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103 恋愛スキルが欲しい


 季節は移り行き、日に日に寒さが増す今日この頃。

 ラッセルを伴って医務室に向かうために中庭へ出れば、一瞬で寒さに体が強張った。ドレスは足元を隠すほど丈が長いとはいえ、歩く度に冷たい空気が入り込んでくる。肩から掛けた毛織のショールが手放せない。

 こういう時、男装は機能面では良かったと思う。後宮から出ないときは今も着ているけど、城内を出歩く機会が増えたのでそれも徐々に減ってきている。

 城に戻ってから、既に2か月が経過していた。あとひと月もしない内に新年を迎える。私が正式に成人するまで残り1年ということになる。


(このままいけば、無事に生きて迎えられそう)


 ここに辿り着くまでを思うと、本っ当に長かった。今でもこうしてここにいることが信じられない。夢でも見てるみたい。


 年が明ければ、正式にクライブとの婚約が発表されることが決定していた。


 これまで第一皇子派のクライブは表向き私と敵対する形になっていたわけだけど、それは大丈夫なのかという心配があった。しかし『敵を欺くには、まず味方から』ということにされており、母の目を掻い潜るための対応だったことになっている。

 クライブがこれまで周囲を欺いていた形になってしまうわけだけど、王命ならば従わなければならない立場である。その為、周囲に責められることはないと聞いた。近衛騎士団長と副団長は内実を知っているので、万が一何かあってもフォローに回ってくれる予定だ。

 それと私が医務室通いをするようになってから、クライブが監視という名目で頻繁に話しかけていたことも功を成している。極力人に見られたくないと言っていた私の意志に反し、幸か不幸かそれは周知の事実。

 その行動の裏を返せば、不遇の身に置かれている許嫁を気に掛けていた、という図に見えるらしい。

 次から次へと、都合よく辻褄を合わせるなって感心してしまう。


(兄様は一体いつからどこまで計算していたの)


 思わず勘繰りたくなってくる。でもおかげで世間的にもなんとかなりそうで胸を撫で下ろす。

 肝心なランス伯爵夫妻も、私をランス伯爵家に迎え入れることを快諾してくれている。

 元々ランス伯爵は私の現状に対して負い目を感じていた。その気持ちに漬け込むような形となることに罪悪感はある。

 けれどランス伯爵はランス領で私に剣を持てと命じられたことで、心の中の蟠りに一区切りがついたらしい。もし私にそう言われていなければ、凶手を前にした際、迷いを抱いたまま剣を持つことで命取りになっていた可能性もあったと言っていた。感謝している旨を告げられた。

 元を正せば、私の有り方が悪かったせいだと思うのだけど……。しかし歓迎してもらえるのなら有り難いと思う。

 ただすべてが良い方に向かっているとはいっても、私の体質まで飛躍的によくなるわけじゃない。後継ぎは難しいかもしれない、という点は変わらない。この件はまだ可能性の話なので、様子を見ることになった。

 けど場合によっては、義弟となるデリックに迷惑をかける日が来る可能性もある。

 デリックには以前に後継ぎ問題関連で偉そうなことを言ってしまった手前、そうなったら居た堪れない。けれどあの時の私が間違ったことを言ったわけではないと、クライブはフォローしてくれた。それとこれとは話が別だというのは、私も頭では理解している。

 単に、都合のいい時だけ頼ろうとする自分の身勝手さを知られたくないのだと思う。クライブの大事な家族に、嫌われたくないと思っているだけ。

 しかし現状、私が嫁ぐことに対してデリックの反応は思ったものとかなり違っていた。


「殿下が僕の義姉上になられるのですね。……義姉上……っ!」


 拳を強く握り締め、『義姉上』の部分をやけに噛み締めるように呟いていた。

 やはり私のことは受け入れ難いのかと思ったけど、その後で見せてくれたデリックの笑顔は驚くほど晴れやかだった。

 あれは演技なんかではなかった、と思う。責められることも覚悟していたし、よくても困惑されると思っていたので驚いた。


(私に対して思うところは色々あるはずなのに、受け入れてくれるなんて)


 思い返すと安堵の息が零れる。デリックの懐は思ったよりずっと大きいのかもしれない。


 ――こうして私の身の振り方は、ほぼこれで確定したと言える。


 あとは成人を迎えて嫁ぐまで、おとなしく過ごすだけ。

 そう個人的には思っているけど、私の生活は以前と比べて少し変わってきている。

 いつまでも引きこもるのも問題がありそうなので、先月ぐらいから図書室と医務室通いを再開した。正しい姿で姿を現すようになった私に対し、大半の人は腫物に触るかのよう。面倒な輩にすり寄られても迷惑なので、それはいい。

 変わったことといえば、以前より頻繁に父と図書室で顔を合わせるようになった。

 ふらりと現れては、調べてほしいことを言い置いていく。難しいことを頼まれるわけではないものの、それなりに手間が掛かって時間は取られる。


(なんだかいいように雑務を押し付けられてる気がする)


 そうやって、私がここにいる理由を作ってくれているのかもしれない。あの父は一応あれでもちゃんと私を気に掛けてくれているみたい。やり方はアレだけど。

 一方医務室は、図書室とはまた少し違う雰囲気がある。

 途中で通る訓練広場にいる騎士達も遠巻きなのは同じだけど、同情的な目を向けられている感じがした。今日も今日とて、さりげなく伺う視線は感じる。しかし1カ月も経てば、息すら潜めるような緊張感はなくなってきた。


(人の噂も七十五日というし、そのうち慣れるでしょう)


 自分に言い聞かせながら医務室まで辿り着き、そこで訓練に向かうラッセルと別れた。

 出迎えてくれた後任医師のスラットリー伯爵は、目元が父親であるメル爺によく似ている。これまでも年に2回は子供が喜ぶ手土産片手に挨拶に来てくれていたので、私も馴染のある人だ。彼は外の町の話を色々聞かせてくれるので、密かにこの時間が楽しみだったりする。

 時々、妻の惚気話が混ざるところは似たもの親子だなって思う。

 以前は遠い憧れとして聞いていたそれが、今は私でも手が届きそうなものになっている。


(そのはず、なのだけど)


 メル爺から届いた手紙の話をしたりして、お茶を飲み終わったあたりで広場へと繋がる医務室の扉がノックされた。

 視線を向ければ、クライブが顔を覗かせている。


「アルト様、そろそろお送りしていきましょう」


 相変わらず、ここにいるとクライブが声をかけてくる。

 でも以前と違って人目を憚ることがなくなった。それとセインがいなくなった代わりなのか、自室まで送り届けてくれる。

 日常の一環となったそれに頷き、スラットリー伯爵に暇を告げて立ち上がった。クライブと連れ立って自室へと向かう道を歩きながら、ちょっと考える。


(これってデート、になるのかな)


 いつも医務室から中庭を抜けて、自室に戻るまでの距離をクライブと二人で歩いていく。

 澄ました顔を取り繕っているけど、心音はいつもより忙しない。一応は付き合い始めて2か月、ということになるのだと思う。たぶん。

 脳内で「たぶん」と付け加えてしまうのは、仲が進展しているわけじゃないから。どころか。


(なんだか近頃、クライブを遠く感じる)


 比喩ではなく、物理的に。

 私が女になったからといって、手を取られるわけではない。まだ婚約を発表していないせいもあるだろうけど、ラッセルと同様、完全に護衛の立ち位置にいる。

 いや、護衛にしても付いてくる足音が遠い。肩越しに振り返って位置を確認して、思わず足を止めた。


「どうかされましたか?」


 クライブも足を止めて少し驚いた後、すぐに優しく目元を緩めて微笑んでくれる。

 その態度は以前より断然甘い。そういう目で見られると落ち着かない気分になる。大切に思われてるみたいで、こそばゆい。

 が、今はそれより気になることがある。この距離は一体どういうことなの。


(私達の間、2m以上あるのだけど……ちょっと遠すぎない!?)


 皇女と騎士としては当然の距離とも言える。でもラッセルでももっと近い。少なくとも何かあった際、一歩踏み込めば私を庇える程度の距離にいる。さすがにここまで離れてはいない。

 既に後宮内の庭なので、安全面を考えてもあまり近くにいる必要はない。とはいえ、医務室を出た時は違和感のない距離だったと思う。じわじわ距離が伸びている気がする。

 だいたいクライブは私が皇子の時には、よく遠慮なく隣を陣取っていた。離れろと何度言っても無視していたというのに。

 なぜ許嫁になると決まった途端、他人行儀な距離になるかな!?


「クライブ。あの、ですね。その……明日なのですが、こちらには参りません。送っていただかなくても大丈夫です」


 一体なぜそんなに遠いの。そう訊くために開いた口は、迷って結局違う話にすり替えてしまった。

 だって「遠い」と指摘したら、近くに来てほしいと言っているみたい。そんな恥ずかしいことは言えない。そんな柄じゃない。

 話すには少し距離があったせいか、ここでやっとクライブが近づいてきた。それでも1mは距離を空けて止まる。


「明日もですか? このところ散策されるお時間が減っていませんか」

「それは、このところお父様から頼まれた事をしていることが多いので……ですが、明日はリズのダンスの練習に付き合う予定ですから、ちゃんと体は動かします」


 元々散歩は体力増強のためにしていることだ。運動不足を責められる気配を察知して弁解すれば、クライブが驚きに目を瞠った。


「アルト様がエリザベス嬢のダンスのお相手をなさるのですか?」

「私相手ならばリズもそこまで気負う必要はありませんから。これでもダンスは得意なのです。初心者ぐらいならば教えられます」


 性別がバレないようにと、かつて男性側のステップを徹底的に体に叩き込んだ。ゆっくり踊る初心者の練習相手は問題なくこなせる。

 そう言えばクライブが少し苦笑いをした。


「皇女殿下に練習相手をされる方が気負われそうですよ」

「慣れない異性と練習するよりはいいでしょう。あれほど密着するとなると、踊り慣れていない方は緊張します」


 今まで自分もメリッサ相手に練習していたから何も思わなかったけど、普通に生活していて他人に密着する機会はない。ましてや相手が異性となれば、尚更。

 おかげで私も、肝心な自分のダンスの練習相手に困っていたりする。

 メル爺もセインも傍にいないし、ダンスの教師は女性。ラッセルはダンスにあまり馴染みが無いようだし、そうでなくともラッセルとはいえあの距離で異性と触れ合うのは抵抗がある。

 触れることで性別がバレる云々の問題はもうないけれど、警戒してしまうのは条件反射に近い。どうしても体が強張ってうまく踊れない。


「クライブ。もしよければですが……時間があるときに、ダンスの練習に付き合っていただけませんか」


 そこでふと思いついて、クライブを伺ってみた。

 いつか必ず踊る相手なのだから、最初からクライブと練習すればいいのでは?

 するとクライブは大きく目を瞠り、見るからに顔を強張らせた。


「ダンスですか? 大変申し上げにくいのですが、僕にはアルト様の練習相手を務められるほどの技量が無くて、ですね……今の僕ではとてもご満足いただけないかと。お役に立てず申し訳ありません」


 頬を引き攣らせ、クライブにしてはものすごく珍しいことに歯切れの悪いお断りをされてしまった。ばつが悪そうに一瞬目まで泳いだ。

 実を言うと断られると思ってなかったので少し、いや、かなりショックだったりする。 

 でもクライブの珍しい態度を見る限り、本当に苦手そうに見えた。そういえば普段の舞踏会でもクライブは兄の護衛に徹していて、全く踊っていないと聞いたことがあったような。

 ……だから大丈夫。断られたのは、私だから、じゃない。たぶん。きっと。


「そうですか……。苦手ならば仕方ありません。無理を言いました」

「申し訳ありません。練習しておきます。アルト様の御相手に関しては、兄君にお伝えしておきますからご安心ください」


 神妙に頷いて諦めれば、クライブは見るからに安堵を覗かせた。

 その態度に、チクリと胸の奥に棘が刺さる。このところ気になっていた、もしかして、が脳裏を過りかける。そこへ追い打ちをかけるみたいに、クライブが思い出したように続けた。


「明日はいらっしゃらないとのことですので今お伝えしておきますが、僕は明後日が非番となっています。その日はお送り出来ず申し訳ありません」

「それは構いません。体を休めることも大切です」


 元々、私を送るのはクライブの管轄外。兄に頼まれているのかもしれないけど、あくまで好意でしてくれているに過ぎない。

 そう、好意はあるはず。

 私を見る目は優しいし、見つめられると落ち着かなくなる程度に甘いとも思う。今も妙にくすぐったく感じてそわそわしそうになる。

 その反面、でも、と胸の奥が騒めく。先程の反応を思い返すと不安が膨らんでいく。

 実のところ、私はクライブのことをそれほど知っているわけじゃない。二人で過ごすのはこの短い時間だけ。しかも近頃は徐々に距離が広がっている気がする。クライブが何を考えているのか、思うように掴めない。

 単に適切な距離を測りかねているだけなのか。避けられているかというと、そういうわけでもないようだし。


(でもクライブが休みの日に誘われたことって、ない)


 正式に許嫁の発表がされているわけではないから、という尤もな理由はある。

 悶々とするぐらいなら私から誘えばいい話だけど、私の立場では命令になってしまいそうで言い辛い。休みの日まで会わなくても、こうして少しの時間とはいえ週の半分は顔を合わせているのだから充分だとも思う。

 それに婚姻することは確定している。先は長いのだから、急ぐことでもないわけで……。

 そう自分に言い聞かせながらも、微妙に空いている距離への焦りもあって口を開いた。


「クライブの趣味って、なんですか」


 一歩踏み込んで、思い切って聞いてみた。

 そこから休みの日は何してるのかとか、さりげなく聞けるかもしれない。


「趣味ですか? 剣の鍛錬と遠乗りです」


 クライブは唐突な問いかけに小首を傾げたものの、率直に答えてくれた。

 遠乗りはともかく、剣の鍛錬ってほぼ仕事! どうしよう。思った以上に趣味が合わなくて愕然としてしまう。剣の相手も、遠乗りも、どちらも自信がない。これでは誘われないのも当然と言える。

 でもここで諦めたら試合終了してしまう!


「他にはありませんか?」

「馬の世話でしょうか。普段あまり出来ないので休みの日はよくやっていますよ」


 往生際悪く食い下がれば、休みの日の行動を聞けてしまった。

 でも、馬の世話。なるほど、それは誘われるわけがない。

 仮にも皇女に「一緒に馬小屋の掃除をしませんか?」とか「馬を洗う手伝いをしてくれませんか?」とか誘えないでしょう。個人的には手伝うことに躊躇いはないけど、多分クライブが何をさせているのかと怒られる。

 こうして聞いてみると、私に付き合えることが無かった。馬におやつの人参ぐらいならあげられそうだけど、そんなのすぐに終わってしまう。

 それに休みの日ぐらい、気を遣わずに自分の好きなことをしたい気持ちもわかる。趣味の合わない私に合わせていては休みとは言えない。


「そうなのですか……。年が明けたら、クライブは誕生日がくるでしょう? お祝いするのなら、趣味に適ったものがいいと思ったのです」


 仕方なく諦めて、適当に質問の意図を誤魔化した。これもちょっと気になっていたことなので、勇気の出し損というわけじゃない。


「年が明けたらとはいっても、その2か月後ですよ」

「準備は早いに越したことはありません。ですが今のお話だと、馬の毛並みを整えるブラシか、おやつ用の人参ぐらいしか思いつけませんでした」

「馬が大喜びしそうですね」


 クライブが苦笑する。

 自分でも言ってから、何かが違うとは思った。馬を喜ばせてどうするの。それはそれで飼い主も嬉しいかもしれないけど、あえて誕生祝いに贈るものでもない。

 センスのなさが露呈して恥ずかしくなってくる。顔が少し熱い。そんな私を見て、クライブが喉を震わせて笑う。


「僕は気に掛けてくださったお気持ちだけで充分嬉しいです」


 嬉しそうに目を細められたけど、遠慮されているのを感じて途方に暮れた。単に私のセンスがないのに呆れただけかもしれないけど、線引かれたように感じて焦りが生まれる。


「欲しい物、ないのですか?」


 緑の瞳を見つめれば、一瞬クライブが息を詰まらせた。

 少し逡巡を見せた後、目を逸らさない私に根負けしたのか躊躇いがちに口を開く。


「では……ハンカチをいただきたいです」


 しかし告げられた内容に目を瞬かせた。


「ハンカチですか?」

「はい」


 今度は迷いも見せずに、大きく頷かれる。その顔はやけに真剣だ。


(そんなにハンカチが欲しいの?)


 珍しくもない日用品だ。クライブの立場なら私に頼らなくてもそれなりの物は手に入るだろうから必ずしも高価な物を強請る必要はないとはいえ、そんなものでいいの?

 確かに消耗品だから、いくらあっても困る物ではないけれど。


(遠慮されてるのかな)


 それとも思いつかなくて、咄嗟にいま一番欲しい物を言ってみただけなのか。

 その可能性が高い気がしてきた。

 近頃は曇り空の日が多くなってきたし、寒いので洗濯物の乾きは悪そう。ただでさえ近衛宿舎は女人禁制で侍女はいないようだし、急き立てる人がいなければ男性は汚れ物を溜め込みそうな偏見がある。ハンカチの替えが尽きてもおかしくはない。


「わかりました」


 頷いて了承すれば、クライブは目を瞠った後で嬉しそうに破顔した。

 ……そんなにハンカチに困っているの?





拍手ありがとうございました。

しばらく無理は出来ませんが、大事に至らなかったのが幸いです。ご心配おかけしました。

8月中には完結したいと思っています。お付き合いいただけたら嬉しいです。


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