31 女装検定が厳しすぎる件
鏡の向こうで、侍女の服であるエプロンドレスを着た少女が顔を蒼褪めさせて佇んでいる。
濃紺のスタンドカラーのロングワンピース。前開きのボタンだったから、それを着ること自体は簡単だった。
普通の侍女服はふくらはぎが隠れる丈だけど、王族に仕える事の出来る侍女は爵位を持っている家の娘が多い為、丈は踝までと長い。スカートは歩くとふわりと広がるフレア。
折り返しのある袖部分と前あてのついたエプロンは白地で、袖口とエプロンの裾に第一皇子に仕えていることを示す紺のラインが2本入っている。
そのせいか、ちょっとセーラーを思い出させた。文句なしにここの侍女服は可愛い。正統派メイドと言える。
ただ髪を留めるためのレースがあしらわれたカチューシャタイプのホワイトブリムは、これを付けたら完全にメイドコスプレに見える気がして手に握ったままだ。
以前の私は可愛い服やコスプレを見るのは好きだったけど、自分で着るという発想はなかった。だから気恥ずかしさが先行して、これまで付ける勇気が出ない。
それでも、こうして鏡に映った自分を見るだけでも。
(まずい。女の子にしか見えない気がする)
当たり前と言えば当たり前だ。紛れもなく女なのだから。
(普段の自分を考えたら、もうちょっといかにも女装って感じになると思っていたのに)
鏡の向こうに佇む自分の顔は、強張ったまま戻らない。
着替えている間中、呪いの言葉が何度も脳裏を過った。けれど別にドレスを着たからといって、すぐさま息の根が止まるわけではない。
――そう思っていたけれど、これはやっぱり危険すぎる気がする。
こういう服装をしていても、全く違和感がない。
ただ、だからといって当時の兄のように人目を引くかというと、そういうことではなさそうなことだけがせめてもの救い。
こういう服を着ても細い体は華奢で可憐というより、棒切れのようで単純に色気がない。普段から中性的だと言われるけれど、たぶんフェロモンが欠落しているんだと思う。それに関しては、本当によかったと思ってる。
私は兄のように一目で心奪われる絶世の美少女にはならないし、王道ヒロインみたいに誰の目も引きつける華やかさも、愛らしさもない。
文句なしに整っている顔は良く言えば清楚だけど、悪く言えば整っている分、飛び抜けた特徴があるわけではないから印象に残りにくい。
客観的に見て、自分はそういう類の見た目なのだ思う。
ゲームの中の自分のように、愛らしく微笑んでみせればまた違うのだろうけど……
この生い立ちでどうしたらあんな風に微笑むことが出来るのか、未だにさっぱりわからない。
少なくとも、今の私は無理。
(ゲームの中の私は、吹っ切れていたのかも)
ならばきっと強かに、自分の容姿を最大限に利用していたのだとも考えられる。
ゲームでは小悪魔属性もあるんじゃなかったっけ? 自分のキャラに関しては本当に興味がなかったから、うろ覚えなのが心底悔やまれる。
とはいっても、もし覚えていたとしても今の自分がそうなれたかと言えば、自信はない。紛れもなくあれも自分なのだろうけれど、並行世界の別の自分なんじゃないかと思えてくる。
……なんて考えて現実逃避しかけているけど、今はそんなことを考えている場合じゃなかった。
(これ、胸があるから駄目なのでは?)
チラリと視線を胸元に落とす。
今の私には、ちゃんと胸の膨らみがある。
いつもは安定のAカップレベルのささやかな胸を、更に厚地のベストで潰している。それが今は、Bカップに届くかどうかぐらいまでグレードアップされていた。
(ご丁寧に胸の詰め物まで用意されているとは思わなかった……)
思わず遠い目になってしまう。
まさか私の為に用意したわけではないと思うけど。他意はないことはわかっているけれど、服の下に隠すように置かれていた胸パッドを目の当たりにした時は、女として軽く憎悪が湧いた。
でもきっとあの兄も着たと言っていたから、当時の兄が用意したものなのだろう。
そんなところまで拘るなんて、気合が入りすぎだと思う。考えると怖すぎるので、深く考えないようにするけど。
とりあえず前の時と同じく馬に乗る場合も考慮して、詰め物はカムフラージュと保護を兼ねて使わせてもらった。
けど、これが駄目なのでは? 女であることに拍車をかけている気がする。
(でももしもを考えると、抜くわけにもいかないし。やっぱり似合わなかったって言って、もう一度元の服に着替えて、)
「殿下? 大丈夫ですか?」
「! 大丈夫です! いま出ます!」
胸のボタンに手を掛けたところで、扉をノックされる音が響いた。
ビクリと全身が飛び上がり、慌てて振り返った扉越しにクライブの声が聞こえてきたので、焦って言い返す。
(あっ、しまった! 出ますって、言っちゃった)
反射的に答えてしまった以上、もう着替える時間なんてない。
そもそも着替えるだけなのに、迷っていたせいでかなりの時間が経っていた気がする。これ以上、兄の寝室に籠っていたら怪しまれる。
(出ないわけには、いかない)
全身が心臓になったみたいに、バクバクと鼓動が鳴り響く。
(……もしかしたら、今日が私の最後になるの?)
まだ14歳になったばかりで、タイムリミットは少なくともあと1年以上はあったはずなのに。
なんでこう、私は次から次へと自分の首を絞める馬鹿な真似をしでかしてしまうんだろう。
でもまさかお祝いで、兄から侍女の服を渡されるなんて夢にも考えない。どこの世界に弟に女装させてまで街で遊ばせようとする、兄皇子がいるというのか。
いたけれど。正にここに、いたけれど!
泣きそうになりながらも、恐る恐る扉の鍵を外す。その指は押し寄せる恐怖から震えていた。
それでも往生際悪く、僅かに開けた扉にしがみついて蒼褪めた顔だけを覗かせた。ここまで来ても、外に出る勇気は出ない。
「あの、兄様……」
だって一歩でも出たら、あとはそこから真っ逆さまに落ちていくかもしれないのに。
「これは、とても着て出歩けるものではないと思うのです。お目汚しにしかならないので、やはりご遠慮させていただこうかと……」
声は震え、顔には絶望が張り付いていたと思う。
すると兄は、「見ないとわからないだろう」と言って立ち上がった。
「っ待ってください。本当に見られたものではありませんから!」
必死に扉に縋りついて訴えても、その足は止まってくれない。兄の前で、兄の寝室の扉を閉めることも出来ない。
そもそも脇にクライブが控えているわけだから、閉めようとすればその前に止められるのは必至。
長い脚はあっと言う間に距離を詰め、引きつったまま動けない私の前までやってきてしまった。扉を開かれて全身を露わにされ、情けなくも半泣き状態になる。
(駄目だっ。終わった……!)
「可愛いのではないか? 色気は欠片もないが」
「……っ、え?」
淡い灰青色の瞳が私を見下ろし、言われたのはそんな言葉だった。
クライブまでもが遠慮なく私を覗き込むと、ちょっと目を瞠って息を呑んだ後、咎めるように兄を見た。
「ご自分と比べては可哀想でしょう。大丈夫、問題ありませんよ、殿下」
慌てて気遣って微笑まれたことで、思わずひくりと頬が引き攣った。
……なぜだろう、ものすごく気を遣われた感じがする。
似合っていると言われたかったわけじゃないけれど、期待したほどじゃなかったと言いたげに見える空気が場に落ちる。
さりげなくとても失礼な扱いを受けている気がひしひしと感じられて、思わず拳を握った。
(いやでも、これって……もしかして、大丈夫っぽい? この二人の女装の出来の基準って、まさか兄様の女装レベルだったりする!?)
そのレベルまで到達しないと、女として完璧ではないとでも言いたげだった。
二人とも、見ている限りでは私を女だと疑っている節が欠片も見えない。化粧しているわけじゃないし、特に色気が皆無だったのが良かったのかもしれない。
特に兄なんて、せいぜい及第点だと言いたげだ。確かに当時の兄の女装と比べたら、むしろ比べる価値もないでしょうけれども!
(兄様に恋人がいない理由、わかった気がする)
この人は、女の敵かもしれない。
思い返してみれば、ゲームのヒロインは文句なしに可愛い設定だった。あのレベルじゃなければ、兄にとって女性は女性に見えないのだろうか。
けれど今の私にとって、それは幸いだった。
(これは、まったく女として認められていない!)
本来であれば悲しむべきことかもしれないけど、今は最っ高に嬉しい……! 私は生き残れるんだ! 万歳!
「髪型が悪いのではないか?」
「え…っ」
脳内で拍手喝采を上げえて喜びに打ち震えていたところで、小首を傾げた兄が私の髪に手を伸ばしてきた。
止める間もなく、後ろで一つに髪をまとめていた髪紐を解かれてしまう。
「!」
肩まで伸びた癖のない淡い金髪がはらりと頬にかかり、結んで跡のついた髪を兄が手櫛で丁寧に伸ばす。元々細くて癖の付きにくい髪なので、何度か手で伸ばされたらすぐに元に戻っていく。
呆然とされるがままになっているうちに、私の手に握られたままだったホワイトブリムが取り上げられた。整えられた頭の上に容赦なくセットされてしまうと、いまの自分の姿は死んでも鏡で見たくないぐらい恥ずかしいものになった気がする。
盛大に顔を引き攣らせる私に対し、兄は満足気に目を細めた。
「さっきよりこちらの方が似合うだろう。あとは」
小首を傾げ、私の手を引いて兄がソファに戻る。
テーブルの上に置かれていた小さなケースを手に取ると、再び私の前に立つ。「上を向け」と命じられた。
意味がわからず従えば、ケースの蓋を開けて琥珀透明の液体を指に掬う。その指の腹が私の唇をなぞる。
「!」
ひとなぞりした指が離れていくのを、動揺しすぎて呆然と見つめた。何をされたのか理解すると同時に、心臓が不規則に大きく脈打ちだす。
(なに、いまの……っ何!? なにされた!?)
ハッと我に返って拭おうとした手の甲は唇に届く前に止められ、「ただの蜂蜜だ」と言われる。
どうりで、甘いと思ったら!
「アルフェぐらいの年ならこれで十分だろう」
そう言って、ケースの蓋を閉める。どうやらそれは、口紅の代わりだったらしい。そういえば蜂蜜ってリップパックとして使えた覚えがある。
(言ってくれれば、それぐらい自分でやりましたけど!)
絶句している私を気にした様子もなく、兄は私の掌に蜂蜜入りのケースを乗せた。
甘い物が苦手な兄が必要とするわけもなく、どうやらこれも私用に用意していたのか、くれるつもりらしい。あまりにも至れり尽くせりで、私以上の女子力の高さを見せつけられて慄きすら覚える。
そしてそこまでやってようやく納得できたのか、兄は私を上から下まで見て頷いた。
「これならアルフェだと怪しまれることもあるまい」
「……それは、そうでしょうけれど」
誰もこんな格好で自国の皇子が城や街を闊歩しているとは、夢にも見ないと思います。
しかしもうここまでくると、いちいち突っ込みを入れることすら疲れた。我ながら返す声は弱々しい。
でも、もういい。今は生き残れることになっただけ良しとする!
「ではクライブ、アルフェを頼んだ」
「はっ。謹んでお受けします」
準備は済んだとばかりに肩を押され、クライブの方へとやんわりと押しやられる。
クライブを前にして、思わず息を呑んだ。さっきうっかりあんな嫌味を投げつけてしまったけれど。
(そうだった……クライブと一緒に行かなければいけないのだった)
当然と言えば当然である。でもクライブ……よりによって、クライブ。
「私の目が届かないからといって、くれぐれもよからぬことはしてくれるなよ」
「するわけないでしょう。指一本傷つけぬよう、丁重にお守りさせていただきます」
「そういう意味でなかったのだが……まぁいい」
まだ顔を強張らせたままの私を見やり、兄が目元を緩めて微笑んだ。
「たまには何も気にせず、ゆっくり羽を伸ばしてくるといい。いっておいで」
向けられる声は、ひどく優しい。
手段には問題があったけれど、これが兄から贈られる優しい気遣いなことはわかる。大事にしてもらっていると、ちゃんと伝わる。
それがくすぐったくて、ここでやっと強張った顔が緩んだ。朗らかとまでは言えなかったものの、笑みが零れた。
「ありがとうございます、兄様。いってまいります」
そう告げると、兄に見送られてクライブに促されるまま、離宮を後にした。
……ただクライブと二人きりというのが、非常にネックではあるけれど。
でもそれはもう仕方がない。諦めるしかない。さすがに今はそこまで無茶は事はしないと信じるしかないし、護衛の腕に関しては文句のつけようはないから、そこは心配していない。
ただ、問題は。
(……。あのね、クライブ)
さっきから気になるのはわかる。わかるんだけど。
(私の胸、見過ぎだから!)




