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朝鮮戦争

 朝鮮戦争の起点となり、今も境界線のままである38度線は、ソヴィエト軍の北朝鮮侵入を控えた1945年8月の米ソ合意がもとになっています。仁川上陸作戦以降、アメリカの優良部隊・優良器材投入で大きく傾いた戦況は、中国軍の参戦で再び38度線以南まで国連軍が退き、リッジウェイ司令官が着任して、中国軍部隊の損耗もあってソウルを奪回しました。前部分「戦争がまた終わって冷戦が生まれた」で触れたマッカーサーの戦術核兵器使用提案は、リッジウェイの成功に嫉妬して関係が悪化したマッカーサーが、「俺ならもっとうまくやれる」と上申した中にあったものです。罷免されたのはマッカーサーの側であったのは皆様ご存じのとおりですが、帰国したマッカーサーが群衆に大歓迎されたのは、大戦以来の功績だけでなく、「押せ押せイケイケ核容認」の戦争指導に一定の支持者がいたことも手伝っているでしょう。


 ハウスの戦後編(第3部、第7章~)の枕話として提示されているスミス支隊壊滅(烏山の戦い、1950年)は、ソヴィエト軍の兵器を供与された北朝鮮軍が38度線を超え、急派されたアメリカ軍歩兵大隊基幹の先遣隊が対戦車装備の不足と経年劣化でT-34/85戦車隊を食い止められず壊走し、3割ほどの兵員を戦死・捕虜として失ったものです。敗北の原因は多分に政治的なもので、一種の軍縮期に入っていたアメリカ軍のシワが寄った装備と兵質、そして敵の勢力に見合わない軽装備と少人数での出動がもたらしたもので、まあ諸兵科連合とはあまり関係ありません。


 アメリカ歩兵師団は歩兵連隊内に1個戦車中隊、師団直轄で1個戦車大隊を持つことになり、もっぱら対戦車戦闘を(戦車駆逐車に代わって)MBTが引き受けることになりました。M2・107mm迫撃砲が大戦後半から曲射歩兵砲扱いで加わっていましたが、これはドイツや日本の同業者同様、化学戦部隊から移ってきたものです。M18・57mm無反動砲、M20・75mm無反動砲は直射歩兵砲としても使われましたが、歩兵部隊の対戦車兵器としては既に朝鮮戦争のT-34/85戦車に分が悪く、順次アップグレードされたり、対戦車ミサイルに置き換わったりしました。こうした新兵器を取り入れた歩兵連隊では、分隊を12名から9名とし、支援火器を操る兵士とのバランスを変えました。


 また、機甲師団の歩兵は戦車戦力に対して少なすぎ、死傷率が高いのもそれが一因であろうとされていて、機甲歩兵を多く持つように機甲師団は改編されました。


 ただし、これらの改編と並行して通常兵力縮小が進み、多くの部隊はこうした有事の編制定数を全く満たさないものになりました。スミス支隊を含む第24歩兵師団が釜山に追いつめられることになったのも、この師団がすっかり戦時定数を満たさなくなっていたからでした。ハウスによれば、朝鮮戦争で歩兵部隊は孤立し、側面や背後を取られがちになり、支援火器も含めた火力の優越で危機をしのぐことが多くなりました。戦争後半になると装備と兵員を充足させたアメリカ師団が展開し、中国軍に対する火力の優越はますます明らかになりました。中国軍は夜陰に忍び寄り、奇襲からの乱戦を狙いました。


※ハウスが259頁であいまいに触れている戦術は、第2次大戦後半から行われたreconnaissance by fireのことでしょう。敵歩兵が潜んでいる「かもしれない」場所を機関銃などで撃ってから接近することを言います。


 ハウスが260~261頁で取り扱っている戦例は、リッジウェイ指揮下で最初に発起された攻勢で、1951年1~2月に行われたソウル奪還戦(Operation Thunderbolt)の一環として、ソウル南部の冠岳山付近の「三〇〇高地」を第25歩兵師団などのアメリカ第I軍団が攻めたものです。冠岳山はもっと高いので、周囲にあった小高い丘でしょう。高地を攻めて占領する前に、諸兵科連合部隊がありったけの火力で中国軍のいる高地を準備射撃して、わずかな損害で丘を取りました。


 1951年11月以降、38度線で休戦交渉がまとまりそうで、互いに大規模な攻勢はもうないという見通しがありました。一種の陣地戦となりましたが陣地の守りそのものは薄く、もし小規模な攻撃を受ければ、一斉砲撃で阻止される手配りになっていました。


 ハウスは、1951年からrotating plotting boardが使われて射撃指揮能力が上がったと書いています。日本語版では標定版となっているのですが、「防衛省規格 火器用語(射撃統制)」をググって見つけたところでは、「標定盤」となっています。アメリカ軍の「Plotting Board M17」の画像が検索に引っかかりますが、回転する円盤を持つ定規で、地図上にある火点、目標がわかれば、回転部分の中心を火点に合わせて外枠に地図の南北軸を合わせ、円盤の半径線に目標を乗せると、目標までの距離と方向が出るもののようです。観測者自身はどこにいても[目標の地図上の位置さえ正確なら]目標を狙えるという画期的なもので、透明な樹脂製定規を量産できるのがその時代のアメリカでやっと可能ということなのでしょう。


 この時期のヘリコプターは後方輸送のほか、後から見れば少人数の精鋭や指導要員を送り込むには適していたはずでしたが、強襲部隊を送り込む試みは何度も失敗しました。


 中国軍は日本との戦いで有効だったゲリラ戦部隊から、高い火力を持った軍隊へ生まれ変わる必要性を学びました。いわゆる人海戦術はほとんどみられず、終始夜襲部隊として働いたようにハウスは書いています。また、外征では兵站組織が死命を制することも中国にとっての教訓でした。


 朝鮮戦争の話はこれだけなのですが、「核戦争アリ」を前提としたアメリカ陸軍改編の様子が長くなるので、それを次回としたいと思います。

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