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55 マジックショーではありません


 暗く狭い中、小さく体操座りしている体にひたすらゴトゴトと車輪の揺れる振動が伝わってくる。

 体に負担が少ないよう、メル爺の奥方であるスラットリー夫人がクッションをたくさん置いてくれた。しかし王都を出たと思われる辺りから、道は整備された石畳から砂利道へと変わったらしい。道が悪くなったせいか揺れが激しくなった。

 乗せられているのが荷馬車だから、元々快適な乗り心地とは言い難いせいもある。おかげで私の目もどんどん虚ろなものへと変わっていく。


(兄様が手段を選ばないのは知っていたけど、まさか本当にこう来るとは思わなかった)


 現在、約束通りランス領へ移動中である。

 事前に兄から「少々窮屈な思いをさせることになる」とは言われていた。私の身を隠して行くことになるわけだから、多少の不便や我慢は納得の上だった。もしかしたらズタ袋に詰められて移動することになったりして、と考えたりもした。


(ズタ袋よりマシだけど、酒樽に詰められることになるとは思わなかったよね!)


 日が昇る直前の早朝、メル爺の屋敷に御用達の酒屋が空の酒樽を届けにきた。

 メル爺は酒豪なので、定期的に酒樽を購入している。それを利用して、新旧の酒樽を入れ替えるように見せかけて、私を樽に詰めて出荷したというわけである。

 メル爺御用達だけあって、酒屋の信用はお墨付き。とはいえ、内心猛烈な不安はあった。

 だって、誤って違うところに出荷されたら洒落にならない。それにもしかしたら、移動と称してこのまま売り飛ばされる可能性も脳裏を過ったりした。

 一時的に酒屋に置かれた樽の中で息を潜めて迎えを待つ時間は、本っ当に長く感じられた。

 不安と緊張で心臓はずっとドックンドックンと大きく鳴り響いていて、その音が周りに聞こえるんじゃないかと気が気じゃない。

 実際には10分もなかったと思うけど、情けなくも半泣きになっていた。樽には蛇口を付ける穴が一つだけ空いているとはいえ、暗いし、狭い。こんな場所に一人詰められて、不安になるなという方が無理でしょ!?

 そのせいで酒屋から兄がランス領に持っていく酒樽として荷馬車に乗せられる際、クライブの声が聞こえてきたことに心底ほっとしてしまった。


『もうしばらくの辛抱ですから』


 私にだけに聞こえるよう、小さく早口で気遣うその一言にどれだけ救われたか。

 ……相手はクライブなのに。

 いつの間にこんなに安心する存在になってしまっていたのか。それがちょっと悔しい。


(悔しいというか……クライブに安心していては駄目なんだけど)


 結局、兄にはまだ女だと告げられないままだ。

 天邪鬼にも程があると自分でも思うけど、自分で考えていた以上に自分の存在が面倒なことになっている。

 他の誰かに相談することも考えはしたけれど、私に前の記憶があるということはどう話せばいいかわからない。

 それにこういう人間が王家に現れることは、公にされていないと兄は言った。

 ということは、軽々しく口外してはいけない部類の話になるのだと思う。


(それに、こんなことを話して白い目で見られたら)


 考えただけで、背筋がゾッと凍りつく。

 ただでさえ信頼できる人が少ないというのに、その人達に化け物を見るような目で見られたら?

 いくら私だって心が折れる。そうなったらもう立ち直れない。

 逆に、この知識のせいで私を立てるべきだと持ち上げられたりしたら?

 たかだかオタクのOLの知識で国が治められるわけがない。兄の王位継承権を脅かすようなことになったら本末転倒だ。そうなっては意味がない。


(詰んでる)


 体中の息をすべて吐き出すように、細く長い溜息を吐いた。

 こういう時、転生者らしくそろそろ全てが上手くいくようなチートな力が使えるようになってもよくない?

 全然そんな予兆がないのだけど。いつまで経っても、ただの人間でしかないのだけど。どう考えても、私がここにいるのは人選ミスとしか思えない。

 現実逃避でそんなことを考えてしまうぐらい、行き詰まってる。


(こんな状況でランス領に遊びに行くというのもどうかと思うんだけど)


 私がランス領に向かうより先に、メリッサとセインとラッセルは城に帰っていった。メル爺は怪しまれないよう、その前から通常運転に戻っている。

 メリッサだけはランス領に一緒に連れてっていいと言われているので、この後で合流することになっている。

 けれど、セイン、ラッセル、メル爺は城に残る。

 私は自室で寝込んでいる、ということにするためのカムフラージュとしては必要なことだ。寝込んでいる時はずっと私に付いているメリッサはともかく、あの3人の姿がいつまでも見られないのは不審に思われてしまう。

 それに加えて、彼らには別の役割が与えられている。

 現在、城の警備は陛下直々の指示下にある。だが敵が誰か判明していない以上、万が一ということも考えられる。これまで私が城から避難していたことは、相手側にも漏れていると考えた方がいい。

 だから今回、私も城に戻ったふりをして、尚も仕掛けてくるかどうかを様子見するという役割をセイン達は負っている。

 いわば、囮だ。

 そうでなければ、メル爺が私と戦力外のメリッサだけをランス領に送り出すことに頷くわけがない。

 しかし個人的には、この案には最初頷けなかった。だって城に残る側は、危険な目に遭う可能性があるということである。

 けれどもし本当にまた何か起こった場合、私がいる方が足手まといになる。いない方が楽だと言われてしまえば、渋々頷くしかなかった。

 セインには、別れ際に「ごめん」と謝られた。

 こちらに付いていけなくてごめんと言いたかったのだろうけど、むしろ謝るべきは私の方だった。危険な目に遭わせてしまうかもしれないことを、強いているのだから。

 ただ、何かが起こると決まったわけではないのが僅かな救い。それにこのまま私がランス領にいる間に何も起こらなければ、城に戻れることになっている。ひたすらそれを祈るばかり。

 このぐらいの安全確認はしないと、兄は私を城に戻す気になれないらしい。


(本当にそんなに守ってもらうほど期待に沿える人間じゃないのだけど)


 魔法が使えるわけじゃないし、頭のいい科学者でも、食べていくための術と自然をよく知る農水産業者でもない。

 せいぜいおばあちゃんの知恵袋的な小技を知っている程度。


(ほんとに困る。これからどうしよう)


 ただでさえ暗くて狭い中で縮こまっているせいで、気持ちが沈んでいきそうになる。

 そのとき、荷馬車が止まる振動が体に響いた。

 ビクリと体を竦ませて、息を詰めて必死に耳をそばだてる。しばらくして、周りから人が話すざわめきが伝わってきた。緊迫した空気は感じ取れないので、結構な距離を走ってきたから休憩するのかもしれない。

 そうとわかって、ほっと小さく息を吐く。


(ところで私はいつまで酒樽の中にいたらいいの)


 もうそろそろ出してもらってもいいんじゃない? それともランス領に着くまでここにいろとは言わないよね!?

 三半規管が弱くなかったことが唯一の救いとはいえ、エコノミー症候群が心配になってくる。今日の夜遅くに着くとは聞いているけど、それまで樽詰めは勘弁してほしい!


「――こんなところにいらっしゃるというのですか?」


 不安に襲われていたところに、聞き慣れた少女の声が聞こえていた。


(メリッサ!? よかった、本当にメリッサも連れてきてもらえたんだ……!)


 それだけで安心感が一気に跳ね上がる。

 私の身の回りの世話ができる慣れた者も必要だろうということで、メリッサも一緒に行く許可を貰えていた。メリッサは城から密かに合流することになっていたけれど、無事に来れたようで本当によかった。

 安堵をしみじみと噛み締めていると、人が近づいてくる気配がする。


「アルト様」


 私を呼ぶ声が聞こえてきて、それだけで無意識に詰めていた息が零れ落ちてしまう。


(……安心しちゃいけないのに)


 そう自分に言い聞かせて、一度歯を強く噛み締めて気持ちを引き締める。

 その間にガタガタと頭上が騒がしくなり、蓋が開いた。急に入ってきた光のあまりの眩しさに反射的に目を閉じる。


「っ!」


 一度ぎゅっと閉じた目をゆっくりと持ち上げて、顔も上げる。

 目を開けば心配そうに覗き込むクライブと目が合って、一瞬どんな顔をしたらいいかわからなくなった。

 その結果、安堵してしまったのを隠そうとして咄嗟に顰め面になってしまう。


「申し訳ありません。大変お待たせしました」


 けれどクライブは、樽詰めにされていれば私の機嫌が悪くなっても当然だとでも思ったらしい。特に気にした様子もなく、眉尻を下げて優しく笑いかけてきた。

 予想外に向けられた笑顔が直視できなくて、「大丈夫です」と首を振ってぎこちなく視線を逸らす。


(なに? なんなの? 何か企んでるの?)


 渋い顔をするのを予想していただけに、いきなり大歓迎ムードで慄く。

 確かに近頃クライブはやたら好意的にはなったけど、今日は特にどうしたというの? はっきりいって、私が一緒に来ることは迷惑以外の何物でもないと思うのだけど。

 しかしとりあえず今は、ずっと同じ体勢で凝り固まった体を叱咤してゆっくりと立ち上がった。大きな樽なので、立ち上がっても私の胸ぐらいまでの高さがある。

 周りを見渡せば幌付きの荷馬車の中、クライブの向こう側、荷馬車のすぐ外にメリッサがいるのが目に入った。元々大きな目を更に真ん丸く見開いて、なぜか信じられないものを見る目で私を見ている。


「……アルフェンルート、さま?」


 驚愕を顔に張り付け、震えた声で呼びかけられた。

 私が酒樽から登場したのを、世紀のマジックショーを目の当たりにしたかのような顔で見ている。


(もしかしてメリッサも、私がどうやって運ばれてくるのか知らされてなかった?)


 それとも。


「なぜ、こんなっ。それにどうして、そのような恰好をされているのです!?」


 私が侍女の服を着ていることが、信じられなかったのかもしれない。




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