いまだ若いからこそ、柔軟さがある」
「年齢が関係するのですか?」
陛下と殿下が似ているところがあることは私も同感だ。どちらも、人の目を引く圧倒的な王としての存在感があり、佇まいだけでざわめきを一瞬で黙らせることができそうな雰囲気を持つ。
だが、殿下を深く知る中で徐々に陛下と殿下が似ているとは思えなくなった。きっと、あの殿下の陽だまりのような温かい視線と陛下の氷のような視線、それに周囲に纏う空気が全く異なることを知ったからかもしれない。
それにしても、年齢……か。私は18歳の時から3年前に戻ったとはいえ、若いからどうだという考え方はいまいちピンとこない。
私が納得しかねる表情をしていたからか、父は「まだラシェルには分からないよ」と目で笑われてしまった。
「私もそうだが、君たちと違ってこの年になると徐々に変わることが難しくなるのだよ。もちろん、大人であっても自分を顧みて変わることができる人や変わらなければいけない人もいるだろう。
だが、私にもラシェルのように若い時代があって、沢山の出会いや別れの中で今の自分がいる。それを否定することは、自分の人生を否定することになりかねないからね」
つまりは父の年齢ぐらいになると、様々な壁を乗り越えて失敗を繰り返し、色んな経験をしてきたことで己を築き上げた、ということなのだろう。
私はまだ親元にいて、守られてきたが、今後家を出ることで自分の力で何とかしなければいけないことが増えるだろう。その時に、失敗も沢山するだろうし、手を貸してくれる人やどうしても合わない人と関わらなくてはいけないこともあるだろう。
だが、そんな経験が自分を作り上げていく、ということなのかもしれない。
「だからこそ、自分はこれで良かったと納得するための後付けをして、安心したいのかもしれないね。……もちろん、お母様と結婚してラシェルが生まれて、良い人生を送ることができていると感じているからこそ、そう感じるのかもしれないが」
「お父様……」
「最近の殿下は、仮面の中に隠した刺々しさが随分薄まったように見える。他者からの意見を聞き、その中で最善を導いていくことに優れているようだな」
父には、殿下がそう見えているのか……。
そう思っていると、母が父を諫めるように「まぁ!」と口を開く。
「王族に対してそのような……不敬ではありません?」
「臣下といえども、領民を守る一主だからね。仕える相手が正しいかどうか判断することもあるさ」
確かに、父には父の責任がある。守るべき人たちを自分の手で守るためには、様々なところに注意を払う必要があるのだろう。
「それにラシェルは殿下の妃になるのだろう。となれば、マルセル家の力は更に増す。と同時にその恩恵に与ろうとする輩は増えるからな。だから、ラシェル……」
「はい。私が今以上にしっかりしなければいけないのですね」
今回の闇の精霊王からの加護もそうだ。
殿下も同じように、私の身に降りかかる危険に対する警戒心を露わにしていた。だが、自分が目指すべきは守ってもらうだけの人間ではない。
大切な人を私も守りたい。そのためには、甘い考えだけを持つのではなく、相手が自分や殿下にとって危険がない人物かを私が見定めていく必要もある。
「ラシェル、あなたの頑張りは私もお父様も分かっているわ。でも、あまり自分を追い込み過ぎないで、何かあれば私たちや殿下を頼りなさいね」
「はい、お母様。ありがとうございます」
「それで、明後日は殿下と出かける予定があるのでしょう?」
先程までの重い空気を払うかのように、母は楽しそうにニコニコと微笑みながら、私に問いかけた。
「はい。ミリシエ領で殿下と別れる時に、王都にある離宮に誘われまして。庭園が美しく、花の宮と呼ばれているようでして」
「まぁ、花の宮! 建国時からあるといわれる歴史深い離宮の一つね。殿下ったら、意外とロマンチストなのね」
「ロマンチスト?」
「いえいえ、こちらの話よ。それなら、春らしいドレスがいいわね。水色か……あの黄色の花柄も良いわね」
「お母様……あの、その辺は自分で……」
今にもこの部屋を出て私のドレスを調べに行きかけない母を抑えるべく声をかけるが、母は瞳を輝かせながら首を横に振った。
「あら、娘のドレスを選ぶ機会なんて、あと少しなのよ? お母様にも選ばせてちょうだい」
「では父が髪飾りでも選ぼうかな」
「あら、嫌だわ。父親が選んだ髪飾りをデートで着けてきたなんて、殿下が知ったら微妙な気持ちになるじゃない。こういうことは女同士で楽しむことなのよ。ね、ラシェル」
「……はぁ。分かった分かった」
父はわざとらしく息を大きく吐いて、肩を竦めてみせた。そんな両親の様子に、思わず自分の口から笑い声が漏れてしまう。
そして、そんな私の様子に父も母も優しく慈しむ視線をこちらに向け、穏やかな空気が流れた。
ブックマーク、評価、感想、誤字脱字報告ありがとうございます。





