閑話 それどころではないが看過できない件
本編87~88話の間
※シークヴァルド視点
ランス領から戻ってから、アルフェンルートは私の宮で預かっている。
面倒事は一旦陛下預かりとなっている今、アルフェは特にすることはない。本人の希望でやるべきことがあるにはあるが、時が来るまでは何もする必要がないのが現状だ。
今の内に少しでも英気を養っておけばいいと思うのだが、そう割り切れるものでもないだろう。所在なさげにしていたので、この宮にある書庫に放り込んでおいた。図書室とは比べるべくもなく狭いが、慣れたものに囲まれていれば多少は安心を与えるはずだ。
念の為に、アルフェの精神安定のために猫も一緒に放り込んでおいた。猫嫌いのクライブ避けも兼ねている。
(私の目の届かないところで、とんでもないことをしてくれたものだ)
アルフェの失言を思い出す度に自分の選択ミスを悔やまずにいられない。
確かに私はクライブに、アルフェを気に掛けるようにとは言った。極力接する機会を設け、情が湧くように仕向けてもいた。
が、手を出していいとは一言も言っていない。
女であることを知られるわけにいかなかったアルフェからする可能性など、当然ない。となればクライブからしたということになる。
クライブの理性と常識はどうなっているんだ。普通は一番手を出すことを控える相手だろう。
これまで令嬢相手にそつなく躱していた奴が、なぜよりによって私の妹相手によからぬ真似をするのか。乳兄弟だと近すぎるせいか、奴の恋愛事情などあえて知りたいことでもないので詳しく聞いたことなどないが、手が早いということはなかったはずだ。むしろ固いと言われていたというのに。
だいたいクライブはアルフェを皇子だと思っていたことに間違いない。
(それでどうしてそういうことになる?)
妹の心に一生消えない傷が残っていたらどうしてくれる。否、あれが弟であったとしても同じことだ。
うっかり口にしてしまうぐらいだから、アルフェの中では気にしないことにしているのだろう。一応、気持ちの整理も付いているのかもしれない。
だが、それでも兄として看過できることではない。
理性で抑えておかなければ、本気でクライブを殴り倒しそうだった。
私の心臓が止まった時にクライブが処置した際のあばら骨がまだ痛むことと、この先何が起こるかわからないのにクライブの体に支障をきたしたら問題があるという理由で踏み止まったに過ぎない。
代わりに、クライブの懐を大幅減俸処分という形で抉っておいた。
ちなみに減俸した分は、傷ついたであろう当人に還元すべくアルフェの服飾に当てている。
今は仮に私の母の服を貸し与えているが、全部おさがりというわけにもいかない。ドレスを新調すると言えばアルフェは心底困り顔をしていたが、「気にするな」と押し通した。
減俸分から出すから、本当に気にせず受け取っておけばいいのだ。
だが、アルフェはやはりそうすぐに女に戻れる気分でもないようだ。ここに戻ってきた初日以来、ドレスには一度も袖を通していない。
代わりに、私の子どもの頃の服を強請られたのでそれを貸している。
自分の在り方に一番悩んでいるのは当人だろう。必要な時は袖を通す覚悟はあるようだし、平生はアルフェの気が済むようにさせてやればいい。
そう思って何も言わなかったわけだが、クライブが私と二人きりになった時、渋い顔で口を開いた。
「アルト様のあの恰好は、よろしくないと思うのです」
ちなみにクライブには当面、単独でのアルフェへの接触禁止令を出している。だが念の為に勝手に近寄らないようにクライブは私付きにしている為、アルフェとも顔を合わせる機会はある。
アルフェも今はクライブを気に掛けている余裕はないので、たいして言葉は交わしていない。話しかけられる雰囲気でもないから、こうして私に言ったのだろう。
だがその苦言は、本当にこいつはアルフェが好きなのか? と疑いたくなるものだ。
アルフェの心境を考えれば無理強いできるものではない。それぐらいは察せるだろう。
思わず目を細めて声を低める。
「女なのだから、ドレスを着るべきだと?」
自分がその姿を見たいだけじゃないのか。
冷ややかな目を向ければ、クライブが驚いた表情をすぐに強張らせる。
「そういう意味ではありません。あれではサイズが合ってないでしょう」
慌ててそう言われ、なんだそっちか、と内心で胸を撫で下ろす。
確かに今アルフェが着ている服は少し大きい。服に着られている感がある。
「仕方ないだろう。肩に合わせた服だと袖が足りないのだから。小さいより大きい方がいいだろう」
女の体だからか、あの身長だと既に体格に差が出ているようだ。袖に合わせれば今度は肩が落ちるが仕方ない。
「それにしたって、もう少し小さい服はなかったのですか」
「あれより少し小さい服だと、やたらレースとリボンが使われている。それはアルフェが嫌だと言ったのだ」
口にしたわけではないが、顔に「それはご遠慮します」と書かれていた。
自分で言うのもなんだが、子どもの頃の私は美少女と見紛う顔だった。それが少しずつ男になり始めた頃で、服飾担当が「これが着納めになりますから」と沈痛な顔で、似合う内にとやたら繊細で華美な服を寄越していた頃だ。
着られればなんでもいいので文句は言わなかったが、今見ると大概派手だ。
アルフェの普段着ている服は、レースやリボンはほぼない。少女めいた要素は極力排除しているのか、その手の装飾を忌避する傾向にある。身を飾るのはカフスとループタイについた宝石ぐらいだが、それすらシンプルなものを好む。
そんなわけで、貸し出せたのが華美さの落ち着いた頃の少し大きい服になったわけだ。
「ですが、あれでは肩が落ち過ぎです」
「外を出歩くわけでもないのだから、多少不格好でもかまうことじゃない」
「袖から手が半分しか出ていないではありませんか!」
「本を読んで猫を撫でるぐらいしかしないのだから、別にいいだろう」
「それはそうですが、でも指しか出ていないのですよ? あれは駄目です。とにかく駄目です」
やたら力説してくるが、こいつは何を言ってるんだ。
剣を握って戦う必要があるわけでもなく、何が駄目なのかさっぱりわからない。食事をする時に袖が汚れると言いたいのか? 汚れたら洗えばいいだけのこと。
眉を顰めて意味のわからないことを訴えてくるクライブに胡乱な目を向けてしまう。対してクライブは、なんでわからないんだ、と言いたげに恨みがましい目を向けてくる。
この会話でおまえが何を言いたいかなど、わかるわけない。
「あれではアルト様が頼りなく見えて困ると言っているんです!」
「アルフェに頼りがいを求める方が間違っている」
噛み合わない会話が平行線を辿っていたところで、部屋をノックする音が響いた。こちらが許可する前に扉が開き、扉の外を守っていたニコラスが呆れ顔で入ってくる。
「外まで会話が聞こえます」
「文句はクライブに言え」
成人前から護衛に付いている遠縁のニコラスは年も近い割に付き合いが長いので、他と比べて格段に気安い。こちらも咎めないので、いつもこの調子だ。
こちらに歩み寄りながら、ニコラスがクライブに親指で扉の外を示す。
「とりあえずクライブ。ちょっと頭を冷やすために廊下に立ってろ」
近衛の階級は全員同列とはいえ、それでも上下はある。立場としてはニコラスの方が上の為、命じられたクライブはばつが悪そうな顔して大人しく出て行った。
扉が閉まり、クライブに代わって部屋に残されたニコラスが苦笑いを向けてくる。
「俺はクライブの言ってることもわかりますよ。庇護欲掻き立てられて困るから、どうにかしてくれってとこじゃないかと」
「守ってくれる分には好きなだけ守ってもらって構わない」
「そういうのではなくて。殿下、その辺まだお子様ですよね」
お子様と言われて面白くない気持ちが込み上げる。クライブの方が半年程上とはいえ、年は同じだ。
ニコラスは悪びれもせず肩を竦め、扉の外に視線を投げかけた。呆れと面白がっているのが半々だが、成長を見守っているような目でもある。仕方ない奴だね、と顔に書いてある。
「つまり、アルフェ様が可愛くて仕方ないって言ってるんですよ。そういう病気なんです。聞き流しておきましょう」
兄である私の立場で聞き流せるわけもないのだが。しかし今は下手に突っ込むと病名を聞かされそうだったので口を噤んだ。代わりに深く嘆息を吐く。
実のところ、あまり認めたくないだけで聞かなくてもわかりきってはいるのだ。
その病気に名前を付けるなら、『恋』というものなのだろう。
2019/04/30 活動報告投稿文再録




