幕間 男の意地を見せたい(前編)
※セイン視点 …3/24(日)2話同時更新
※胸糞注意
遅かれ早かれ、アルフェンルートの性別が露見することなんてわかっていた。
正直な話、逃げ切れると信じていたのはアルだけだ。
いや、アル自身も本心では逃げ切れるなんて思っていなかったに違いない。それでも諦めずに夢を語った。自分自身に思い込ませるために。そして俺達を安心させるために。
だけど俺も、メリッサも、スラットリー老も、実のところとっくの昔に覚悟なんてしていた。それこそ、あいつに仕えることを自分の意志で決めた時点で。
それでもアルの思い描く夢物語に協力していたのは、出来るだけ優しく生きられる時間を引き延ばしてやりたかったからだ。夢を見せてやりたかった。無駄になるとわかっていても、今度こそ出来るだけのことはしてやりたかった。
(あいつが本当に女なんだって思い知るまで、線引いてた俺に言えることじゃないけどな)
俺は腹を決めるのが遅すぎたのだと思う。
初めて出会ったときに、俺の前にしゃがみこんで目線を合わせてくれた相手に覚えた仄かな想い。それを、ありえない、と捻じ伏せた。心まで近づかないようにと警戒した。
だってどう考えたって、こんな馬鹿げた謀など成し遂げられるわけがない。俺が仕える相手は、そう遠くない内に必ず死ぬ相手だ。そしてこいつのせいで、俺も死ぬことになる。どんな感情を抱いたところで無駄でしかない。
そう自分に言い聞かせることで線引いた。
それでも一緒に過ごす内に情は湧いてくる。取り巻く環境を知れば同情もした。それでもあまり深く心を寄せないように気持ちに距離を置いていた。アルもそれを気づいていただろう。
そんな得体のしれない立ち位置だった俺を、アルは虐げることもなく、蔑むこともなく、一人の人間として接してくれていた。例えばよく頼まれて城下に買いに行かされた菓子は、持ち帰るといつもきっちり三等分にしていた。自分とメリッサと、俺の分。そんな風に、当たり前に同じ目線でいようとしてくれた。
俺のことを『家族』だと、そう言った。
しかし血縁関係はあるものの、俺は一度もアルを弟だと思ったこともなければ、妹だと思おうとしたこともない。たぶん友人ですらなかった。俺の中では、あくまでも主。
そして、いつの間にか一番大事になっていた女の子。
なんでこんな面倒な奴を、と何度思ったかわからない。それも自分とよく似た顔。目つきの悪い俺よりは優しげだけど、並べば兄弟にしか見えない相手。
はっきりいって俺はエインズワース公爵家が嫌いだ。自分の顔もあまり好きではない。それなのに明らかにその血を継ぐ相手を、どうして好きになんてなったのか。俺の趣味が悪いのは母親に似たんだろうか……。
しかし好意を認めたからと言って、それを告げる気などなかった。
アルが死を選びたくなるまで線引いていた俺が、あれだけ傍にいたのに救えなかった俺が、今更どの面下げてそんなことを言える。
それにアルの中で俺は『守ってくれる人』じゃなくて、『守らなければならない人』のままでしかなかった。
そこにあるのは、純粋な家族としての情。
それがきっと、アルの答えだ。
俺には求められているものが違う。俺の想いは言っても困らせるだけなのは目に見えていた。どころか、告げればあいつの中にある大事なものをきっと傷つける。
ならばせめて、アルが求める存在を最後まで演じてやろうと決めたのだ。不愛想だけど、一応は頼れる兄貴分ってやつを。
好きになった女の子の願い一つぐらい叶えてやらないと、格好がつかないだろ。ただでさえ守り切るだけの力もなく、情けないところばかり見せてしまっていたのだから。
(あいつの王子様は、俺じゃない)
ふと脳裏を過った相手に無意識に顔が歪む。
悔しくないわけでも、苛立たないわけでもない。
あの男と出会って間もない頃のアルを思い出す限りでは、最初の出会いは最悪だったのだと思う。多くを語らないから詳細はわからないが、近づかれる度に辟易していた。それがいつの間にか距離を詰めて、困ったように微笑むだけだったアルから様々な表情を引き出すようになっていた。
あの男も、アルには普段は見られない顔で接していた。アルにあからさまに距離を置かれれば崩れないはずの笑顔を引き攣らせ、僅かに気を許されただけで作り物じゃない笑顔になる。
その態度からは乳兄弟の弟に対してだけではない情が見えた。アル自身に対する好意が感じられた。
敵だったくせに今更、という腹立たしさがないわけではない。
あいつらは手を差し伸べるのが遅すぎる、という怒りもある。
けれどこれほど近くにいたのに尻込みして距離を置き、アルが傷つくのを見過ごした。そんな俺より、あいつらはちゃんと守るだろ。
助けを求めて伸ばされたアルの手を、迷うことなく取ったのだから。
(それにしても、俺達の見ていないところでアルは一体なにをしてきたんだ……)
第一皇子を庇って一度死にかけてからのあいつは、何か振り切れたのかよくわからない行動をするようになった。無駄死にして堪るかと腹を括ったが故の行動だったのかもしれないが、危なっかしいことこの上なく、メリッサも俺もスラットリー老も実のところ緊張しっぱなしだった。
しかしアルなりに何かを掴もうと足掻いているのはわかった。
どちらにしても迎える結末はどうせ同じだと周りは思っていたからこそ、ならばアルの悔いが少しでも残らないように、と好きにさせていたのだ。
けれどそうやってアルが勇気を出して踏み出したことで、繋がった縁がある。掴み取ったものがある。
(あの悪足掻きは、そう捨てたもんじゃなかったってことだ)
――それが今こうしてここに、繋がっているのだから。
*
時間は少し遡る。
スラットリー老の家で匿われているアルより先に城に戻り、今まで変わらない日常生活を送るフリを始めた矢先。
シークヴァルド殿下の執務室に内密に呼び出された時には、とうとう来たか、としか感じなかった。
「話というのは他でもない。私の妹のことだ」
近衛すら人払いされた、二人きりの部屋の中。向かいのソファに座ったシークヴァルド殿下にそう切り出されても驚きはしなかった。動揺して隠し持っていたナイフに手を伸ばして飛び掛かる、なんてこともしない。
ただテーブルを挟んだ向かいのソファに座ったまま、感情の読めない淡い灰青色の瞳を見据えた。
「その話を持ち出すのに、俺と二人きりになるのは危険だとは思われなかったのですか」
「おまえ如きに遅れを取ると思われているなら心外だ」
苦言を呈せば、チラリと一瞬だけ冷ややかな視線が俺の足元へと向けられる。
いつも背中のベルトに隠し持っているナイフは事前の身体検査で取り上げられていたものの、ブーツに細工して忍ばせているナイフはそのままだった。案外甘いと思っていたが、単に試されていただけのようだ。俺が一瞬でも怪しい動作を見せていたら、その瞬間に彼の佩く剣の切っ先が喉笛に突き付けられていたことだろう。
元からそんな気はなかったとはいえ、冷たいものが背筋を走り抜けていく。顔が強張ったのがわかったのか、シークヴァルド殿下が微かに息を吐き出した。
「しかし案外あっさりと認めたな」
「確信するだけの情報は手に入れているのでしょう。それに、シークヴァルド殿下はアルフェンルート殿下を排除される気はないとお見受けしました」
まっすぐ見つめて言い切れば、シークヴァルド殿下は微かに目を細めた。
かまをかけられた、とは思わなかった。
実のところ、とっくに気づかれていると思っていた。それこそ、この人を庇ったアルに見舞と称して毎日花を贈られてきた時から。
(普通、弟とはいえ男に毎日花なんて贈らないだろ)
確かに花は定番の見舞品ではある。しかしアルが本好きなのは有名なわけだから、見舞は本でもよかったはずだ。
それでも女が喜びそうな花に固執したのは、『気づいている』というメッセージなのではないかと踏んでいた。
(アルも一応不思議に思っていたみたいだけどな)
でも無意識に気づかれていると認めたくなかったのだろう。そこに深く突っ込まなかった。
しかし俺の警戒を他所に、それ以降もシークヴァルド殿下が直接核心を付いてくることはなかった。
無理に暴くような真似をすることもなく、どころかアルに対する態度には好意しかなかった。シークヴァルド殿下の乳兄弟であり、彼の意志に沿って動いているはずのクライブ・ランスのアルに対する態度を見ても、殿下がアルをとても気に掛けているのは伝わってくる。
クライブのアルに対する態度は、内情を知る者から見れば監視というより護衛だった。
クライブが話しかけていれば、誰も安易にアルには近寄れない。アルの存在を不快に思う者もいたはずだが、シークヴァルド殿下が直々に監視しているという形を取ることで周りから人を遠ざけていた。
穿った目で見れば、不憫な状況に立たされている異母妹に極力人を近づけぬよう、守るための行為のようだった。
クライブのアルへの接し方を見る限り、皇女に対するものではなかったから女だと知らされていなかった可能性の方が高い。けれど少なくともシークヴァルド殿下の中では、ほぼ疑惑は確定しているのではないかと思えた。
弟だと思っていたら、いくら身を呈して庇ったといっても、裏があるのではないかともう少し様子を見たはずだ。それをあっさりと懐に招き入れて庇護した時点で、アルは敵にはならないと確信する何かを掴んだとしか思えない。
これに関しては俺だけでなく、スラットリー老も同じ見解だった。
だが既に知られているように思えても、下手にこちらから秘密に触れるわけにはいかない。シークヴァルド殿下の出方を見るしかないと、静観するしかなかった。
アルには、言えなかった。
告げればきっとアルは諦めてしまう。諦めて、きっと自分の首を差し出してしまう。
そんなことは出来なかった。向こうが何も言わないのなら、こちらも素知らぬ顔で時間を引き延ばすつもりでいた。
だがこの人は、無理に追い詰めて暴く真似を望んでいるとは思えなかった。放置していた年月を埋めるように、少しずつ信用を、信頼を、アルから引き出そうとしていたように見えた。
アルが城の中で襲われたりする事態が起こらなければ。それでアルが己の罪深さを目の当たりにして、自分を追いつめたりするようなことにさえならなければ。ゆっくりと焦らせることなく、兄妹に戻ろうとしていたんじゃないだろうか。
だからこうなった今、こうして話を持ち掛けられることは想定内。
この話を持ち出されたのが、メリッサやアル自身じゃなくてよかったと思う。出来ればスラットリー老に言ってくれと言いたいところだが、あの人はアルの許しが無ければ口が裂けても何も語らないだろう。ラッセルはまだそこまで深くはアルのことを知らない。
となると、どうしたって白羽の矢が立つのは俺になる。ただでさえ俺の今の立場は相当危うい。
「なぜ自分が呼ばれたのかも理解しているようだな」
「俺がエインズワース公爵家の者だからでしょう」
先日スラットリー老の屋敷に訪れたこの人は、先日の暗殺未遂の首謀者がエインズワース公爵家の長子、オーウェン・エインズワースであると言った。
「おまえにアルフェンルートを害する気がないことぐらいはわかっているつもりだ。だが、おまえもエインズワース公爵家の者である以上、嫌疑はかかっている」
感情の読めない顔のまま、淡々とした声音が投げかけられる。
俺の立場上、疑われるのは当然だ。なぜエインズワース公爵家の人間がアルを狙ったのかまではわからなくとも、もし本当にそうなら内側から手引きしたのではないかと思われていてもおかしくはない。
「それに、おまえの行動に疑問に思う点はある。おまえは急所を狙う戦い方を得手としていたと思うが、誰も殺していない。あの状況で誰も殺さず守れるとは思わないだろう?」
だが、これには反論させてもらいたい。
「目の前で人を殺したら、アルフェンルート殿下が動けなくなると思いました。殿下は目の前で人が傷つくことに耐性がない。俺には動けなくなった殿下を担いで逃げられる程の力はありません」
「アルフェをよく知っているからこその選択ということか」
答えた俺を見て、一応は納得したのか頷かれた。
この人にとって暗殺者の死は当然の報いであって、それに心を痛めるということは考えもしないことらしい。当然と言えば当然だ。アルも相手に同情まではしないだろうが、それでも人死にが出れば凍り付くのは必至。
「それに関しては、納得しよう。だが、その後でおまえが生き延びたことは疑問だ。そう簡単に見逃してくれる相手ではなかったはずだ」
「……」
「それにあの状況で一番疑われるべきは私だが、おまえは私の元へアルフェを逃がした。アルフェはおまえ達を助ける為なら自分の首を懸けるつもりで来たのだろうが、これまでアルフェを守ってきたおまえ達がそれを許すとは思えない」
細められた眼差しは、心の底まで見透かすかのよう。
「敵は私ではない、と確信する何かがあったはずだ。少なくとも、おまえには」
そこまで言われて、詰めていた息を微かに吐き出した。
元より、ここまで来たら隠すつもりもない。ただ首謀者が確定するまでは推測にしか過ぎなかったから、口に出すのを躊躇っていただけ。
「俺は、アルフェンルート殿下を襲わせたのは、エインズワース公だと思ったのです」
顔を上げてはっきりと告げれば、シークヴァルド殿下が眉を顰めた。
彼からすれば意味がわからない話だろう。まかり間違ってもアルを傷つけることなど考えるわけがないはずの家だ。アルを守ると言う面においてだけは絶対の信頼があったからこそ、今まで周りの衛兵をエインズワース公爵派の人間で固めていても見逃されていたのだ。
だがその結果が、これだ。
この人たちは、エインズワース公爵がどういう人間か理解しているようで、わかっていなかった。
あの爺は、自分の息子の親友を、自分の娘の許嫁を、己の欲望の為だけに容赦なく潰すことが出来る。その結果、心を抉られた息子が立ち上がれなくなろうと、自分を責めて娘が発狂しようとも、かまうことはない。
そして彼の非情さは、孫に対しても同じ。
王家に返り咲くための大事な駒であっても、自分の足を引っ張るとなれば捨て駒にして違う手を打つ。新たな駒を、作ろうとする。
「あの時点で既に、エインズワース公はアルフェンルート殿下がもう皇子として使えないと判断していました」
俺がエインズワース領に拘留されている間に、あの爺はアルの元に乗り込んでいた。近衛が傍近くに控えて、いつまでも性別を誤魔化せるわけがないと爺が危機感を抱いたのは当然と言える。
けれどアルはそこで初めて反抗して、突っぱねた。
この時点で、エインズワース公爵はアルを使えない駒だと判断してしまった。
自分の置かれた状況も判断できない愚か者と捉えたのか。アルが秘密が露見してもいい、エインズワース公爵家を道連れに自滅するつもりであると取られたか。どちらにしろ、爺から見れば愚策。
「近衛を付けられた殿下の性別が露見するのは時間の問題。その前に殿下をエインズワース領へと連れてくるよう、俺に命じました。でも俺は従わなかった。それで痺れを切らして、強硬策に出たのだと思いました」
だがエインズワース公爵は、アルを殺すつもりはなかった。それは間違いない。
「殿下を王宮内で襲わせて怪我を負わせ、そんな場所に孫を置いておけないとでも言って、エインズワース領に引き取るつもりでいたのだと思います」
そこまで言うと、シークヴァルド殿下の表情があからさまに不快を露わにして強張っていた。
世間的に、アルはエインズワース公爵に溺愛されている孫だった。実際、それまでは誰よりも愛していたはずだ。自分の願いを叶える駒として。だがそれが叶えられないとなれば、驚くほど呆気なく掌を返す。
その異常性を目の当たりにすれば、誰だってこういう反応をするだろう。
俺が爺の命を聞かなかったのも、その異常性を知っていれば当然に思えるだろう。
それに妃殿下はアルを冷遇していたとはいえ、エインズワース公爵に預けることは一日たりとも認めなかった。アル自身も望まなかったが、これまでにも何度かエインズワース公爵が声を掛けていたが許可は下りなかったのだ。
唯一アルが訪れたのは、俺が乳母と入れ替わる形で王宮に出仕することになったので、引継ぎの為に引き合わせることになった時だけ。
「おまえはアルフェが襲われた時点で、それに気づいたと? それともそうなることを知っていたのか」
剣呑な眼差しを向けられて、怯みそうになる心を奮い立たせて見つめ返す。
「信じてもらえないかもしれませんが、知りませんでした。いくらなんでもあそこまで大それたことをするなんて考えるわけがない。ただやりかねない、と思ったのです」
「だがおまえの話だと齟齬がある。ラッセルはあのとき、アルフェは命を狙われたと言っていた。ただ怪我を負わせるだけ、というものなんかではなかった」
「俺も、それは疑問に思いました。刺客は間違いなく殿下を殺すつもりで来ていた。エインズワース公なら、絶対にそんなことはしない」
だから、俺もあの時は混乱した。
「エインズワース公は、保身のためだけにアルフェンルート殿下を庇護下におくつもりだったわけではありません。あの人は、王位を諦めたわけじゃない」
エインズワース公爵が王位を諦めてアルを保護するというのなら、俺だって反対はしなかった。
だが爺が俺にアルを連れ出せと命じた時、俺に出した条件はこうだ。
「あの人は俺に、アルフェンルート殿下をくれてやると言いました。皇子としては使えない、だけど歴とした王族である殿下との間に子を設けろと。それを王にするのだと、そう言っていたのです」
「!」
シークヴァルド殿下が絶句して、唇を戦慄かせた。
怒りを吐き出したかったのかもしれない。けれど言葉にすることすら躊躇われたのか、奥歯を噛み締めて射殺さんばかりの眼差しになっただけだった。
俺自身、自分で言って反吐が出そうだ。思い出すだけでも胃液が込み上げそうになる。
あの人は、アルの心なんてどうでもよかった。
子どもさえ産める体さえ残っていれば、それでよかった。
アルを一人の人間として見たことなんてなかった。いつだって盤上の駒、ただの道具でしかなかったんだ。あの人にとっては、娘も、孫も。
そしてあの時、ほんの一瞬。僅かでもそれに心が揺れそうになった自分自身にも、猛烈な嫌悪が湧いた。
だけどそれでアルを手に入れたとして、手に入ったと言えるのか。アルが俺に向けてくれていた温かい愛情は凍り付くだろう。きっと二度と笑いかけてなんてくれなくなる。
きっと人形のように変わらない表情で、仄暗い虚ろな瞳をして、現実を見なくなる。アルの母親と同じ末路を辿る。
(俺が欲しかったのは、そんなものじゃない)
アルがちゃんと心から笑うようになってくれること。それが願いだ。
たとえアルが他の男の前で顔を綻ばせようとも、相手に苛立ちはするがその方がずっといい。俺の手で笑わせてやりたいなんて、もうそんな資格はないことなんてわかってる。
これ以上、情けない男になんてなって堪るか。
俺は、最後まであいつの望む存在を演じてやると決めたのだから。
それはなけなしの俺の矜持。
「……しかしエインズワース公がアルフェの死を望んでいなかったならば、なぜ殺されそうになった? だいたい今回の首謀者はエインズワース公ではなく、長子のオーウェン・エインズワースだ」
怒りを押し殺して、気持ちを落ち着けたのはシークヴァルド殿下が先だった。声は先程よりも低いが、思ったより冷静に齟齬を指摘する。
「それに関しては、俺も襲われた時はわかりませんでした。シークヴァルド殿下が首謀者がオーウェン・エインズワースだったと告げられた時に、わかりました」
俺だって、あの時は動揺して混乱もしていた。とにかく逃がすことが先決で、敵が誰なのかは片手間に考えただけ。それもすべては推測。
シークヴァルド殿下の差し金ではないか、という疑いも当然持った。だが、シークヴァルド殿下ならばこれまでにもアルを暗殺する機会はあったはず。あんな大事を起こす必要はない。
それに、シークヴァルド殿下を慕うアルの気持ちを疑いたくはなかった。
アルは人の悪意に敏感だ。呑気なように見えて、時折妙に敏かったりもする。あいつはあいつなりに、俺達の知らないところでも戦ってきたのだと思う。そこはアルを信じた。
それとアルをよく構っていたあの男を信じて、賭けた。
「オーウェン・エインズワースは、これまでアルが皇女だと知らされていなかったのだと思います。父親のエインズワース公とは折り合いが悪くて、アルが皇女だとオーウェンが知れば、こんなことは許されないと糾弾したと思いますから」
だからきっとずっと秘密にされていた。
ちなみに俺も、オーウェンがアルを女だと知らないなんて考えもしなかった。元々あの人とは話さないし、そうでなくともエインズワース公の長子ともあろう者が知らされていないなんて考えるわけがない。
俺もこれに思い至った時には絶句して、しばらく呆然とした。
「ですが俺がエインズワース公にあの話を持ち掛けられた日は、オーウェンも本邸にいた。そこで俺とエインズワース公の話を聞いていたのでしょう。そしてこれほどの大罪はさすがに見過ごせないと、エインズワース公の企みに乗じて、揉み消せないほどの暗殺騒ぎを起こしたのだと思います。全てを白日の下に晒すために」
エインズワース公にないがしろにされていたとはいえ、オーウェンがエインズワース家の跡取りであることに変わりはない。その立場故に暗殺を生業にする者との関わりはあったはずだ。エインズワース公の命に被せて、アルを殺せと上書きするぐらいは可能だったのだろう。
これが祭祀の日に起こった暗殺未遂の顛末であると、俺は踏んでいる。
「それでどうしてアルフェを殺すことに繋がる?」
「アルフェンルート殿下がシークヴァルド殿下と懇意にしていると知らないオーウェンから見れば、このまま生かしてもおいてもアルに待っているのは断罪だけです。死なせてやった方が幸せだとでも思ったのでしょう」
深く嘆息を吐きだして、語り切ったせいで疲労が押し寄せてきた体から少し力を抜く。
実際、オーウェンの選択は救いでもあった。大罪を犯した皇女。自分が望んだわけでなくとも、世間の目はそうは取らない。
そんな皇女の末路など、推して知るべしだ。
断頭台に登るにしても、その前に拷問や凌辱されることだって考えられる。追放処分にされたとしても同じこと。人は罪を前にすると正義を振り翳し、自分達に何の被害を被っていなくてもどこまでも残酷になる。
「ならば、おまえを殺さなかったのは?」
問われた言葉に、少しだけ胸が軋んだ。思わず苦い笑みが微かに零れる。
刺客は俺に対して手を抜いて見えることがあった。今思えば、俺は殺すな、と命じられていたかのように。だからこそ、俺はまだここで生きている。
オーウェンが俺を殺せと命じることに踏ん切りがつかなった理由は、とりあえず一つしか思いつかない。
「親心、ってやつだったんじゃないでしょうか。……オーウェン・エインズワースは、俺の父親ですから。たぶん」




