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44 頼むからお引き取りください


 今すぐにでも卒倒したい気分を何とか持ち堪え、焦燥で乾く喉を一度こくりと嚥下させた。


(私があのとき無茶を言ってしまったせいで、これ幸いと私の近衛にされた……?)


 昇格する予定だとは聞いていた。

 それが近衛騎士だとは思ってもみなかったけど、死にそうなほど体調が悪かったはずなのに咄嗟に私を庇ってくれた時の反応と身のこなしを考えれば、その腕に間違いはない。

 でも本来近衛であれば、王か王妃か兄、それと国の要人に配置されたはず。

 まかり間違っても、第二皇子である私に配置されることなどない。これまでだって、一度もなかった。そしてこの先もありえないはずだった。

 だって私は確かに、陛下に辺境の地にでも追いやってくれと頼んだ。夢でも見たのでなければ、間違いなくそう告げた。そして陛下も「わかった」と言ってくださった。

 あれは絶対に、聞き間違いではない。


(それでどうして近衛が寄越されるの!?)


 近衛騎士は、すなわち陛下の私兵的な扱いである。

 兄の近衛の場合は一部、兄の管轄になってくるので少し違ってくるけど、それ以外の近衛騎士は王の管轄だ。

 今まで私には近衛は付けられていなかった。それはつまり、王の庇護対象ではないということを示していた。そうすることで王は第一皇子である兄を擁立しており、私は王位に近づけさせないと周りに知らしめていたと言える。

 それが一転して近衛を配備するなんて、どういうつもりなの。


(私としては、体が弱いから田舎の空気の良い場所で静養させる的な理由で、さっさと飛ばしてもらえればよかったのだけど!)


 しかしそれは頭で考えるほど、実際にはそう簡単にはいかない話である。

 世間的に私は、王のあからさまな待遇差を憐れまれ、祖父であるエインズワース公爵に擁護されている、ということになっている。

 ……実際のところは私を利用して、隙あらば王位を覆そうと目論んでいるわけだけど。

 そして現在、ここで問題となってくるのは血筋だ。

 私は女だから本来は王位継承権などないわけだけど、皇子として考えれば第二子ではあるとはいえ血筋で言うと最も王家に近い。他国の、しかもほぼ益もない小国の王女の血を王家に入れることを面白くないと思う者からすれば、兄ではなく私を推したい気持ちもわかる。

 それ故に、王が安易に私を遠ざける真似をすれば、現王は連綿と続いてきた血統をないがしろにするつもりだという理由を掲げて、内乱を起こされかねない。


(だからとりあえず先に私を擁護する姿勢を見せておいてから、やっぱり弱くて使えないから本人の為にも辺境で静養させる……ってことにしたいの?)


 そうなるとかなりの長期戦になるように思える。最低でも1~2年はかかりそう。だけど少なくとも私が成人するまでにはキリをつけてくれるはず。

 そういうつもりで今回この人を近衛として寄越した、というのなら理解できる。理解は、出来るけど。


(そんな長期間、傍に仕える近衛相手に女だってことを誤魔化しきれるとは思えない…っ)


 現在、私に付けられているエインズワース公爵が手配している衛兵も、私の事情は知らされていない。

 だけど彼らは、有事の際以外は私の私室に許可なく立ち入ることは一切許されていない。あくまで門番的な扱いで、たまに外を出歩くときに護衛をするだけ。接する時間はごく僅か。それにまだ私も幼かったから、性別の差などそこまで顕著でなかったのも幸いした。

 でも、近衛は違う。

 傍近く控え、片時も離れることなく守護に当たる。当然、同じ部屋にいる時が圧倒的に長い。しかもそれがこの先ずっと、となると……


(どう足掻いても無理でしょうっ)


 今月は生理が終わったばかりだからまだいいとしても、この先どうやって誤魔化せというのか。生理不順気味とはいえ、それでも毎月似たような時期に体調を崩すのは明らかに怪しい。

 でもそれを無事に乗り越えたら、自由の身になれるかもしれない、という期待もある。


(最低でも、私が成人するまでのあと十数回……?)


 いや、やっぱりそれはどう考えても無理。ほんとにいくらなんでも、どれだけ楽観視しても無理がある。


(彼には、私の近衛を辞退してもらうしかない)


 彼を退けたところで、また新しい近衛が寄越されるだけの可能性は限りなく高い。とはいえ、とにかく今は目先の問題をどうにかするのが先決だ。

 それに出来るだけ引き延ばして先送りし続ければ、人見知りが激しすぎてまともな人間関係も作れない皇子だと、傍目にも判断される。今までも出来る限りそうしてきたつもりだけど、これはこれで辺境に追いやる言い訳に使えるはず。

 いくら血統を重んじる相手でも、自分達の益になりそうにない皇子を擁立はしないだろう。

 そうと決まれば、お引き取りいただくために息を吸い込んで口を開いた。


「そう言っていただける気持ちは有り難いのですが、生憎と私は、本当に貴方を私の騎士にするつもりでいたわけではないのです」


 残酷だとは思うけど、眉尻を下げて正直にこんなつもりじゃなかったと口にした。


「あの時はああするしか思いつかなかったので便宜上そうしただけであって、貴方の体調が戻れば正式な部署に戻すつもりでした」


 しかし、この申し出は彼にとっても有り難いはずだ。

 せっかく近衛騎士という花形の職業へ昇格したというのに、初っ端から私という外れクジを引かされることになった彼は、体のいいスケープゴートだ。

 昇進前はクズな上官にパワハラされ、昇進後は駄目な主人に仕えることになるだなんて、あまりにも可哀想すぎる。柔らかな立ち居振る舞いと穏やかな表情からは胸の内が読み取れないけれど、さぞかし自分の不運に嘆いたに違いない。


「私から兄様にご相談して、本来配置されるべき部署にしていただくようお願いしましょう」


 そうすれば、貴方も助かる。私も助かる!

 強張りそうな顔の筋肉を総動員して安心させるように微笑みかければ、向かい合っていた相手は困ったように微笑んだ。


「殿下のお心遣いには恐れ入ります。ですが、それには及びません」

「え……」


 優しい声で、けれどはっきりと予想もしない断りを入れられて息を呑んだ。


(断るの!? 本気!?)


 考えてみれば、一度ぐらいは遠慮しないと体面的にまずい。即座に「ぜひお願いします」とは言えないだろう。きっと心の中では歓喜の声を上げているはず!

 そう期待する私の前で、しかし彼は真摯な眼差しを崩さなかった。


「任じられたのは陛下ではありますが、アルフェンルート殿下にお仕えすることは私自身も望んでいたことです。貴方にお仕え出来ることを光栄に思います、殿下」


 迷いもなく告げると、ふんわりと柔らかく微笑まれた。

 慈愛に満ちた眼差しと向けられる微笑みはお世辞に見えなくて、思わず返す言葉を失くす。


(なにを言っているの、この人……?)


 本心から言っているように見えて、動揺が隠せない。

 近衛に選ばれるぐらいだから、腕だけでなく当然人柄も保証されている。稀にクライブのような人もいるからアレだけど、それにしたって人徳者すぎる。

 私があの時庇ったりしたから、変に義理立てしてる?

 だけどそういうの、本当にいりませんから!


「私はそう思っていただけるような、大層な人間ではないのですが……もっとお仕えするに相応しい方はいるでしょう? 遠慮はなさらなくてもよいのです」


 兄様とか。兄様とか。それに陛下とか。見た目からしてとっつきにくそうなあの人たちには、貴方みたいな優しげで柔らかい印象の人が傍にいる方が良いと思うのです! 私なんかではなく!

 必死に食い下がる私を見て、ラッセルはなぜか悲しそうに眉尻を下げた。


「僭越ながら、貴方以上にお仕えしたいと思う方はおりません。ですが殿下は、私では信頼に値しないと仰られるのでしょうか……」


 そう言って、捨てられそうな犬みたいな目をして私を見つめてくる。

 自分よりずっと年上の相手を跪かせた状態で、そんな縋るような目で見られて突き放すのは至難の業だ。思わず心が揺らいで、ぐっと詰まった。

 それでも今は、心を鬼にして言わなければならない。


「信頼しようにも、私は貴方のことをよく知りません」


 顔を強張らせて、素直に告げる。

 せめて一時的とはいえ自分の騎士にした人のことぐらい事前に調べておけばよかったけど、調べたところで私は同じこと言っただろう。 本音を言えば、あの時あんな状態なのに助けてくれたことを考えれば、けして悪い人ではない。信頼できる人であるとも言える。

 だけどどれだけ心を向けられても、彼がどれほどの人徳者であっても、私を脅かす敵でしかないのだ。

 近衛になれるぐらいだから王の思想に沿う相手、即ち第一皇子派だと思っていたけれど、ここまで食い下がるということはもしかしたら隠れ第二皇子派なのかもしれない。けどそれならば余計に受け入れられない。

 私はこれ以上、この腕に抱える荷物は増やせない。

 守り切れないとわかっているのに、一時の感情で手を差し出すことは出来ない。


(だから、引いてほしい)


 唇を引き結び、逸らされることのない茶色の瞳をまっすぐ見据える。

 数秒見つめ合って、先に少しだけ息を吐いて眉尻を下げたのはラッセルが先だった。


「わかりました……。確かに、アルフェンルート殿下の仰る通りです」


 神妙な顔をしてそう言われたので、引いてくれるかと安堵で少し肩から力が抜ける。


「それではこれから信頼に足り得る人間になれるよう努力しますので、今しばらく様子を見てはいただけませんか? 必ずやご期待に沿えるよう、尽力します」


 しかし返ってきた言葉は、私が望んでいたものではなかった。


(だからそうじゃなくて! 努力とか、尽力とかしてほしいわけじゃなくて!)


 さすが、近衛に選ばれるだけはある。

 真摯に投げかけられたその言葉から、彼がとても真面目で努力家なことが窺えた。どれだけ甘い言葉を投げかけられても、自分の意志や立場を安易に崩さない様には思わず感心しそうになる。

 個人的には、こういう人は好きです。

 が! 受け入れられないと言っ……


「お願いします」


 そう言って頭を深々と下げられたら、それ以上拒否する言葉が喉の奥で引っかかった。これは私が頷くまで、絶対に頭を上げない気だ。そういう意思がひしひしと伝わってくる。

 咄嗟に救いを求めてセインを見れば、お手上げだと言わんばかりに沈痛な顔をして首を僅かに横に振られた。メリッサも困惑を隠しもせずに、どうしましょう、と目で訴えてくる。


(……こうまで言われて拒否するのは、さすがに角が立つ)


 それにここまで悪足掻きはしてみたけれど、彼も陛下に任じられている以上、私の意志だけで簡単に解雇できないというのも事実。


(仕方がない。覚悟を決めるしかない)


 無意識に拳を握りしめて、「わかりました」と頷いた。

 私の言葉に弾かれたようにラッセルは顔を上げると、とても嬉しそうに微笑んだ。

 ……そんな顔をされると、ものすごく胸が痛むのだけど。


(こうなったら、ものすっごく我儘で駄目な皇子っぷりを見せつけて、愛想をつかしてもらうしかない!)


 こっちから解雇が駄目なら、向こうからお断りしたくなるような状況に持っていくしかない。

 そんな覚悟を決めて、私はラッセル・グレイという近衛騎士を私の騎士として泣く泣く迎え入れたのだった。



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