閑話 クライブお手軽クッキング
本編49~50話辺りの閑話
※クライブ視点
アルト様はよく医務室まで散策に来られる。
自室から中庭を抜け、訓練広場の傍にある医務室にいるスラットリー老を尋ねてやってくるのだが、その時によく菓子を持ってくる。籠に入った菓子を大事そうに抱えてくる姿は、僕だけに限らずよく目撃されているようだ。
そしてなぜか今日は、林檎を直に手に持ってきていた。
(今日のおやつは林檎なのか)
なぜ丸ごと持っているのだろうと思ったものの、林檎は剥いて時間が経つと赤くなって見た目が悪い。スラットリー老に剥いてもらうつもりなのだと頭の中で納得した。
あの恐れられている老医師に林檎を剥かせるつもりでいることには内心慄かされるものの、アルト様にとっては珍しくないことなのかもしれない。
護衛のラッセルと別れ、中庭からいつものように直に医務室へと入っていく。それを見送ってすぐ、アルトはなぜか医務室から出てきた。
スラットリー老が対応中なのか、それとも不在だったのか。どうしたのかと見ていれば、手には林檎を持ったまま垣根の影に消える。気になって覗き込めば、出入り口脇の井戸ポンプへ手を掛けていた。
「水を出したいのですか?」
「っ!」
自分で出す気なのかと、さすがに見ていられなくて声を掛けた。急に声を掛けたことで肩を跳ねさせたが、振り返って僕の顔を見て少しだけ肩から力を抜く。
顔を見る限り警戒が完全に解かれたわけではないものの、そのほんの僅かな変化を嬉しく思う。
アルト様は一瞬周りに視線を走らせて垣根で人目が遮られていることを確認してから、僕を見て仕方ないと言いたげに小さく息を吐いた。不承不承というように「林檎を洗いたいのです」と答える。
請われるままに水を出してやれば、「ありがとう」と言ってから林檎を綺麗に水で洗った。皮なんてどうせ剥いてしまうからいいじゃないかという気もするが、この方は潔癖なんだろうか。
なんてことを考えていると、アルト様は医務室に戻ることなく木陰に置いてある休憩用のベンチに腰を下ろした。
洗ったばかりの林檎を両手で持って、そのまま……
「待ってください!」
直に丸齧りしようとしていたアルト様を反射的に止めていた。
なんて食べ方をするんだ!? お忍びで出かけた城下の露店で購入したというのならともかく、今は城の中。ご自分の立場をわかっていますか!?
止められたアルト様は眉を顰め、「なんですか。クライブも食べたいのですか? 半分ならあげても……」と見当違いなことを言い出す。
「そうではありません。皮は剥いて、切ってから食べた方がいいでしょう」
まさかいつも丸齧りしているわけじゃないだろうな。そんな不審を抱いているのが伝わったのか、アルト様が不満を露わにした。
「いつもはそうしています。今日はメリッサが休みですし、セインも突き指していたから剥いてもらえなかったのです。メル爺は取り込み中でいつ終わるかわかりませんから、丸齧りするしかありません」
その言葉に今度は僕が少々苦い面持ちになった。
アルト様から責めている気配は感じないが、つい昨日、一応許可は取ってからセインに訓練を付けたが、その際に彼を突き指させてしまった。
故意ではないことは本人もアルト様もわかっていると言っていたし、すぐにスラットリー老に処置してもらって既に終わったことだ。とはいえ怪我をしたと知った時のアルト様の蒼褪めた顔を思い出すと、多少の罪悪感が胸を過る。
気づかれないように小さく息を吐いてから、手を差し出した。
「そういうことならわかりました。貸してください。僕が剥きます」
「クライブが? ……っいま、どこからナイフを出しましたっ?」
手を差し出す際、もう片方の手で背中の腰ベルトに仕込んである小振りのナイフを取り出していたのだが、それを見たアルト様がぎょっと目を瞠った。
ナイフを持つ手を見て反射的に怯えを見せ、座ったままなのに距離を取ろうと身を引いている。
まさかそんなに驚かれるとは思わなくて僕まで動揺で心が揺れた。
「どこと言われましても。普通に、ベルトから抜きました」
アルト様は釈然としないと言いたげに、「普通……?」と復唱している。
襲われた時に長剣が使える場所ばかりとは限らない。それに咄嗟の場合は短剣の方が取り出しやすいこともあり、近衛は全員装備している。セインも同じように仕込んでいたはずなので、アルト様が知らないとは思わなかった。
別にアルト様になら知られて困ることでもないので、「近衛はみんな装備していますよ」と教えればやっと肩から力を抜いた。
恐る恐る僕に林檎を渡しながら、アルト様がやけに真剣な顔を向けてくる。
「驚くほどの早業でした。クライブ、手品師になれますよ」
「なりませんよ」
真面目な顔で何を言うのかと思えば。呆れて否定すれば、褒めたのに、と言いたげに眉尻を下げられた。この方の褒めてくれるツボはいまいちよくわからない。
そんな会話をしつつも受け取った林檎に刃を当て、くるくると林檎を回しながら皮を剥いていく。それを見ていたアルト様の目が、なぜか食い入るようなものになっていく。
「本当に林檎を剥けるのですね。もしかして近衛は全員林檎が剥けたりするのですか?」
「全員かどうかは知りませんが、剥けてもおかしくはありません。ナイフの練習がてら、木彫りの人形を作るのを趣味にしている者もいるぐらいですから」
応戦するためばかりではなく、ナイフは色々と役に立つ。扱いに慣れていれば林檎を剥くぐらいなら問題なく出来るだろう。それを聞いたアルト様は、素直に感嘆の息を漏らした。
「僕の場合は近衛になる前はシークヴァルド殿下の侍従をしていましたので、嫌でも剥けるようになりました」
そう教えればアルト様はちょっと驚いた後、納得した表情になった。セインを思い出しているのかもしれない。
だが本来は侍従とはいえ、林檎の皮が剥けなくても問題はない。綺麗に切られたものを厨房から運ぶだけが仕事だ。しかしシークがお忍びで城下に出かけた際、露天で買った果物を皮ごと丸齧りしようとしていたのを見かねて、剥けるように訓練したと言ってもいい。
(皮が剥けないなら皮ごと食べればいいと考えるあたり、似たもの兄弟なんだな)
一緒に育ったわけでもないのに、この二人は変なところで似ている。似なくていいようなところが似ている。手のかかる困った兄弟だと思う。
……ところで、さっきから皮を剥いている僕を見るアルト様の眼差しがとても気になる。
剥かれた皮を見て目を輝かせていっている。刃を動かす度に細く伸びていく皮を見て、期待に満ちた眼差しを向けてくる。
僕としては単純に、後でごみとして処分する時に繋がっていた方が拾うのが楽という理由なだけである。なのにアルト様は息を呑んで見入っており、途切れないことを願っているように見えた。おかげでたかが林檎の皮剥きに緊張が走る。変に力が入りそうだ。
たいしたことでもないのにやっとの思いで剥き終えたところで、アルト様が感嘆の息を吐き出した。
「すごい! 一度も途切れることなく剥き切るなんて。しかも皮がすごく薄いです。これは神業と言ってもいいです。クライブはいつでも料理人になれますね!」
「……なりませんから」
目をキラキラとさせて、長く伸びた皮を賞賛してくれる。こちらとしては複雑な褒め言葉だが、本心から褒めてくれているのはわかる。だが丁重に否定させていただいた。
(……なんだろう。褒められたのは嬉しいはずなのに)
初めて尊敬の眼差しを向けられたのが、林檎の皮剥き。それに軽くショックを受けている自分がいる。これならまだナイフを取り出す速さの方を褒めてほしかった……。
いや、欲張ってはいけない。たとえ林檎の皮剥きであろうと、この方がそういう目を向けてくれるようになった、ということが大事なんだ。
自分に言い聞かせながら林檎を掌の上で切り、種の部分も取り除いてから渡した。
「どうぞ」
「ありがとう」
渡したときに、いつも律儀にお礼を言われるのが好ましいと思う。
その口が林檎を齧ろうとして、けれどじっと見ている僕の視線に気づいたのか居心地悪げに顔を上げた。深い青い瞳が僕を映し、困惑気味に「クライブも見ていないで、食べていいのですよ?」と言われてしまった。
「そういうつもりで見ていたわけでないのですが」
物欲しげに見えていたのだろうか。その前に、そういうつもりで見ていたわけじゃないのなら、どういうつもりで見ていたというんだと自分に突っ込みたい。
ただ、いつもちまちまと頬張る姿が可愛……面白くて見ていたかっただけだ。
……いや、それはそれでどうなんだ。
「クライブが剥いてくれたものですから、遠慮なくどうぞ。半分こです」
動揺して怯んだ僕を遠慮しているとでも勘違いしたのか、念を押してからアルト様が林檎を口に運んだ。
ただ突っ立って見ていた僕に困惑する素振りを見せたということは、この方にとって周りの人間と分け合うのは当たり前の行為なのだろう。林檎を剥いたのが僕でなかったとしても、きっと剥いた相手に御礼として半分与えたに違いない。
立場を考えるともう少し威厳を持ってほしい。線引いてもらいたい。そう思う反面、こうして対等に接してくれる態度に心がざわめく。
「何かを食べるのは、誰かと一緒の方が美味しいですから」
躊躇いを見せる僕に視線を向け、微かに笑いかけてくれる。
その微笑みに、一瞬胸が詰まって息を忘れた。
心の底から信頼されているとはまだ思っていない。けれどその相手に自分を置いてもらえたということに胸の奥が熱を持つ。
単純に借りを作るのが嫌いなだけかもしれない。自分はまだ、そこまで信頼されているわけではないだけの可能性も高い。
それでも。
(こういうところが、)
好きだな。
と、思っ……いや、好ましいと思うのだ。
(……下手な言い訳だ)
自分の胸の内など嫌というほどわかっているのだから、既に言い訳にもならないというのに。頭の中で必死に取り繕う自分のなんて滑稽なことか。
嘆息を吐きそうな口を塞ぐために、剥いた林檎を放り込む。
それはまるで自分の心みたいに、やけに甘酸っぱかった。
2019/02/24 活動報告投稿文再録




