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101 ただいまとおかえり


 兄と話した後、陛下とも話をすることになっていた。しかし呼び出された先は後宮ではなかった。兄の宮から地下の隠し通路を使い、案内されたのは見慣れた場所。


(図書室?)


 事前に人払いされているのか室内はひどく静かだった。嗅ぎ慣れた紙とインクに全身を包まれれば条件反射で安堵の息が漏れる。地下から上がり、中二階へと続く階段の前でそれまで案内してくれていたニコラスが足を止めた。「ここからはお一人で」と言われた言葉に頷き、階段を上がっていく。

 話し合いやすいように、慣れた場所にしてくれたのかもしれない。

 しかしそれでも尚、緊張で心臓はバックンバックンと騒がしい。

 柔らかい日差しが差し込む中、窓際の小振りなテーブルに着いている人は私のよく知る姿だった。王とは思えないラフな服装で、空色の瞳にモノクルを掛け、長い金髪はきっちりと三つ編みに纏めている。


「先生」


 ……じゃなかった! この人は陛下!

 顔を上げた相手に、反射的にこれまでのように呼びかけてしまった。慌てて謝るより早く、「呼びやすい呼び方で構わない」と遮られた。


「今更だが父とは認め難いだろう。憎まれていてもおかしくはないぐらいだ。私としてもすぐに認められようなどと、虫のいいことは考えていない」


 淡々とした口調ではある。でも突き放す声でもなかった。

 この場で「そんなことは御座いません」と即答できない自分がいる。まったく恨んでいないわけではない。まだこの人を素直に父と認めるには複雑なものがある。

 だけどここで僅かとはいえ共に過ごした時間を思えば、情を感じなかったわけではない。気に掛けてもらっていたこともあった。


(生まれてすぐに私を切り捨てるような真似をしたことを、この人でも悔いたりした?)


 真意はわからないけど、ここに至るまでに手を尽くしてくれたのは紛れもない事実。どうにかしてほしいと言外に訴えた私の話を聞き、最終的には見捨てたりしなかった。私の大切な人達も見逃してくれた。

 だからもう少し信じて、向き合う努力をしたいと思う。


「……父とお呼びできることは、嫌ではないのです」


 少し悩んで、とりあえず素直に思ったことを口にする。そう言いつつ、私の表情はきっと複雑な心情を映して強張っている。

 反面、こうして我が子として目を向けてもらえることに嬉しさも感じている。容易くそう感じてしまう自分自身が悔しくもある。

 けれど存在を認められて、こちらを向いてもらえるということが、今までどれほど得難かったか。その日々を思い返せば、今の状況は幼い頃に辿り着きたいと願った場所でもある。だから。


「救っていただいたこと、心より感謝しております。お父様」


 とりあえず、まずは呼び名から。

 まだ違和感はあるし、素直に父と慕うには時間が必要だけど、出来るところからやり直してみたい。

 母のように何一つわかりあえないまま別離を迎えたら、きっとまた後悔する。今は母と会いたいとは思えないし、話したいわけでもないけど、胸の奥で抜けない棘となって残っている。

 それを思えば、こうして機会が与えられるのであれば歩み寄ってみたい。ほんの少しずつであっても。

 呼びかけた私を見てモノクルの奥の瞳が瞠られて、すぐにそっと静かに伏せられる。唇から零れた深い息は安堵であればいいと思えた。

 頷かれて、手で促されるまま小さな丸テーブル越しの椅子に腰かけた。これがいつもの私達の定位置。

 改めて、ここから向き合っていこう。今度は、正しい形で。




 父が次に目を開いた時には、そこには厳しい表情が張り付いていた。鋭い空色の瞳で見据えられて、反射的に全身に緊張が走る。

 叱る父親の顔って、こういうのかもしれない。ちょっとどころでなく怖い。伸ばした背筋に冷たいものが伝う。


「考える時間が欲しいとは聞いていたが、出ていくとは聞いていなかった」

「……申し訳ありません」

「外に出るなとまでは言わない。だが、共も付けずに一人で勝手に飛び出す行為は問題だ。事前に私に許可を得るべきことだろう」


 声を荒げているわけではないけど、叱責をする声は怒りを含んで低く重い。前も似たような叱責を受けた覚えがある。成長していない自分を感じて、小さくなって「仰る通りです」としか言いようがない。

 それでも無理に連れ戻すことはなく、黙って私の好きなようにさせてくれていた。

 さきほど兄から、この人も若い頃に飛び出したことがあると教えてもらっていた。その時に兄の母と出会ったのだとも聞いた。自分も同じことをしているから、この人なりに私の気持ちも理解しているはずだとも言われている。

 とはいっても、そこからは滾々と叱責を受けた。

 皇女であることを差し引いても、未成年の娘が家出をすれば怒られて当然。浅はかだった自分を反省して、謝罪の言葉を繰り返す。

 ただ兄が言っていたように、今後の身の振り方に関しては事前にクライブとも話がついていたようだ。


「クライブに嫁ぐということで、納得しているのだな?」

「それが許されるのであれば、私に異論はございません」


 空色の瞳を真っ向から見つめて、はっきりと言い切る。

 ここにクライブがいないのは彼の目を憚ることなく、私の本心を確認をするためだったのかもしれない。迷わない私を見て、深く息を吐き出された。


「元々、案としてあったことだ。最初に、シークとの婚姻は一番手っ取り早い案だと言っただろう。一番というからには、それが難しい場合に備えて二番、三番の策は当然準備してあった。考えなかったのか?」

「……考えませんでした」


 呆れたように屁理屈を言われたけど、エスパーじゃないのだから他人の思考なんてわかるわけないでしょう!? 選択権があるのならば事前にそちらも提示してほしかった!


(でもこの人としては、一番の策が取れるならそれに越したことはないからあえて言わなかったのだろうな)


 そういうところが多分にありそう。

 でも、こうしてちゃんと私が口に出したことには耳は傾けてくれる。思えば、いつもそうだった。わからないことを尋ねた時、おざなりにされたことはない。ちゃんと考えて、答えてくれていた。

 ただ、こちらが何も言わなければ理解、了承したと思われる節はある。相手が相手なだけに、「言いたいことがあるなら、まず口にしろ」というスタンスに応えるのは難しい。これには徐々に慣れていくしかないのだと思う。

 あらかた話を終える頃には、随分と時間が経っていたらしい。遠くで昼を知らせる鐘がなったのを合図に、父が立ち上がった。


「話はこれで終わりだ。アルフェの部屋が整うまでもうしばらくかかる。それまではシークの元にいろ」


 最後にそれだけ言い残し、いつものようにポケットから飴を取り出して私の手に乗せていった。階段を下りていく姿を見送った後、残された飴の包みを開いて口に含む。

 口の中に広がるのは、私の好きな味。ほんのり甘酸っぱいそれは、緊張に強張っていた体をほぐしてくれる。


(こうして結果だけ見ると、私は一体なにを遠回りしていたの)


 猛烈に恥ずかしくなってくる。馬鹿みたい。というか、馬鹿でしょう。ここが自室だったら、頭を抱えてのたうち回っていた。

 育った環境のせいなのか、自分がどうにかしなくては、と思い込んでしまう節がある。それが余計に悪化させることになることもあるのに、染みついた習性は早々すぐには直らない。

 でもここを飛び出して過ごした時間が、私の中で無駄だったと思っているわけではない。

 傍から見れば愚かでしかない行為だったとしても、そこでしか得られなかったものもあった。それはきっとこの先、私を形作る糧になっていく。

 そのぶん周りには迷惑と心配をかけてしまって、本当に申し訳ない気持ちはある。それは私に出来ることで、今後挽回していけるよう努力しなければ。

 そう考えられるぐらいには、この場所も大切にしていきたいと思えた。




   *


 城に戻って1週間目にして、ようやく後宮の自室へと戻された。

 一ヶ月程度の不在で何を整える必要があるの? なんてことを思っていたけれど、部屋に踏み入れた瞬間に理解した。


「お帰りなさいませ、アルフェンルート様」


 そう言って私を出迎えたのは、まさかの侍女姿のメリッサだった。

 マッカロー伯爵家に帰ったはずの乳姉妹の姿を前にして、幻覚でも見ているのかと思った。愕然として大きく目を瞠って見入る。

 なぜここにいるの!?


「どうして、メリッサが」

「恐れ多くも陛下から要請を受け、急ぎ戻って参りました。アルフェンルート様がご成人されて嫁がれるまでの間、再びこちらでお仕えさせていただきます」

「!」

「ところで私がいない間に、単身で失踪の上、文書を偽造なさったとお聞きしました。年齢の詐称に加え、身分を偽称されて市井で労働をされておられたとのことですが」


 歓喜の声を上げるより早く、メリッサは淡々と私の罪状を突き付けてきた。

 怯んでぐっと息を呑んだ私を見据え、榛色の瞳が胸の内を探るように細まる。


「平民に混じって暮らされた挙句、人攫いにも遭遇しかけたと伺っております。しかもその際は周りに助けを求めることなく、ご自身が御友人を助けるために暴漢に向かっていかれたと……誤りがございましたら、訂正をお願いします」


 再会を喜ぶ隙もなかった。いつもより低い声で言い募るメリッサの顔が能面のようで怖い。

 改めて突き付けられた内容を聞くと、我ながらひどい。しかも文書偽造までバレている。乳母の名前を借りたので、マッカロー伯爵家の人間であるメリッサには怒る権利がある。


「……ありません。すべて、事実です」


 思わず丁寧語で返してしまったぐらい、メリッサから発する圧に気圧された。ある意味、父より怖い。肌がピリピリするほどの緊張感が走る。

 素直に罪状を認めれば、メリッサはそれまで抑えていた怒りを露わにした。眦を吊り上げ、大きく息を吸い込む。

 次の瞬間には、雷の如き叱責が落ちた。


「一体何をなさっているのですか!? ご自身のお立場を理解されていますか! この国の皇女、ましてや成人前の女性でいらっしゃるご自覚をなさいませ! 類まれな知識をお持ちであらせられるのに、なぜ肝心な常識が抜け落ちておられるのですかッ」

「ごめんなさい」


 凄まじい迫力に身を竦ませて、反省の謝罪しか言えない。

 王都で無事に暮らせていたのは、たまたま運良くいい人達に巡り合えたから。更に言うなら、密かに護衛役がフォローしてくれていたから。

 そこからは反論の余地のない正論で叩きのめされた。乳姉妹ということで遠慮がなく、怒りも相俟って父の叱責を上回る。

 自分達の育て方が悪かったのかと涙目になられたし、陛下も兄も家出を許すなどどうかしている、と誰かに聞かれたら不味いことまで言って怒り心頭状態。

 同じく室内に控えていたラッセルは聞かないフリをしてくれたけど、視界の端で居心地悪そうな顔をしていた。彼も私の家出を許していた立場なので、耳が痛かったのだろう。

 ひとしきり私を叱り、怒り、恨み言も混ぜた後、ようやくメリッサは落ち着いた。ランス領で私が無茶をした時以上の怒りっぷりだった。

 それだけ私を想い、心配させていたということでもある。

 私が戻ってきて一週間目にしてメリッサがここにいるということが、まず驚異的なのだ。

 家出中に再雇用の打診をされたとは思えないので、たぶん連絡は私が帰って来てから。マッカロー領にいるメリッサの元まで連絡が行くのに、早馬でも2日かかる。それを受けてすぐに最低限の荷物を準備して領地を出て、馬車を飛ばして来てくれた計算になる。


「心配かけてごめんなさい。心から反省してる」


 真摯に告げれば、メリッサが怒らせていた肩を落とした。気持ちを落ち着かせる為か、大きく深呼吸をする。

 よほど心配させてしまったのだと、ひしひしと感じる。それが申し訳ないけど、密かに嬉しかったりもする。じわじわと胸の奥が熱くなって、満たされていくのを感じる。

 目の前にメリッサがいる。怒っていても、そこにいることが嬉しい。


「帰ってきてくれて、ありがとう」


 今更だけど、皆いなくなってしまって淋しかったんだな、と気づいた。

 本当は私の傍にメリッサを据えることは、内実を知る者にはよく思われない。けれど世間的には、暗殺未遂があった頃から私は引き籠って表に出ていない。母の件があった後は特に。医務室どころか図書室にも姿を現さなくなったことで、仮にも至宝に思いつめて自殺でもされたら困ると考えて、お目こぼしされたのかもしれない。

 それとメリッサが戻されたのは私の精神的な支えが主だろうけど、ここに繋ぎとめる楔として人質的な役割も少しはあると思う。


「迷惑ばかりかけてごめんなさい」


 またもメリッサを巻き込む形になってしまったことは、心から申し訳ない。

 神妙に謝罪を口にすれば、メリッサが吊り上がっていた目尻を下げた。ようやくいつもと同じように柔らかく微笑んでくれる。


「そのように謝っていただくことはございません。こちらで育てていただきましたから、僭越ながら後宮での生活の方が落ち着きます。こうしてまた戻って来られたことは嬉しいのです」


 そう言ってもらえたことに安堵の息が漏れる。

 確かにここはメリッサにとっても実家という感覚なのかも。王都にマッカロー伯爵が来ているときはたまにタウンハウス帰っていたけど、遊びに行く、という感じだった。


「それに、こちらの方が有能な婿候補を探すには都合が良いですから」


 そう言ってメリッサは目を輝かせ、悪戯っ子のように口の端を吊り上げた。

 私に気を遣って言ってくれる部分も多々あるだろうけど、強く輝く眼差しは本心を言っているようにも見えた。

 貴族の婚姻は大抵親が決めるものだけど、メリッサの両親は恋愛結婚。メリッサの意志を尊重する方針なのかも。これまで私の性別上その手の話は禁忌に近かったので、メリッサとは恋愛にまつわる話はあまりしたことなかったけど。


「メリッサが無理をしていないのならいいよ。また一緒にいられるなんて、本当に嬉しい。メリッサに話したいことがたくさんあったんだ」


 元々私はメリッサにも多く話す方ではなかった。極力、自分の中で処理しようとしていた。メリッサもこれまで不安や心配を口に出したりはしなかった。

 でも今は、もっと色々話してみたい。メリッサの話も聞いてみたい。


「それはとても楽しみでございます」


 笑いかけた私に向かい、メリッサも嬉しそうな顔をしてくれた。榛色の目を細め、口元を綻ばせる。

 未来を悲観することなく、思い描くことが出来る。私に未来が開けたように、メリッサもようやく未来を描けるようになったのだ。



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