1918年春季攻勢(2)
1918年ドイツ春季攻勢の立役者のひとりとして、ブルフミュラー大佐がよく挙げられます。ドイツ語で突破はドルヒブルフなので「突破ミュラー」などと呼ばれました。重砲兵のドンです。
この人についても、むかし解説を書いたことがあります。
https://seesaawiki.jp/maisov/d/GreatWarTactics#content_3_7
「弾がどこに落ちるか計算して出す」ところが重砲兵の真骨頂です。攻撃前の測量、地図の使用、さらには風向といったデータ重視の砲兵でもあります。諸兵科連合というこの連載のテーマに即していえば、どちらかというとブルフミュラーの達成は、「砲兵相互の組織化と協力」によるものです。歩兵は緻密な予定表を渡されて、増援阻止のボックスバラッジが降ってくるところ(攻撃予定地の両脇)を避け、進撃に合わせたクリーピングバラッジがいぞいぞと弾着域を前進させるのに合わせて、ぎりぎりを走るのでした。
上に挙げた解説文にはザベツキの著書が引用してありますが、この人はその後、もう1冊ブルフミュラー関係の本を書きました。それによると、ブルフミュラーはカウンターバッテリーのために、一部の長射程砲部隊に高いレベルの司令部の(つまり、ブルフミュラー自身の)直接命令が出せるよう要求して、若手幕僚たちの反発にあって果たせませんでした。「若手幕僚が老ブルフミュラーより頭が固いとは」という調子でザベツキはブルフミュラー寄りなことを書いていますが、「ひとつの部隊にふたりの指揮官は絶対ダメ」という軍事の大原則に反するのですから、まあ普通は通らないでしょうね。広域最適化と縦割り組織はどこかで対立するのだというお話でした。
なんでそれが戦後50年経って蒸し返されたかというと、そのモメた会議は、クロンプリンツ・ループレヒト(元帥、バイエルン王太子)軍集団でのものだったからです。つまり、「プロイセン軍関係資料」ではなく「バイエルン軍関係資料」を漁らないと出てこないので、それまでの研究者に見逃されてしまったのですね。
そして始まった春季攻勢は、当初驚くべき成功を示しました。ところが英仏軍の反応も早く、ドイツ軍が補給を迅速に送り込む手段もなかったので、ドイツ軍は受け止められて、夏が来ると退くしかなくなったのです。せっかく東部戦線から移した戦力に大きな損害を出し、最後の力を吐き出したドイツ軍にとって、それは大戦の敗着手ともなりました。
大戦中期まで、戦闘機隊の充実に先んじたドイツ軍は英仏軍偵察機に大きな被害を与えただけでなく、機銃掃射や小型爆弾(爆竹のような1kg爆弾もありました)で英仏軍後方に入り込んで移動妨害をさかんに行いました。1918年に入ると、撃墜王スヌーピーの愛機ソッピース・キャメルに代表される新機材で航空優勢が連合軍側に傾き、今までのようにはいかなくなりました。
攻勢序盤、ドイツ軍は鍛え上げた諸兵科連合スキルを存分に発揮したというべきでしょう。ただ後方で補給を支える自動車や燃料がその勝利に追いつけませんでした。戦車対戦車の戦いも生じたのですが、1918年春季攻勢は全体としては今回も、ドイツの総合的な戦力不足で勝ちきれなかったものであり、特定の兵器や部隊間協力(の不足)でドイツが負けたとは言いづらいものです。
さて、ハウスの著書の第2章注24に挙げられたハリスの著作ですが、面白さと緻密な検証のバランスが取れた本で、私の同人本『作戦級の世界』でもイギリス戦車部隊史を巡る話題で、ネタ本のひとつにしています。そこに面白いことが書いてあります。1918年春季攻勢は3月下旬に始まりましたが、4月になって陸軍省で戦車生産関係の部署にいたある少佐が、「重戦車による突破に続いて、軽戦車部隊と新開発のキャタピラ補給輸送車で60マイル戦線後方まで突っ込む」提案を上げて、大陸派遣軍ヘイグ司令官にまで提案書が上がったというのです。フラーの有名な「画期的な中戦車D(Medium Mark D)完成の暁には、後方へ突っ込んでドイツ司令部を一刺し」という「Plan 1919」は5月下旬の原稿でした。
つまり(それ自身、色々実現可能性の問題があることは脇に置いて)フラーは「ドイツ軍春季攻勢を見ていて」Plan1919を思いついたのであり、それは某少佐も似たようなことを思いついたのを見ても、ありそうな話ではないか……とハリスは示唆するわけです。そして、冬までのフラーの提案書には、Plan1919につながるようなものがないと。となると、Plan1919はじつは戦車を加えた「突撃隊戦法2.0」ではないかとも言えるわけですね。
Plan1919には自動車化歩兵との連携の可能性についても触れられていますが、「快速軽戦車ならドイツ歩兵より速いですぜ」というのが発想の原点であるとすれば、案外このアイデアは(補給も含めればなおさら)諸兵科連合についての考慮を欠いていたのかもしれません。




