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閑話 それはとある一日

本編49~50話辺りの閑話…エイプリルフール(遅刻)


 手の中にある人参を見つめ、ちょっと途方に暮れる。

 今日のおやつだと言ってセインに渡されたのは、人参だった。それも丸ごと1本。


(どうしたものかな)


 実のところ、人参を丸ごと1本渡されるのはこれが初めてじゃないけど。

 メリッサが休みの時はセインが食事の用意をしてくれる。けど、おやつまで毒味するのが面倒なのか、基本的に生でそのまま食べられるものを持ってくる。

 大抵は果物だけど、たまに、本当に極たまにだけどこういう日がある。

 思うに、厨房から適当に見繕って持ってきている気がする。厨房の人が私に食べさせるために持たせているとは考えにくい。そんなことをすれば首切りになるのは必至。

 たぶんセインが「持っていっていいか」と訊いても、小腹を空かせたセインが食べると思われていそう。一応はセインも公爵子息なのだけど、こういうところで生まれのせいで周りに軽んじられていることを感じてしまう。

 しかし、娼婦が母で何が悪いの。需要があるから成り立っている職なわけで、蔑まれるべきは彼女達を買う人間の方でしょう?

 憤りはあれど、今はその件に関しては私が騒いだところでどうにもならない。

 とにかくこう考えるのは記憶が戻って一般常識を思い出したからであって、今まではそういうものなのか、と思って素直に食べていた。

 自分で言うのもなんだけど、私は世間知らずに育った。それに丸齧りする、という行為にちょっと悪いことをしている気がして楽しかった、という面もある。


 しかし記憶がある今、人参を生で丸齧りするのは抵抗がある。


 これがトマトだとかキュウリだとかなら、まだ私も耐えられる。

 別に人参が嫌いなわけじゃないけど、せめて食べやすく切ってあれば、と願わずにいられない。今までの私、苦戦しながらも結構頑張ってた。

 しかしセインもけして意地悪で持ってきているわけじゃない。

 自分の分は、私の前で丸齧りしていた。その顔に不満は見えない。満足そうですらあった。セインの中では、人参は甘くて歯ごたえがあるおやつに分類されるらしい。


(あの状況で、私の分だけ食べやすく切ってほしいとは言い辛い)


 今までは私も黙って齧っていたので、今更なんだ、と思われる気がしなくもない。もしかしてこれまでも切ってほしいと思っていたんじゃないかと、気にさせてしまうのも本意ではない。

 結局言い出しそびれてしまって、私の手には人参が1本丸ごと残った。

 食べない私に怪訝な顔をしたセインには「メル爺と食べるよ」と言って出てきたけど。


(どうしよう)


 メル爺におやつだと言って人参を見せたら、怒られるのは間違いなくセイン。

 それは困る。

 怒られたら、二度と丸齧りが出来なくなる。私はトマトの丸齧りは嫌いじゃない。桃も出来れば切らずに齧りたい派。

 ちなみに経緯を知らないラッセルは、私が人参を持っていることに困惑気味である。しかし何も言わない。こういうところ、立場を弁えていると思う。

 だが、物言いたげな視線は何度か人参に向けられている。

 というかラッセルに限らず、私を見かけた人がぎょっとして人参を二度見、三度見しているのを感じる。


(わかる。わかるよ。なぜ私が人参を持っているのか、謎で仕方ないと思う)


 私自身、とりあえず持って出たものの、この人参をどうしたものかと頭を抱えているぐらいなのだから。澄まし顔をしているけど内心はかなり焦っている。このままだと医務室に着いてしまう!


(やっぱり食べて証拠隠滅するしかないの?)


 私の前世がウサギや馬だったら、喜んで食べたのだけど……


(馬! そう、馬!)


 そう思いついたところで、やけに強い視線を感じた。

 いや、さっきから視線はいつも以上に感じているけど。でも、これはいつものアレでしょう。わかってる。

 しかし今は好都合。顔を上げ、視線の方に顔を向けた。予想通りの人物と目が合ったけど、逸らさない。

 案の定、こんにちはクライブ。

 私が医務室に行く時間を狙っているかのように訓練場にいる貴方の存在は、今日ばかりは都合がいいです。

 いつもは極力目を合せない私が見返したことで察したのか、さりげなくこちらに来るのを確認してからラッセルと別れる。医務室の傍、人目を遮る垣根の影で立ち止まった。


「何か御用でしたか?」


 私が口を開く前に、すぐに同じように垣根に身を潜めたクライブが意外そうに問いかけてくる。察しが良くて何より。

 それにしても目と目で会話が出来てしまうだなんて、なんでこんなに仲良くなってしまっているの……こんなはずじゃなかったのに。なぜ。


「それと、アルト様はなぜ人参を持っているのです?」


 苦い気持ちを持て余して出遅れたせいで、我慢できなかったのか困惑を露わにクライブが突っ込みを入れてきた。

 まあ、気にはなるよね。


「私のおやつです」


 真面目に正直に答えてみれば、クライブの顔が一瞬呆けたようになって、すぐに絶句した。

 私が冗談を言っているのか、それとも本当なのか。笑うところか、突っ込むところか。どちらか掴めずに、何と言ったらいいのかわからない状態になっている。

 そんなクライブを見て、小さく息を吐いた。

 もしかしたら、この国では人参が丸ごと一本おやつとして出てくるのが普通なのかな、と思ったりもしたのだけど。

 クライブの反応を見る限り、その可能性はなさそう。


「嘘ですよ」


 仕方なく、ここは当初の予定通り誤魔化した。

 いや、嘘ではないけど。ちょっとした冗談ということにしておこう。誰も傷つかない嘘だから見逃してほしい。


「これはクライブに渡そうと思って持ってきたのです」

「僕に、ですか。僕はそんなに人参が好きそうに見えましたか」


 クライブが見るからに顔を引き攣らせている。特に人参好きには見えないから安心していいです。

 人参好きと言えば、やっぱり。


「正確には、クライブの馬にです。貴方の馬には何度か世話になったので、これで労っておいてください」

「馬を、ですか」

「私まで乗せて、さぞかし重かったはずですから。クライブには何度かおやつをお裾分けしていますが、馬にあげないのは不公平です」

「馬は気にしていないと思いますよ」

「いいから受け取ってください。返されても困ります」


 切実に。

 真面目な顔のまま適当なことを嘯いて、人参をクライブに突き出した。深く突っ込まずに受け取ってほしい。


「そういうことでしたら、ありがとうございます……?」


 咄嗟に受け取ったのを見て、無事に押し付けることが出来たことに胸を撫で下ろした。

 これで私は人参を手放せるし、ついでにクライブへの借りもちょっとだけ返せて馬も喜ぶ。一石二鳥。よかった。

 これにて一件落着。




 ――しかしこの後、人参を持って歩くクライブが目撃されたことで、クライブは人参大好きだと勘違いされたらしい。


「アルト様のせいで僕だけ人参が増量されます」


 後から心底苦い顔で恨みがましく言われてしまった。

 この反応を見るに、多分クライブは人参が嫌いなんだろうな……。

 そんなものすごくどうでもいい弱みを握ってしまったけど、多分これが活用される日は、来ない。



2019/04/03 活動報告投稿文再録

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