59 誤解を解く術がない
(私がメリッサを、好き……!?)
言われた言葉が脳裏に反響する。
けれど一瞬理解できなくて、目を真ん丸に見開いたまま固まった。
(っどうしてそうなった!?)
理解すると同時に息を詰まらせ、慌てて弁解しなくてはと口を開く。
「はっ、わたしが……、なっ!?」
しかし動揺のあまり、全然まともな言葉にならなかった。
はい!? 私がメリッサを? なぜそんなことを!? と言いたかったのに、舌がちゃんと回ってくれない。
ただでさえ抱き締められているような体勢に動揺していたせいもある。頭の中は混乱を極め、まともな言語も紡げないほどの大パニック状態。
クライブはそんな私を探るように、無言で見下ろし続けている。
怖い。怖すぎる!
心臓はバックンバックンと別の生き物のように暴れまわっていて、下手に口を開いたら飛び出してきそう。
至近距離で見つめ合ったのは、きっと時間としてはほんの数秒にも満たなかった。それでも私にとっては途方もなく永く感じられた。
その間にはやく弁解すればよかったのに、感情の読めない緑の瞳に見据えられて言葉が出てこない。まるで金縛りにでもあったかのように、体も動かない。
心の底を見透かそうとする眼差しが怖くなって、思わず目を逸らして泳がせてしまう。
「あの、クラ……」
「わかりました」
それでもなんとか呼びかけようとしたところで、クライブが私の言葉を遮るように低い声で言った。どういう意味か読めない息を吐き出しながら、私からやっと手を離す。
(何がわかった!?)
待って! いったい今ので、クライブの中で何がわかったというの!?
当の本人が、全っ然わかっていないというのに!
「クライブ? 待ってください、私はっ」
「大丈夫です。ちゃんとわかりましたから」
片膝を着いていたクライブが先に立ち上がり、私の手を取って引き上げながら微かに笑いかけてきた。
ただその笑顔が、以前に見たことがある張り付けたような笑顔になっていて眉を顰める。見えない壁を打ち立てられたように感じて、胸の奥が妙にざわざわと波立った。
この顔、もしかしなくても変に誤解しているように見える。わかったって言ったけど、絶対わかってないでしょう!?
(だいたい、どうしてあそこであんな質問?)
当然、メリッサのことは好きではある。
ただ多分、クライブが考えているような好きじゃない。あくまでも乳姉妹としての好き。それに私は女なわけだから、女の子相手に恋愛感情が湧いたことは今のところ無い。
もしかしたら将来的に、同性でも好きだと思えるほどの感情を抱く相手に出会うこともあるかもしれないけれど。でも少なくとも、メリッサに対してそういう意味での好意は抱いたことはなかった。
(そういえば以前、ラッセルにも恋愛対象が異性かどうか訊かれたけど)
もしかして私の態度、紛らわしかったりする?
(…………うん。紛らわしい。我ながら、すごく紛らわしい)
改めて自分の言動を思い返してみれば、クライブが誤解してもおかしくないぐらい紛らわしいことしかしていなかった。特に今日は。
泣いてるメリッサの涙を拭いてあげたり。化粧してることにすぐ気づいて、可愛いと言ったり。先程に至っては、シロツメクサで腕輪まで作ってあげてしまった……。
(メリッサの前では、つい皇子ぶろうとする癖がついてるから……)
幼い頃にメリッサにつられて私が女の子のようなことをすると、乳母がすぐに顔を強張らせていた。
そんな顔をさせてしまうことが子ども心に嫌で、おかげで今では条件反射で絵本で読んだ王子様的な言動をしてしまう。メリッサ相手の場合は特にそれが顕著だ。
それに加えて、メリッサに少年らしい砕けた口調で話す姿が、素に見えたのかもしれない。
でも実のところ、あれが私の素の話し方かというと、そういうわけじゃない。メリッサやセインと話す際の口調は、皇子ぶらなければならないという強迫観念からああなったものだ。
でも同年代の子と関わってこなかったから、あれが本当に少年らしい話し方なのか不安がある。その為、あの口調で話すのは個人的にあまり好きではなかった。それに今は特に前に社会人をやっていたときの条件反射で、丁寧語で話す方が楽だったりする。
でもクライブはそんな私の事情など知るわけもない。メリッサですら知らないようなことを、悟れという方が無理な話。
極め付けは、さっきのメリッサに対するデリックの言動に不安な顔をしていたのを見られていたのだろう。もしかしたら、私が嫉妬していると思ったのかも。
とんだ誤解なのだけど!
「クライブ、ちゃんと私の話を聞いてください!」
「皆まで言わなくても、理解しています。問題ありません」
「理解してないと思いますっ。私はメリッサのことは……、っ!?」
そういう意味で好きなわけではない、と言いかけた口がクライブの指先で押し留められた。
不意に唇に触れてきた指に驚きすぎて、反論は喉の奥で縮こまる。
「出過ぎたことをお伺いして、申し訳ありませんでした」
その隙にクライブはやんわりと微笑んで、自分から言い出したくせにこの件に関して線引いてくる。
「僕からメリッサ嬢に言ったりはしませんから、安心してください」
とんでもない誤解を、その胸に残したまま。
ほら! やっぱり全然理解してない! 問題しかないから!
なかなか離れていかない指に口を封じられているせいで脳内で叫び返してから、ふと気づく。
(私がメリッサを好きだと思われて、何か問題ってある?)
これってもしかして、誤解させたままの方が都合がいいのでは?
まだ女であることを知られるわけにはいかない。ならば、このまま誤解してくれたままの方が男である信憑性が増す。
ただこれ以上、嘘を塗り固めることに躊躇いはある。でも一応これでも私はちゃんと否定しようとした。耳を貸そうとしないのはクライブの方。
それにここで私がそうじゃないと否定したとしても、クライブの中では私がメリッサを好きなのは確定してしまっている。なぜかやけに頑なで、簡単に覆りそうには見えない。
それもどうやら、私の片思い的な感じに。
確かにメリッサの私に対する態度は、主人に対する親愛にしか見えない。当然だ。メリッサは私が女だと知っているのだから。私としては勿論それで十分すぎるというか、むしろそれ以上は困るのだけど。
でもクライブはこの件に触れてしまったことが居た堪れないと言いたげに、私から目を逸らす。
報われる報われない以前の問題なのに、相手にされてなくて可哀想的な扱いをされるのはちょっと腹立たしいのだけど!
やっぱり反論しよう。
そう決めて息を吸い込んだところで、クライブが私から逸らしていた視線をブルーベリー農園の方へと向けた。
「そろそろ出立でしょうから、急ぎましょう」
話はこれで終わりだと言わんばかりに、真面目な声で促されてしまう。
そう言われてしまえばそれ以上、その話を続けることは出来なかった。胸の中にもやもやは残るけど、あまり躍起になって否定しても、余計にメリッサを好きなことを誤魔化しているように取られそう。
(まぁいいか……いいわけじゃないけど、聞いてくれそうにないのだから仕方ない)
それに誤解されて困るようなことでもない。後でメリッサと二人になったら、変な誤解をされてしまったたことだけは言って謝っておこう。
諦めて細く溜息を吐いて、クライブの後に続いて馬車へと向かった。
――このときの安易な判断を、後で心の底から悔いることになるとも知らずに。




