表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
35/38

こんにちは こんにちは 世界の諸兵科

 イギリス軍が次第に旅団(イギリス軍の歴史的事情で、旅団は他国の連隊に相当することもありますが、この時期のイギリス旅団は連隊にしてはやや大きなものです)を編成の中心に置いたのは、アメリカ軍がベントミック師団を構想したのとおそらく同じ理由でしょう。フランス軍は編成が小さくなってもそれを師団と呼びましたが、やっていることはイギリスと同じでした。


 フランスはAMX-13軽戦車のシャーシを使って装甲兵員輸送車AMX-VCIをつくり、対戦車ミサイル搭載型なども加えて、機甲師団の歩兵と砲兵が同じシャーシの車両で戦える方向を目指しました。しかしそれによって容易になる諸兵科連合指揮・管理の実務はわずかで、まして諸兵科連合の中隊ないし中隊戦闘群を作るとなると、下級指揮官はもっと上位の指揮官だけが覚えてきたことを覚えなければなりませんでした。少なくとも、車体共通化の方向性はAMX-VCIの後継AMX-10Pまでで途切れることになりました。


 西ドイツが開発したSPz.12-3、あるいはSchützenpanzer Lang HS.30は、IFV(歩兵戦闘車)の元祖とされています。IFVは軽装甲を持ち歩兵を輸送するAPCと違って、歩兵も運びますが戦闘にも参加します。これはSd.Kfz.251や250の伝統を受け継いだ発想でしたが、兵員扉を車両最後部にすることは受け継がれなかったので、乗降の安全性に問題がありましたし、車内から歩兵が戦闘できないのは核時代にはデメリットでした。車載機銃は敵の同種車輛や機関銃座・固定砲を攻撃できるよう、回転銃塔を持つ20mm機関砲にアップグレードしていました。ソヴィエトがこれを受けて開発し、1967年に西側に明らかになったBMP-1歩兵戦闘車は回転砲塔と73mm砲を備えていて、西側諸国を慌てさせることになるのですが、それはドイツのマルダーIFVと合わせて、最終章で。


 それと交錯する1965年、HS.30の派生車両として開発されたKanonenjagdpanzer 4–5が西ドイツで正式化されました。これは古き良きヘッツァーを思い起こさせる駆逐戦車でした。90mm砲を持ち、防御力の高い目標にはHEAT弾を使う計画でした。


 Kanonenjagdpanzer 4–5の前に、対戦車ミサイルを持つ同種車輛がありましたし、後継車両も対戦車ミサイル装備でした。90mm砲は当時まだモリモリと強化型が登場していたソヴィエトMBTに威力不足と考えられるまで、そう何年も保ちませんでした。逆に、置き換えるべき車両には待ち伏せ車両としても火力が心もとないM41軽戦車、朝鮮戦争の緊急生産車輛で照準システムに問題を抱えたM47中戦車などがあり、あまり理想を追ってもいられないタイミングではありました。


 そしてまた、この車両もまたベントミック世代であり、西欧で戦術核が落ちてくる可能性が一番高い西ドイツで使われるものでした。後には戦車駆逐大隊にまとめて配備されることもありましたが、最初は中隊以下の単位で機械化歩兵(装甲擲弾兵、猟兵など伝統的な名前を冠します)部隊にばらばらに配置されました。要するに(限定)核戦争の捨てがまり……歩兵に混じった待ち伏せ車両です。


 第7章の最後に、ハウスは第3次までの中東戦争の様子を描きます。世界中から援助された武器と、第2次大戦のあと残された武器と、かき集められた武器が交錯する戦争の様子は、タミヤのIV号戦車H型の説明書でも戦例に挙がっていました。ドラゴンモデルズから、「シリア軍IV号戦車」のキットも出ています。イギリス軍の旧弊で硬直的なところを受け継いだエジプト軍が、どちらかというと手段を選ばない(婉曲)イスラエル軍への相性の悪さをさらしたこともありました。1967年の第3次中東戦争まで、ようやくイスラエルが買い集めたまずまず新鋭の戦車部隊と、1962年以降にミラージュIII戦闘機、1968年以降にF-4ファントム戦闘機などを購入したイスラエルの航空優勢は、後から見れば必ずしも最新兵器同士の戦いではなかったのですが、第2次大戦後半のような「航空優勢と機甲戦力の組み合わせ」が十分に戦線を安定させるという印象を与えました。


 最終章に向けて、3つの変化を指摘しておきたいと思います。ひとつは上で触れた、1967年のBMPショックです。ふたつ目は1973年に起きた第4次中東戦争の戦訓群です。そして最後は、このあとにやってくる、電子機器の爆発的な発展です。トリニトロンカラーテレビを始めとして、1968年から次々に市場に現れた日本製トランジスタカラーテレビは、コンビニで真空管が売られていたアメリカにも流れ込みました。マイクロプロセッサ4004は1971年に誕生しました。あらゆるものが電子制御されるようになり、電子機器を詰め込んで頭でっかちになった西側戦車が、コンパクトな砲塔の東側戦車に対して優位に立つようになるのです。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ