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37 それは棚からボタ餅的な


 こんな夜中に、こんな場所で、どうして王であるこの人がここにいるのか――。

 問われた言葉をそっくりそのままお返ししたい。

 しかし今はそんなことを考えている場合じゃなかった。頭の中は動揺の嵐に見舞われているけれど、反射的に深く頭を下げる。


「申し訳ありません…っ」

「謝罪の言葉を聞きたいわけではない。理由を訊いている」


 顔を伏せているから相手の表情は確認できず、淡々と話す声から感情は読み取れない。ただ当然ながら、上機嫌ではないのは確かだ。


(どうしよう!)


 心臓がバクンバクンとうるさくて、必死に言い訳を考えようとする思考を掻き乱す。

 王の左手は灯りの付いたランタンを持ち、右手には鞘は付いているとはいえ剣を持っている。


(返答如何によっては、剣でバッサリ……とか)


 元々この人にとって、私は邪魔な存在だ。これ幸いと処分するには、恰好の機会。

 無意識に握りしめた拳に冷たい汗が滲む。


「眠れなくて、少し散歩を……しようと思って出てきたのですが、暗くて……道に迷っていました」


 そうとわかっていても、今の自分に返せる言葉なんて事実しかない。緊張と恐怖で掠れる声を絞り出し、なんとか言葉を紡ぐ。

 ただ、自分で言っていてものすごく怪しい。

 皇子が自分の住む城で迷うなんて、ありえないにも程がある。しかもこんな時間に供も付けずに一人でふらふらと暗い中庭を徘徊するなど、暗殺でも企んでいるのか、もしくはただの狂人か夢遊病くらいしかない。

 そしてこの中で一番可能性が高いのは、間違いなく暗殺だと思われるだろう。

 近頃私が兄と交遊を深めていることは、さすがに兄からこの人には伝わっているはずだ。もし今の私が一人、こんな時間にこんな姿で兄の元に行けば「何かあったのか」と兄は迎え入れてくれるだろう。

 そこを狙って、私自身が兄を謀殺すると考えられても、おかしくはない。

 私自身でさえそう考えつくのだから、目の前の人がそう考えないわけがない。

 すると、目の前の相手から呆れ切ったような嘆息が漏れる。


(終わった……!)


 ぎゅっと固く目を閉じて、衝撃を覚悟して体を強張らせる。


「こんな時間に供も付けず、不用心だと思わなかったのか」


 しかし次の瞬間、降ってきたのは冷たい刃ではなく、呆れ切った声だった。


(……。え?)


 言われた言葉が理解できず、数秒固まった。ぶようじんって、……不用心?

 そして理解すると同時に、驚いて顔を上げて相手を見る。けれどランタンの灯りが逆光になっている上、月のない夜のせいではっきりとはわからない。

 ただそこから怒りは感じられなかった。


「信じて、くださるのですか?」


(こんな馬鹿みたいな話を?)


 実際、その馬鹿みたいに間抜けな話が本当に紛れもない事実なわけだけれども。

 目を丸くして思わずそう問いかければ、一瞬自分の周りの空気が重くなった気がした。


「嘘なのか?」

「いえ、本当です!」


 声の温度が一気に下がった気がして、慌てて首を横に振る。するとすぐに空気が僅かに和らいで「だろうな」と頷かれた。


「フラフラ出てくる姿を見かけたから、そんなところだろうとは思っていた。だが子供がこんな時間に一人で出歩くのは認められない」


 そこで目が合った気がして、まじまじと王の顔を見るという自分の無作法に気づいて慌てて顔を伏せる。


「申し訳ありません」

「夜は眠るものだ。眠れなくても、部屋で大人しくしているぐらいはできるだろう」

「……申し訳ありません」


 あまりにも尤もらしく親のようなことを言われて、動揺のあまり、馬鹿の一つ覚えのように謝罪を繰り返す。

 実際に、この人は自分の父親であるのだと頭の片隅で思い出す。

 一応この人でも、いくらなんでも実の子をその手で処分するのは気が引けた?

 

(これって、助かった? 助かったの?)


 まだ心臓はドクドクと早鐘を打っている。だけどこの様子を見る限りだと、いきなり切り伏せられるということはなさそう。

 助かった、と思っていいかもしれない。とりあえず、今は。


「わかったのならいい。送っていこう」


 そう思っていたから、王が剣を脇に挟んでランタンを右手に持ち替えてから、私に手を差し出してきたので目を剥いた。


(そこまでされるのは計算外すぎる!)


 この人が私に関心を示したことなんて、今まで一度だってなかったはずだ。

 それこそ私が生まれた時だって、考えてみればこの人が誕生した私をちゃんと見にきてさえいれば、私の性別を謀るなんて出来なかったはずなのだ。

 それなのに、この状況はどういうことなの。

 

(だいたいどうして私が部屋から出てくるのがわかったの)


 私の部屋から斜向かいに後宮が見えるということは、逆に後宮からも私の部屋はよく見えるということだ。実際、私の部屋は防犯も兼ねて外からよく見える位置にある。

 とはいっても、王の部屋がどこにあるのかまでは知らないけれど、私の部屋が良く見える位置の部屋だったとしても、部屋から出てきてすぐわかるということはよほど気にしていなければ難しいはずだ。


(監視されていた?)


 だが監視がいたというのなら、護衛も兼ねてこの人と一緒に来るはず。中庭とはいえ王を一人で出歩かせるなど考えられない。

 だとしたら本当に純粋に、気に掛けられていたとでもいうのだろうか。

 それでも一人でこんな場所に来るなんて、どういうつもりなんだろう。


(私について兄様がこの人に何かを言っていたのだとしたら、それを見極めに来た?)


 そこまで考えて緊張で体が強張る。ただでさえ想定外の事態に心が追いついていないのに、これ以上の負荷はご遠慮したい。

 そうでなくても今の私は寝間着姿だ。ゆったりとした厚地のガウンを羽織っていて、周囲も暗いとはいえ、万に一つも性別がバレるような危険は避けたい。

 そもそも王に部屋まで送らせるなんて、身の程知らずにも程がある。


「そんな、陛下のお手を煩わせるわけには参りません。帰り道を教えていただけたら、一人で戻ります」


 慌てて首を横に振って辞退しようとしたものの、「こんな時間に子供を一人で出歩かせるわけがない」と厳しい声で撥ねつけられた。


「それにいちいち説明するより送った方が早い。わかったら早くしろ。私は眠い」

「…っはい」


 一気に声が不機嫌になった気がして、慌てて差し出された手を取る。するとその手はちゃんと握り返された。


(う、うわぁ……)


 思ったより大きい手はあたたかくて、私の手を引いてさっさと歩き出す。

 けれどしばらく歩いてから、なぜか足を止めた。


「寒いのか?」

「! いいえ!?」


 不意に顔を覗き込まれ、瞳の色すらわかる距離の近さにぎょっと顎を引く。

 なぜいきなりそんなことを言われたのかと息を呑めば、「指が冷たい。震えているだろう」と容赦なく突っ込まれた。

 それは貴方に対する恐怖と緊張のせいでしかないのですが、とは勿論言えない。

 返答に詰まって引き攣った私を見て、感情をあまり出さない顔が僅かに顰められる。

 ふと、その表情に既視感を覚えた。


(この顔、前にも見た気がする……?)


 自分の父親なのだから、見たことあるのは当然のことなのだけど。いやでも、私はほとんどこの人の顔なんて見たことがなかったと思うのだけど。

 私を見て、不快な表情をさせているかもしれないと思い知ることが、怖かったから。

 実際、今も臀部まで隠れるほど長い波打つ金髪と、寝巻きらしいとはいえ着ている服の系統、そしてこんな場所にいることから王だと判断していると言ってもいい。暗いから顔がわかりにくいというのもあるけれど、そもそもちゃんと覚えてもいない。

 ただ雰囲気は最初と違い、玉座に座っている時とは少し違うので違和感はあるけれど。でも陛下と呼んで否定しないのだから、やはりこれは王本人なのだと思う。間違いなく。

 小さく嘆息を吐き、再び王は歩き出す。少し早足になったのは、はやく部屋に返そうと思ったからなのだろう。


「そういえばここ3日寝込んでいたな。病み上がりで夜中に出歩くなど、馬鹿なのか」

「……申し訳ありません」


 けれどその既視感は、すぐに別の動揺と衝撃に押し流されて消えていく。


(私が寝込んでたことまで、把握してるんだ……!)


 この人は本当に私に欠片も興味がないのだと、ずっとそう思っていたので意外だ。

 確かに私はこの城の中で要注意人物なわけだから、それぐらいの監視は当然のこともかもしれないけれど。


(ということは、この人は一応、私の日常を知ってるんだ)


 それならば私がこのところ寝込む頻度が増しているということも、知っているということだ。

 実際にはその半分以上は生理のせいで引き籠っていただけではあるけれど、傍から見れば脆弱さが増したと思われているはず。

 こんなに病弱ならば使いものにならないと、普通なら考える。


(それなら)


 もしかしたら私は今、最大のチャンスの前にいるのかもしれない。

 こんなところで王と遭遇するなんて、本当に私は運がないと思っていた。私は毎度どこまで馬鹿なのだろうとも思っていた。

 でもよく考えれば、こうして二人きりで王と対面している今こそ、自分の気持ちを訴えるチャンスだ。

 この悪夢のような状況から抜け出せる、絶好の機会を手にしていると言ってもいい。

 ドクンッ、と一際大きく自分の心臓が跳ねた気がした。


「陛下」


 意を決して、自分から呼びかけた。無意識に引き留めるように、繋いだ手を握る力が入る。

 すると、何かを察したのか王が足を止めた。私の方に視線を向けるのを感じる。

 けれどさすがに顔を上げて真っ向から見返す勇気はない。それでも勇気を振り絞って、口を開く。


「私のこの身では、この先ここにいたとしても、何のお役にも立てないと思うのです。むしろ足を引っ張るばかりで、兄様の邪魔にしかなりません」


 こういう言い回しをすれば、日頃の私の生活から、きっと勝手に病弱であることを指しているのだと察してくれるはずだ。

 それでも、ドクン、ドクン、と心音がうるさい。指先まで心臓になったみたいに感じて、もしかしたらそれは目の前の人にも伝わってしまっている。けれど今はその方が都合が良かった。

 私が本当に真剣に、切実にそう思っているのだと、わかってもらえる気がした。


「ですから、どうか私を、兄様の邪魔にならない場所まで遠ざけてほしいのです」


 微かに聞こえていた虫の鳴く声も、今は全く耳に入ってこない。ただ自分の息と、心音と、祈るように絞り出される声だけが、やけに大きく響いて聞こえた。

 遠ざけてほしいと兄に言ったとき、兄はあまりいい返事はしなかった。難しいことなのだろうとは、理解している。

 それに生まれ育った場所を離れて、全く知らない場所に行くことに恐怖がないわけじゃない。

 でも、これでもしかしたら辺境の地にでも飛ばしてもらえたら、女だとバレる可能性は格段に下がる。この国は広いから、本当に辺境の辺境ならば、物理的に王都にもそうは来られはしない。死ぬまで王都に行かないというわけにはいかないだろうけれど、多くても年に1度程度の挨拶ぐらいで済めば誤魔化しも利く。


(もしこれがうまくいけば、メリッサもセインも自由にしてあげられる。私だって、死ななくて済む)


 性別を偽っているとはいえ、自分が恵まれた環境で育ったことは理解している。その今まで与えられてきた生活、環境、周りの人もすべてを手放すことになるのだろう。


(メリッサに付いてきてほしいなんて言えないし、セインだって自由にしてあげたい。メル爺とも、お別れになる。兄様は当然……そっか、クライブにも、会えなくなるんだ)


 チクリ、と胸を刺した針に気づかないフリをする。

 縋るように握る手の力だけが滑稽な程に必死で、だけど今の自分はこの手に縋ることだけが救いに思えた。

 王の力をもってしても、エインズワース公爵家を制することは難しいことは理解している。私を下手に辺境の地に追いやれば、それを理由に内乱を起こされかねないということも理解している。

 それでも、どうにかしてほしい。

 元々この人にだって責任はあるのだ。

 この人が最初からちゃんと私と向き合っていれば、そもそもこんな風に捩れる事態にはならなかった。

 こんなふざけた謀を許してしまう隙を見せた王にだって、なんの責任もないとは言えない。


(せめてこれぐらいの罪滅ぼしをしてくれてもいいでしょう!)


 私の出来ることには限界がある。もう既にいっぱいいっぱいで、出来ることなんて、もうこれぐらいしか思いつかない。

 目頭が熱い。ぎゅっと、きっと痛いほど繋いだ手を握ってしまっていた。緊張で今にも口から心臓が飛び出してきそう。

 返事を待つ時間は僅かだったはずなのに、途方もなく永く感じた。


「おまえの気持ちはわかった」


 吐息混じりに告げられた言葉を聞いて、弾かれたように顔を上げた。


「本当、ですか?」


 全身から力が抜けていくようだった。

 必死に足を踏ん張っていたから実際にその場に腰を抜かすことはなかったけれど、止めていた息を吸い込んだせいか、一気に頭がぐらりと揺らぐような感触に襲われる。


(本当に? 本当にわかってくれた?)


 もういつ死ぬんだろうって、怯えないでいい?

 大事な人たちまで一緒に巻き込んで死なせてしまうかもしれないって、恐れなくてもいい?

 たとえ王でも現時点でもここまで捩れているわけだから、早々簡単に思うように事が済むとは思ってないけど、それでも。


(期待して、いい?)


「こんな時に嘘を言ってどうする」


 呆れたような声を聞いて、元々熱くなっていた目頭が更に熱くなるのを感じる。じわりと視界が揺らぎ、けれど零す様を見せまいと下を向いて唇を噛み締めた。

 それを察してくれたのか、王の手が再び私の手を引いて歩き出す。

 暗いからぐるぐるしていただけで、どうやらそこまで私の部屋からは離れていなかったらしい。気づけば自室の前まで辿り着いていて、2階の寝室があるテラスへと上がる階段を上がっていく。


「今日はもう遅い。さっさと眠れ」


 そう言って、王の手が私が出てきた時の観音開きの窓を開けて私を押し込んだ。

 頷いて情けなくグスリと鼻を啜りあげる私を見下ろし、繋がれた手が解かれる。代わりに、その掌と指が涙に濡れた頬を乱暴に拭った。

 お世辞にも丁寧と言えない手つきで、だけどそれに妙に安心させられた。


「おやすみ、アルフェ」

「……おやすみなさいませ」


 そう言いおいて去っていく背を見送って、ふと、愛称で呼ばれたことに気づいて胸が熱くなるのを感じた。

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