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56 貧乳万歳!


 私としても、好きでこんな格好をしているわけではないと叫びたい。再びこの侍女服に袖を通すことになるなんて、夢にも思っていなかった。

 おかげで酒樽が届く前日に兄の元から届けられたこの服を見た時には、頭を抱えて呻いた。立場も忘れて、マジか!って思わず叫びそうだった。


(二度と着たくはなかったよね……)


 特に、クライブの前では。

 チラリとクライブを見やれば、私がこの格好をしていることは事前に承知していたのか驚いてはいない。

 ただ、やっぱりさりげなく私の胸を確認するのはどうかと思う。


「クライブ」


 片手をさりげなく胸の前に持ってきて、クライブの視線を遮る。以前も私に軽蔑されたのをもう忘れたの?

 上がっていた株が急激に暴落していくのを感じる。硬い声で呼びかけて蔑みの眼差しを向ければ、胸元にあったクライブの視線が私の顔へと移動した。


「申し訳ありません。以前より随分減っていると思いまして」


 なぜか笑顔で言われた言葉に、ヒクリと顔が引き攣りそうになった。


(貧乳で悪かったなっ!)


 反射的に平手打ちしたい衝動に駆られて、咄嗟に掌を拳に変えて堪える。

 今回、胸の詰め物はしていない。

 以前は兄の部屋で着替えたから入っていた胸の詰め物は全部使ったけれど、今回はメル爺の屋敷で着替えたので詰め物は置いてきた。

 貧乳とはいえ、日頃潰して生活していると息苦しく感じる時がある。女装の際に胸に詰め物をするのも、結構窮屈に感じる。そこでふと、そんなに胸が大きい必要ってないのでは? と思い立ち、今回は完全に自前でやってきた。したくもない女装をするのだから、これぐらいの利点はあっていいはず。

 つまり今クライブがけなした私の胸は、本来の私の胸。


「大きくても邪魔なだけですから」


 吐き捨てるように告げて、とりあえず樽から出るべく両手を樽の縁に突いて上半身を乗り出した。

 言っておくけど、負け惜しみじゃないから! 前の生ではそれなりに胸が大きかったけど、肩が凝るし、走ると揺れて痛いし、サイズの大きなブラは高いし、何も良いことなんてなかったから!

 誰に言い訳しているのかわからないけど、脳内で叫んでから嘆息を一つ吐き出す。


(それに胸は小さい方が女であることが前面に出なくていい)


 女だとバレるような真似を人前でしたくはない。だけどこれが一番立場を誤魔化せると言われてしまえば、反論も出来なかった。


(確かに、私が侍女として兄様に同行しているとは誰も思わないだろうけど)


 どこの世界に弟皇子を侍女に扮して連れていこうと考える兄皇子がいると思うのか。

 カムフラージュとしては、これに勝るものはないというのは理解できる。窮屈な思いをさせると兄が言ったのは物理的な意味だけでなく、精神的な意味も含まれていたに違いない。

 ただ幸いなことに、たぶん兄の近衛は兄の女装を見たことがあるだろうから、あの人に比べたら私の女装など生ぬるく感じるに違いない。

 きっと脳内で駄目出ししてくれるだろうから、それだけは一安心。兄の女装の足元に及ばないと、ぜひとも思っていただきたい。


「クライブ、樽から出たいのですが」


 それはそれとして、樽から大きく身を乗り出したものの下りるための台が見当たらなかった。

 踝まであるロングのエプロンドレス姿なのでどうかとは思うけど、これは飛び降りるしかなさそう。しかし飛び降りるためには、目の前にいるクライブが邪魔だった。


「はい。失礼します」


 どいてほしい、というつもりで言ったのに、いきなり脇の下を両手で掴まれて抱え上げられた。


「ぎゃぁっ!」


 思わず怪獣みたいな変な声が出た。

 きゃっ。という女の子らしい声が出せなかったことが恥ずかしいけど、私の立場を考えれば結果オーライ。


(それより胸っ!)


 脇だからセーフ!? 万が一、手が触れていたとしても詰め物だと思われてセーフ!?

 私の悲鳴を無視して全身が浮遊感に包まれたのは一瞬で、体を強張らせて目を白黒させている間に足が床の上に着いた。


「私は飛び降りるからどいてほしいと言いたかったのですが!」

「結果としては同じでしょう。飛び降りて足を挫かれても困ります」

「そこまで運動音痴ではありませんっ」


 クライブは悪びれずに言うけど、同じじゃない! こっちは命が掛かっているんだから!

 心臓がドッ、ドッ、とうるさいぐらい飛び跳ねている。私の文句に悪びれもせず答えたクライブを見る限り、私の胸には気づいてない……ように見える。

 もし万が一、ふにゃっと感じたとしても詰め物だと思っただろうし、そもそも気づかれないレベルの貧乳な自信もある。肉より骨の方が勝ったのだ。助かった!


(貧乳万歳!)


 しかし、いつまでもクライブとこんなことを言い合っている場合ではなかった。

 荷馬車の外を見れば、まだメリッサが目を丸くして絶句している。その大きな瞳が、私と目が合うと見る見る内に潤んでいく。


「メリッサ!?」


 ぎょっとして、クライブを置いて慌ててメリッサの傍まで駆け寄った。

 どうしたの。なぜ泣いているの。

 猛烈に焦ったけれど、よく考えたら本当にいるかどうかわからない私と合流するまで、きっと気を張っていたに違いない。私の姿を見たら安心して涙が出てくるのは当然だと思う。メリッサだって、まだ14歳の少女なのだから。


「ごめん、メリッサ」


 急いで荷馬車から下りて、涙の滲んでいる顔を覗き込んだ。

 変装のつもりなのか、それとも私の知らない社交用なのか、その顔には珍しく綺麗に化粧が乗っている。おかげで元々大きな目はよりぱっちりとしているけど、瞬きをして涙が溢れたらそのメイクが溶け落ちてしまう。


「せっかく可愛くしているのに、泣いたらお化粧が崩れてしまうよ?」

「そんなことはどうでもよいのです!」


 ポケットからハンカチを出して溢れそうな目尻を拭えば、大きな目を鋭く吊り上げて怒られてしまった。


「そんなことよりなぜアルフェンルート様がこのような扱いをされた上に、侍女の格好を!? こんなのあんまりです……ッ!」


 奥歯を噛み締めて、心底悔しそうに呻く。

 どうやらメリッサの涙は安堵の涙ではなく、悔しさからくるものだったらしい。思えばメリッサが泣くのは、悔し涙が多かった。我慢はしているけど、誰の目もなければ今にも地団太を踏みそうな勢いがある。

 たぶん傍から見たら、皇子である私がこんな扱いをされた上に女装させられていることを怒っているように見えるだろう。

 でもきっとメリッサの中では、女である私がこんな目に遭って、更に女装するにしても仕える侍女の姿をさせられていることに怒り狂っているのだと思う。長い付き合いだから、それぐらいはわかる。


「樽に積まれる経験なんてなかなかできないから、これもいい体験だったと思えば……」

「そんな経験をなさる必要はありません!」

「それに案外ドレスって、足元が涼しくて快適だから夏場は悪くないね」


 仕方なく、ここはフォローに回る。

 なぜ私本人が怒っていないのに、怒られなければならないのか……釈然とはしないけど、多分メリッサは私の代わりの怒ってくれているので咎めるのも可哀想。

 それに樽詰め経験はともかく、スカートが涼しくて快適なのは事実。

 夏場にはスカートの方が断然楽だと思う。それに女装ならトイレも女子扱いになるだろうし、誤魔化せて一石二鳥。着慣れていないから長い裾が足にまとわりつくのは面倒だけど、案外悪くない。

 それにこの国の侍女の制服は濃紺のスタンドカラーのロングドレスに、白い前当て付きエプロンというクラシカルなメイド服になっていて可愛い。特に兄付きの制服は袖口とエプロンの裾に2本ラインが入っているから、セーラー風の雰囲気があってとても可愛い。

 例えばこれが自室で、女だとバレる心配さえなければ、着られたら嬉しい服だったと思う。

 今は色々と支障があるから、素直に喜べないけれど。


「そういう問題ではないでしょうっ!」

「私だって、出来れば近衛の制服の方が着たかったけど仕方ないでしょう」


 誤魔化すなら衛兵の制服でもよかったと思うけど、私の体型じゃどう考えても騎士のフリは無理がある。

 眉尻を下げて言えば、背後からクライブが驚いたように声を掛けてきた。


「アルト様は近衛の制服が着たかったのですか?」

「だってかっこいいでしょう」


 問われたそれに素直に頷く。一度ぐらい着てみたいと密かに思っていた。

 黒い制服は式典の時は長いマントも付いて、とてもかっこいい。あの正装はドレスよりも断然着てみたい。厨二心をくすぐられる服だと思う。

 しかし私が着たところで、似合うかと言われると着せられてる感が強いと思うけど。


「僕のを貸しましょうか?」

「いりません。サイズの合わない服を借りてもどうしようもありません」


 軽い気持ちで言ったので、いきなりわけのわからない申し出をされて眉を顰めてしまった。そんな安易に貸し出していい服でもないでしょう。クライブがやたら親切?すぎてちょっと怖い。

 内心警戒する私に気づいていないのか、「では」とクライブが朗らかな笑顔を向けてくる。


「大きくなられたら貸して差し上げます」

「……そこまで大きくなる予定はありません」

「わかりませんよ。シークヴァルド殿下もあっという間に身長が伸びましたから」


 男にしてはまだ全然小さい私を励ましているつもりなのだろうけれど、純粋な期待が重い。

 前に兄ぐらい大きくなれと言われた時も思ったけど、クライブはいったい私に何を期待しているの。ならないから。なれないから。


(私は男じゃないのだから)


 こういう時に、自分の限界を思い知らされて息苦しい。

 私はいつまで、どれだけ欺き続ければ済むのだろう。

 無意識に溜息を吐いて、決まり悪くて目を逸らした。


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