閑話 アルフェンルートお手軽クッキング1
本編67〜68話辺りの閑話
※メリッサ視点
ランス領に来て2日目の夜、晩餐の後でアルフェンルート様の元に頼まれていた物が届いたとクライブ様が告げにいらした。それを聞いた私の主人であるアルフェンルート様は、少し嬉しそうに口元を綻ばせる。
「厨房に置いてありますが、卵と塩と氷などどうされるのですか?」
クライブ様は怪訝な顔をしていた。思わず私も自分の耳を疑ってしまった。
なぜ、卵など頼まれているのでしょう?
「ゆで卵を作ります。ニコラスに、お礼に美味しいものを提供してほしいと言われていましたから」
疑問に思う私たちの前で、アルフェンルート様は事も投げにそう返された。
それにはクライブ様だけでなく、私もどんな顔をすればよいかわからない。
なぜゆで卵? お礼で、美味しいものと言われて、なぜゆで卵を選択されたのですか?
別段珍しくもなんともない、よく朝食に並ぶ料理でしかないはず。毎日アルフェンルート様の食事の場を整えている私から見ても、それほど好物でいらした覚えもない。実は大好物でいらしたのでしょうか?
だとしたら私は侍女失格です。それは後ほど反省するとして、箱入りの世間知らずなアルフェンルート様は知らないかもしれませんが、ゆで卵は一般的な食べ物だと教えてあげるべきでしょうか?
こちらの困惑に気づいたのか、「ちょっと特別なゆで卵だよ」と苦笑されてしまった。深い青の瞳が時計を見上げ、「ちょうどいいかな」と呟かれる。
「今の時間、料理人の方の手を借りられますか?」
「はい。それはかまいませんが、今から作って食べられるのですか?」
「明日の朝用です。今から仕込めばちょうど間に合いそうですから。厨房に連れて行ってもらってもよいですか?」
クライブ様は 困惑を見せた。
王族というか、貴族が厨房に入るなどありえない。強いて言えば、菓子作りを趣味にしている婦人なら入ることがある程度。
「紙に書くより直接指示した方がはやいでしょう?」
少し楽しげな雰囲気を纏いながら言われて、そういうことなら、とクライブ様は仕方なく承諾したらしい。案内されるままに厨房に向かって歩き出した。
アルフェンルート様はちらりと私を見て、耳元に唇を寄せる。
「厨房に入るの初めてだ」
首を傾ければ、楽しげに囁く声が鼓膜を震わせた。それはそうでしょうとも……。
(普段抑圧されてらっしゃるから、いつもと違うことをされてみたいのでしょうか)
しかし当然ながら、料理などされたことはない。なんとなく足取り軽やかに見えるアルフェンルート様を見ていたら、嫌な予感が胸を過った。
(まさか、ご自分で作られるおつもりではありませんよね?)
厨房まで来たところで、クライブ様はランス伯爵の若君ということで入り口で渋い顔をされた。普通に考えて、使用人しか入らない場所に跡取りが入ることなど想定されていないから当然と言える。
結局、クライブ様は開けたままの扉脇に佇むことで納得するしかなかったらしい。アルフェンルート様と私だけが雑多な厨房に足を踏み入れた。料理人は渋々といった様子だったが、大事な客人扱いの為に無碍に断れなかったのだろう。
アルフェンルート様は料理人にゆで卵を作るように指示をして、待つ間にボールとお玉、塩の袋を受け取っていた。
「ご自分で作られるおつもりなのですか!?」
嫌な予感が当たってしまって、慌てて潜めた声で問いかける。
昔から極たまに突拍子もないことを言いだしたりする方だけど、なぜよりによってここで!?
ご自分のお立場をわかっておられますか!? 皇子、正確には皇女ですよ!?
「作るというほど大層なことはしないよ」
アルフェンルート様はちょっと笑った。笑えば許されるとでもお思いですか?
「ちょっとだけだから」
しかしながら、眉尻を下げてあまりないおねだりをされると弱い。材料はすべてここにあったものだし、ハラハラした様子でこちらを見る人の目も多い。アルフェンルート様が毒を入れられる要素はないから変に疑われることもないでしょうし、今ぐらい好きにさせてあげるべきなのでしょうか。
結局、折れたのは私の方だった。
それを感じ取ったアルフェンルート様は結構大きめのボールに綺麗な水を汲み、氷を入れるよう頼んでいた。不思議そうな顔をしながら料理人の一人が指示通りにして渡してくれる。
そこまでは、よかった。
「じゃあ、待っている間に準備をします」
言うや否や、アルフェンルート様は塩の入った袋を傾けて、水の中に大量の塩を流し込んだ。
ザザーッという派手な音までした。
「!?」
待っ……お待ちください! 料理をしたことがない私でも、その塩の量は異常ではないかと思います!
いきなりの行動に驚きすぎて、止めるどころか声すら出なかった。多分本で読まれて調理法は頭に入っているのだろうとは思いましたが、やはり箱入りの皇子。
料理など出来るわけがなかったのです!
料理人も目を剥いて見ていた。しかし王族付きの侍女に下手なことを言えない立場故に、絶句しながら蒼ざめた顔で見ている。
「入れすぎた……まあいいか」
そんな周りの目を気にせず、アルフェンルート様はぼそりと物騒なことを呟いている。
「良くはないと思いますっ」
「大丈夫だよ。水に溶け込める塩の量は決まってるから、濃くなりすぎることはない」
真面目な顔で言いながら、アルフェンルート様は塩を溶かすべく、お玉でぐるぐるとかき回す。しばらく掻き回しても塩は全部溶けきらず、下の方に沈んで残ってしまっていた。
でもなぜかアルフェンルート様は、それを見て頷いていた。
そんな辛そうな塩水で、一体何を作るおつもりですか? ゆで卵でしたよね? 本当に人が食べられるゆで卵なのですよね!?
「失礼します。卵が茹で上がりました」
そこで料理人がちょっと困惑気味に声を掛けてきた。湯気が立っている熱そうな卵の山を見て、アルフェンルート様がボールの前から体をずらす。
「では、こちらにその卵を入れてください」
「は……、そちらに、ですか?」
「はい。殻付きのままで良いですから、今すぐ入れてください」
アルフェンルート様が手で示せば、料理人は動揺を見せた。何を言ってるんだと言いたげだ。私の方に救いを求める視線を向けられるけど、私も困惑しかない。
しかしながらアルフェンルート様に逆らうという選択肢は無いので、頷いてみせる。
「大丈夫ですから、はやく熱いうちにお願いします」
アルフェンルート様に追い討ちをかけられた料理人は悲壮感を滲ませながら、塩水に茹で上がったばかりの殻付き卵を入れていった。彼らから見たら、食材をみすみす駄目にする手伝いをさせられているようなものだ。逆らえないとはいえ、料理人としては素直に受け入れ難いのだろう。
せめて、殻を剥いてあるなら理解できなくもないような気もするのですが……。
アルフェンルート様は迷いを見せない。十個以上はある卵をすべて塩水に沈めると、「浮いてこないよう落とし蓋をしておいてください」と重ねて指示していた。
「あとは明日の朝まで冷所に保管をお願いします。朝になったら塩水から取り出してください」
やりきった、と言いたげな満足そうな笑顔。
それを向けられて、「朝まで触っては駄目です」と釘を刺された料理人は動けなくなる。
「手伝っていただいたお礼に、あなた方もぜひ召し上がってください」
そんなことを言われた料理人から見れば、アルフェンルート様は天使の顔をした悪魔に見えたに違いありません。
厨房から出ると、クライブ様の張り付いた笑顔が僅かに強張って見えた。手元までは見えていなかったとは思うものの、料理人の顔色から不穏な空気を察したらしい。
「アルト様は、いったい何をされたのですか?」
いつもより軽やかに見える足取りで先を行くアルフェンルート様を見て、クライブ様が潜めた声で尋ねてきた。
横目に窺った顔は前を向いたままで表情も変わらない。一瞬空耳かと思いかけたが多分空耳ではないので、同じように声を潜めて答える。
「おおよそ常人には計り知れないことと申しますか……明日私達は、未知なる物を味わうことになるかもしれません。ですが悪気は無いのです、けっして」
ただちょっと、料理の仕方を知らなかっただけで……。
しかしまさか豪快に塩水を作り、その中に殻付きのままのゆで卵を放り込んで、ただ半日も放置するだけとは……。
アルフェンルート様の中では、朝になったら魔法のように料理が出来上がっていると思われているのでしょうか。料理人がこっそりフォローしようにも、触るなと命じられている以上は触ることも出来ないのに。
沈痛な顔になってしまった私の横で、クライブ様が「覚悟しておきます」とやけに真面目な声で頷いた。
(食べる気なのですか!?)
この人達の食事はアルフェンルート様も見ていないのだから、食べないという選択肢もあるのに。
どうやらちゃんと食べる覚悟を決めたらしい横顔を視界の端に認めて、少し息を飲んだ。
アルフェンルート様が時折距離を測りかねているのは、こういうところを見せられてしまうからなのかもしれない。
*
翌朝、アルフェンルート様が作られた悪魔の料理が食卓に並びました。
見た目は、普通のゆで卵。ですがこれは昨夜、アルフェンルート様に散々な目に遭わされた卵。
食卓に並んだということは料理人達も食べてなんとか問題なかったということなのだと思うものの、昨夜を知っているだけに躊躇してしまう。殻を剥きはしたけれど、口にする勇気が出ない。
そんな私に、期待に満ちた眼差しを向けるアルフェンルート様。
はやく食べて欲しいと目で訴えられている。
しかも、笑顔。
覚悟を決めてコクリと喉を嚥下させると、躊躇いを捨てて噛り付いた。食べきってみせますとも。アルフェンルート様が手ずから作った(?)のですから、食べないという選択肢はありません!
「…………、おいしい」
一口食べて、予想もしていなかった言葉が思わず口から漏れた。
卵には黄身まで満遍なく塩が染みていて、ちょうど良い塩加減。
(なぜ、あれでこうなるのです!?)
愕然と目を瞠ってアルフェンルート様を見つめれば、イタズラが成功した子供のように目を三日月型に細めて笑まれた。
まるで、本当に魔法でもかけたみたいに。
2019/01/02 活動報告投稿文再録




