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終幕


 夏が過ぎ、秋が来て、ふたたび冬が訪れる。

 新年を告げる王家主催の舞踏会の日はあっという間にやってきた。成人の儀も兼ねているそれに、15歳となった私も参列することになっている。

 この日の為に誂えられた、光沢のある白地に金糸の刺繍が緻密に施されたドレスを身に纏う。スタンドカラーのドレスは胸下で絞る形で切り替えられており、ハイウエストのスカートは花弁のように幾重にも重なったシフォンが裾にいくにつれて広がっていた。

 コルセットをする必要が無く、とにかく軽く、という注文でヘレンさんの工房で作ってもらった。


(これが流行ったら、コルセットで瀕死にならなくて助かるのだけど)


 密かにそんな打算も働いていたりする。

 背の半ばほどまで伸びた髪はハーフアップに編み込まれ、以前クライブに贈ってもらった髪飾りを留めた。

 髪型がすっきりとしている分、首と耳には連なった真珠のパリュールで華やかさを添える。この淡水真珠、ランス領の湖で採れるものだと聞いた。成人祝いと称して、つい先日クライブに贈ってもらったものだったりする。

 準備を手伝ってくれていた侍女のノーラが私以上にはしゃいで、「とてもお似合いです!」感嘆の声を上げる。

 最後に小さなティアラを頭に乗せてもらえば、鏡に映った自分はちゃんと『お姫様』に見えた。

 それを確認して、少しほっとする。

 皇女としては、これが最初で最後の公式行事ということになる。


(春になったら、クライブに嫁いでランス子爵夫人になるし)


 現在、クライブには子爵位が与えられてる。

 まだ若く近衛騎士の任にあるクライブが伯爵位を継ぐには負担が大きいので、現ランス伯爵が継続する予定になっている。幸いにもクライブの両親はまだ若い。王位争いも今はなく、ランス伯爵が怪我をする未来は起こらないだろうから、継ぐのは相当先になると思われる。

 おかげで私達は当分は自分達の仕事に専念出来るので、一安心。


(嫁いでからもお父様に呼ばれそうだから)


 父は私が使えると知るや、遠慮なく監査関連の仕事を持ってくるようになった。

 何の為に、自分がここにいるのか。自分に何が出来るのか。それを考えれば、利用されることもかまわないと思っている。

 それにそれで兄の負担が少しでも減るのなら嬉しい。僅かでも恩返しにもなっていれば、と思う。

 おかげで城で過ごす最後の1年はそれなりに忙しない毎日だった。それでも心は以前では想像できなかったほど穏やかに過ごせていた。

 とはいっても、弱っている時は過去に囚われて不安に襲われ、挫けそうになることもある。

 この1年で私の体質が改善されたわけでもない。今でも、悪夢を見て夜中に飛び起きることもある。

 けれど自分の周りにいる人たちの朗らかな笑顔を見れば、悔いを抱いたりはしないと思い直せる。そうやって少しずつ、自分の心の中の蟠りを落とし込んでいくことになるのだろう。

 自分がやってきたことはけして無駄なんかではなかったのだと、顔を上げていられるように。


(抗ったおかげで、今があるのだから)


 そのおかげで生まれた時から一緒にいた乳姉妹のメリッサは、私と同じく無事に今日デビュタントとなる。

 後から大広間で顔を合わせることになるだろう。ギリギリまで私の準備をすると言ってきかなかったので、宥めて家に帰すのに苦労した。伯爵令嬢なのに、侍女魂が根付いてしまっていて心配になる。

 そんなメリッサも私が嫁いだら伯爵令嬢に戻る。

 王都に滞在して本格的に婿探しに勤しむらしい。メリッサは一人娘なので跡取りとなる婿を取らなければならないため、この一年で既に有力株を絞っていたようだけど。

 メリッサは見た目に反して性格がきつめなので、相手がギャップについていけるかちょっと心配……。

 でもここから先は、メリッサ自身が自分の手で選び取れる人生だ。

  私はもしメリッサが困っていたら手を差し伸べられるようにするだけ。幸いにも私は王都にあるランス伯爵家のタウンハウスで生活するので、交流はしばらく続けていけそうで嬉しい。



 去年成人を迎えたセインは貴族籍にはないので、今日の舞踏会には出られないと聞いた。

 けれど夏に一度、仕事で兄のところに戻ってきていたので顔を合わせることが出来た。普段から手紙のやり取りはしているので、久しぶりに会っても会話に困ることはなかった。

 ただ、目線が随分と上の位置になっていた。

 人の姿を見るなり、怪訝な表情で「縮んだのか?」と言われて怒った私は悪くないと思う。次に会う時は10cmヒールで挑むと心に決めている。

 それはともかく、顔は似ているけれど瓜二つとまでは言えなくなっていた。

 背が伸びて、頬から柔らかさが抜けて精悍さが増した。体つきも大人の男として出来上がっていく過程にあり、女である私との差異はこれから更に広がっていくのだろう。


(もし今も私が第二皇子のままで、セインが傍にいたとしたら)


 私はもっと追い詰められて疲弊していたと思う。事態は最悪の形で破たんしていた可能性が高い。

 でもあれほど一気に成長したことから考えても、セインは私の傍にいた頃は無理に食事をセーブしたりして、私の体に合わせてくれていたのかもしれない。今の方が国内の端から端まで飛び回る忙しい生活だというのに、以前と比べて顔色もよく、目の輝きも違った。

 私から離れてからの方が楽しそうにしていることに、少し淋しさを感じたりもする。

 けれどそれ以上に、活き活きと日々を楽しんでくれている姿を見られたことが嬉しかった。



 変わらないのはラッセルぐらいかもしれない。

 私が嫁いでからもラッセルの護衛は継続される。子爵夫人になるとはいっても、元皇女。しかも実態は大したことないが『至宝』扱い。私が害されるようなことになれば大問題に発展するので、ラッセルは近衛騎士に籍を置いたまま派遣される形になる。

 それ以外のいま私の護衛をしている衛兵達も何人かは同様の形でつくようだ。

 ラッセルの妹であるノーラも、継続して侍女をしてくれる予定でいる。慣れた相手が傍にいる生活が続けられることに、恵まれていると心から思う。


(私にラッセルが付いてくるから、リズは会える機会が多くて嬉しいだろうな)


 ふと脳裏に友人の姿が浮かんだ。

 リズも同じく今日でデビュタントとなる。本当は一歳年上だけど、平民育ちなので礼儀作法諸々の準備で一年遅らせることにしたようだった。

 そして本来ならば今日が、私の死亡フラグしかない乙女ゲームの始まりの舞台だったりする。


(随分とゲームの設定と変わってしまったけれど)


 まず、私が女になってしまっているわけだし。

 それにあれはヒロインが様々な攻略キャラと出会って恋愛をするゲームだったけど、どうやら現在既にリズはラッセルのことが少し気になっているっぽい。

 考えてみれば、不安な時に付き添ってくれていた頼もしい騎士に好意を抱くのは自然な流れと言える。

 フェラー伯爵家で虐げられないよう、私のところから帰る時には抑止力となるようラッセルに送らせていたのも、気持ちを後押しする形になってしまったように思う。

 9歳も年齢差があるし、ラッセルがリズをどう思っているのかは私も知らない。

 気になるけど、私の立場でラッセルに訊いたらセクハラになってしまう……。

 それに、まだリズ自身もそれを恋と認識しているかどうか。

 下手に指摘するより本人が自分で気づいた方が良いと思うので、私からは触れないつもりでいる。


(ロイも頑張るって言っていたし)


 私としてはロイも応援したい気持ちがある。現実問題としてどうなんだろうと思うところはあるけれど、愛があればなんとかなるかもしれないし。


(この状態だと、兄様とリズの婚姻だけはなさそう)


 あのゲーム、メインの攻略対象は第一皇子だったような記憶がある。

 しかしリズの生い立ちと優しい性格を考えると、妃となるのはかなり厳しいと思う。よっぽどお互いに好きで頑張れる! というのならともかく、リズも兄もその気配は今のところ皆無。

 それでもどう転ぶかわからないけど、これに関しては私はそっと見守るだけ。

 ただ個人的にはリズもだけど、兄の妃選びの方が難航しそうで心配だったりする。兄には誰よりも幸せになってほしいと思っているのに……

 そこまで考えたところで、部屋にノックの音が響いた。


「アルフェ、そろそろ時間だ。準備は出来たか?」


 ちょうどタイムリーに兄が私を迎えに現れた。

 自慢の兄は今日も麗しく、所作一つとっても完璧。ただあまりに規格外な麗しさにも問題があるようだ。

 どうやら令嬢達から「自分が霞んでしまうから隣には並びたくない」と思われてるとニコラスから聞いてしまった。見ているだけでいい、と遠巻きにされているらしい。

 でも兄は中身だってとても頼もしくて、かっこいいのだ。どんな相手だって、中身を知れば陥落するはず。

 問題は、相手が兄に見惚れて呆けずにまともに話せるようにさえなれば……きっと。たぶん。だから。


「頑張りましょう、兄様」


 つい考えていたことが頭に残っていたせいで、兄に向かって力強く拳を握って言ってしまった。

 当然ながら、兄は怪訝な表情を浮かべて僅かに首を傾げる。


「今から頑張らなければならないのは、私よりアルフェの方だが……いや、クライブか。多少はまともに踊れるようになったのか?」


 そう言って、兄が伴ってきたクライブに視線を向けた。

 今日のクライブは近衛騎士の正装をしている。黒い制服の上に長いマントも纏っており、その姿は普段よりも威厳が増して文句なしにかっこいい。

 そんなクライブだけど、少し口元を引き攣らせながら「アルト様が相手であれば」と頷いた。

 このセリフ、クライブは惚気で言っているわけではない。

 本当に私が相手じゃないと、まともに踊れないだけである。

 以前クライブにダンスの練習相手を断られたことがあったけど、私に触れたくないという理由なんかではなく、本当に下手というだけだった。

 正確には、ステップは完璧。だけど、音楽に合わせることが致命的に出来ない。

 これまでクライブは兄の護衛だからとダンスを徹底的に断ってきたと聞いたけれど、避けていた本当の理由はたぶんそれじゃない。踊ってみたらよくわかった。あれでは令嬢の相手は厳しい。

 その点、私ならば男女どちらも完璧に覚えている。それに幸いクライブの運動神経と反射神経はずば抜けている。クライブが踊るステップをタイミングに合わせて私が口頭で指示することで、なんとか成り立たせることが出来るようになった。

 私も女性パートを踊りながら男性ステップの指示をするので、自分も混乱しないように密かに特訓したことは秘密だ。

 でもそのおかげで、安心させるように微笑むことが出来る。


「安心して任せてください。私がフォローします」


 クライブが申し訳なさそうに眉尻を下げながらも、安堵を滲ませた笑みを零す。ちょっと可愛いと思える珍しい表情が見られたので、私としてはそれだけで満足。

 足りない部分はお互いが補い合えばいい。せっかく一緒にいるのだから。

 そんな私達を横目に見て、兄が呆れ切った顔を見せる。


「おまえ達は事ある毎に見せつけてくるな」


 指摘されて、ちょっと羞恥で耳が熱くなった。そんなつもりはなかったのだけど!

 そんな他愛もない会話をしている間に、大広間へと辿り着いた。

 身長の倍以上はありそうな大きな扉の前に立てば、緊張で心臓がドクドクと脈打つ強さを増す。この向こうにいる人達から向けられる視線を想像すると、少し怖い。コクリと乾いた喉が鳴った。


「アルト様。お手をどうぞ」


 私の緊張を和らげるように、クライブが優雅に一礼して手を差し出してきた。

 エスコートは許嫁であるクライブがしてくれる。そのことが少しどころでなく心強い。覚悟を決めると、差し出された手に自分の手を乗せた。

 少し震えてしまっていた手をしっかりと握られる。大丈夫だと告げるように、手袋越しでもぬくもりが伝わる。


(大丈夫)


 凛と顔を上げた私を見て、クライブが微笑みかけてくれる。それに頷いて、踏み出した。

 恐れることは何もない。

 私は一人じゃない。

 こうして、一緒に歩いてくれる人がいるのだから。


(この死亡フラグしかなかった世界で)

 

 抗って。迷って。時に間違えて、立ち止まったりもして。それでも後戻りすることは出来ずに、顔を上げて走り抜けてきた。

 ここに至るまでには私の努力だけではなくて、いろんな人に助けられてきた。

 そうして勝ち取った未来。周りの人が繋いでくれた私の人生。

 ここで私は、あなたの隣で生きていきたい。


「クライブ」


 ゆっくりと扉が開かれていく中、隣にいるクライブにだけ聞こえる声で囁きかけた。こちらを伺う緑の瞳を見上げて、誓いの言葉を告げる。


「私、あなたを幸せにしてみせますから」


 だから、お願い。


(この手を離さないでね)


 きゅっと指に力を入れれば、一瞬クライブは驚いて緑の瞳を瞠った。すぐに「先に言われました」と困ったように眉尻を下げて苦笑いを零す。

 でも目尻が嬉しいのを隠しきれずに下がっていた。


「僕の方こそ、必ず幸せにしますから。愛しています」


 耳元に寄せられた唇から告げられた言葉は私にだけ届いて、心にあたたかい熱を灯す。

 思わず顔を綻ばせた私に応えるように、私の手を握るクライブの手に強く力が込められた。






 *完結*



閲覧・ブクマ・評価、拍手も、とても励みにさせていただいていました。

活動報告で不定期更新している閑話は、後日まとめてから追加したいと思っています。

ここまで長い時間をお付き合いいただけたことに、心から感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました!


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