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88 だから、この手で幕を引く

※残酷描写注意



 エインズワース公爵が王都の屋敷で捕縛されて、早5日。

 交渉人としてメル爺を伴って少数精鋭で向かい、エインズワース公爵自身も抵抗を示さず捕縛されたと聞いた。密かにエインズワース公爵は城へと連行され、現在は地下牢で拘留されている。


 それに伴い、私にまつわる内情は陛下が周囲に説明している。


 私の暗殺未遂が起こった際、城にいたのは公爵家と侯爵家。それと王家と極近しい位置の伯爵家、祭祀を執り行う高官。即ち、私が何者であるかを公開しても問題のない相手。

 彼らには特に詳細な事情が告げられている。

 だが当然ながら真実を包み隠さず告げるわけじゃない。けれど丸ごと嘘に挿げ替えるわけでもない。

 真実の中に、嘘を落とし込まれている。

 陛下が織り交ぜた嘘は、陛下も当然ながら私が女であることを知っている、ということ。母から私を守るために公的にも皇子として育てることを了承した、という点。私は成人を迎えたら早々に然るべきところへ嫁がせる予定でいた、ということにしているようだ。


 それとまず、私の暗殺未遂に関して。

 エインズワース公爵長子オーウェンは、父親が私が本当は女であるにも拘らず王に立てるべく動いていると知り、そうさせぬよう私を排除すべく暗殺を仕掛けて失敗。その後、自決したことになっている。

 これは少し捻じ曲げられているけれど、完全に嘘というわけでもない。

 むしろオーウェンがそれまで私が女だと知らなかった、という点に関しては誰もが首を捻るだろうけれど、これは事実。


 次に、兄に対する暗殺未遂。

 結果としてオーウェンが王家に仇なす行為をした為、家を取り潰されることを恐れたエインズワース公爵が、助かるために私を王に立てるべく兄を排除しようとした。

 エインズワース公爵は私が女だと知りながら、皇子として利用しようとしていたことは息子すら謀っていたことで明らかである。これは事実。

 王位簒奪を目論めば、当然ながら一族郎党処罰される。

 けれど私は正しくは王家の人間であり、なにより至宝扱いでもあるので安易に処罰するわけにもいかない。利用されかけた哀れな子ども、という体を押し通すらしい。

 周りはこれらの説明に強引なものを感じても、目を瞑るしかないのだと思われる。

 乳母とメリッサ、メル爺も、私を女だとわかっていて陛下に世話を申しつけられていたことになり、巻き込まれかけた扱いなので一応は厳罰は免れる。


 そして、母に関して。

 本来なら咎められるべき立場だけど、彼女の籍は嫁いだ時点で王家にある。そして王族を処罰する法はない。ましてや彼女は『至宝』を生んだ人ということになっている。

 そんな母を公に罰することは出来ないので、彼女はエインズワース公爵領にて生涯幽閉される予定だと聞いた。


 セインは成人前で庶子ということもあり、またオーウェンを断罪する際に率先して動いたこともあり、王家に忠誠を誓っているという立場になっている。だがお咎めなしとはいかず、エインズワース公爵位を得る権利を剥奪される。平民に降格ということだ。

 貴族にしてみれば死に等しい屈辱的な扱いなので普通は恥じて自決する。

 だけど当然セインはそんなことはしないので、それは安心。


 でもこれらは貴族間での話あって、公に事実を言えるわけじゃない。


 これがエインズワース公爵領の民にまで知れ渡ることとなれば、混乱が起こることは必至。

 意外なことに、エインズワース公爵は領主としてはとても優秀だった。

 亡き祖母の意向も多分にあったのだろうけれど、領地では慕われる良い領主だった。加えて、かの至宝の血筋であり、過去の功績があるので公に処刑すると色々と面倒事が起こる。

 そのため広く世間一派には、エインズワース公爵と長子は食中毒で亡くなったという体を取る。

 年齢差がある二人が同時に亡くなるのは流行り病か、同じ食事で当たったぐらいしかない。妥当なところだと思う。

 そして母は、二人の急死に心神喪失となり療養という形でエインズワース公爵領へと移る、という名目が立つ。

 彼女が居を移すのはセインが庶子のため継承権を放棄、継ぐ者がいなくなったエインズワース公爵領を王妃直轄領にすることにも関係する。

 実際の統治は王がすることになるので、彼女が亡くなった後は王直轄領として吸収される算段である。元々は王直轄領だった地なので、元の形に戻るわけだ。領民も王直轄となれば不満も出ない。


 そちらは片付いても、私が実は女であるという問題が残る。

 これに関しては、真実をそのまま告げることとなる。悲劇の皇女に仕立て上げて同情票を集めるつもりらしい。

 王家としては醜聞を晒したくはないだろうけれど、母は嫁いで16年、王妃としての役割はちゃんと果たしていた。王宮を去ることもあり、私を生かすために陛下はこれを公にするのだ。

 納得できない者もいるだろうけれど、上位貴族は私が何者かを知っている。彼らは私を守る方向に動くはずである。下位は従うしかない。

 平民にとっては所詮雲の上の話、しばらくの娯楽扱いの噂話にしかならない。


(と、兄様は言っていたけれど)


 着替えている間の現実逃避で脳内を整理してみたものの、理解できている気がしない。

 こんなことなら、もっと早くに言っておけばよかったのでは……と、思うのは結果論に過ぎない。

 もっと早くにバレていれば、陛下は私ごとエインズワースを潰していた。私が兄を庇わなければ、兄と繋がることもなかった。皮肉なことに母が私を虐げなければ、自暴自棄になって兄を庇うこともなかった。

 たまに明後日な方向に足掻いていたからこそ、手に入れた道。

 ただこれを確定させる為にも、最後は私も表に立つことになる。


(上手くやれる自信はあまりないけど)


 でもこれ突破しなければ未来がないのだから、やるしかない。

 実のところ、私がこの先どうなるのかはまだ聞けていなかったりする。とにかく今は、大事な人達の最低限の未来だけは守らなければならない。

 熱の籠った頭を落ち着かせたくて、細く長く息を吐き出した。



 けれどその前に、私にはどうしてもやらなければならないことがあった。



 顔を上げて目に入った姿見の鏡には、いつもの男装ではなくドレスへと着替えた自分が映る。

 結局、ドレスを着たのはここに来た初日と今だけ。

 初日のドレスがどう効果を発したのかもわからないままだけれど、この宮に引きこもっている間は昔の兄の服を借りていた。男装の方が落ち着くし、人の手を借りて着替えるのはまだ苦痛だった。

 何より痩せ気味の体にコルセットは、骨部分に擦れて痛い。

 骨が痛いとぼやいたせいか、次の日にはクローゼットの中の服がコルセットを使わなくていいドレスに代わっていたけど。


(兄様の甘やかしが際限なくて慄く……)


 今日はその中の一枚。

 アンダーバストをリボンを結んで絞るので少しだけ胸があるように見えて、腰から踝に掛けてフレアスカートが優美に広がる。ずっと肌を隠してきたので、襟元がスタンドカラーで長袖なことにも安心する。これなら肩の傷も見えない。上は白地にレースが被せてあって、スカートにはリボンと同じく光沢のあるグレーの糸で刺繍が施されていてとても上品。

 異国の模様に見えるので、兄の母の服を貸してくれているのだと思う。悪いと思いつつも、今日ばかりはどうしても必要だったので有り難かった。

 髪は結えるほど長くないので下ろしているだけだけど、それでも女に見える。

 ちゃんと、皇女に見える。たぶん。きっと。

 目を閉じて、自分を落ち着かせるために息を吸う。今度はその息を吐き出しながら、ゆっくりと瞼を持ち上げた。

 覚悟を決めると踵を返し、部屋を出る。

 外で待っていてくれたメリッサがすぐに準備が出来た旨を兄に伝えに行き、今日の護衛はラッセルではなくメル爺を伴って先に玄関ホールへと歩いていく。

 この宮の人達はとても静かで、誰も私に奇異の目を向けない。兄が私に好意的だからそれに倣っているのだろう。だからこそ宮を出た先を想像すると、身が竦むような恐怖はある。


(それでも、行かないと)


 それは命じられたからではなく、私が自ら陛下に頼んだことなのだから。


「本当に行くのか」


 背筋を伸ばしたところで、兄がクライブを伴ってやってきた。二人ともいつもより顔が強張って見える。

 安心させるように、少しだけ笑いかけて頷いた。


「はい」


 兄の口元が僅かに歪み、それを隠すように深く息を吐き出した。エスコートするように差し出された手は首を横に振って断る。ここで頼っていはいけない。

 私は、一人で歩かなきゃ。

 兄はもう一度溜息を吐いてから先導するように歩き出す。その斜め後ろ付いて宮の外へと出る。

 外には衛兵が佇んでいて、兄の宮の人とはいえ私達の姿を見て息を呑んだのがわかった。それでもすぐに深く敬礼を受けながら、その前を出来るだけ平然と通り過ぎる。

 気づけば、季節はもう夏の終わり。私の心とは裏腹に空は晴れ上がっているけれど、流れる雲も肌を撫でる早朝の風も、秋の様相へと移り変わってきている。鳴く虫の声もどこか物悲しく響く中、無言で進んでいく。

 目指すは、同じ後宮内にある地下牢。


(あることは知っていたけれど、行くのは初めて)


 本来は罪を犯した後宮の人間を一時的に置いておくための牢。後宮の人が減った為にほぼ使われなくなり、今では貴人が罪を犯した場合にのみ使用される。貴人が罪を犯すと口封じで殺されることもある為、それを制する為に警備の万全な後宮内の牢が使われることがある。

 そうして今、その牢に繋がれているのはエインズワース公爵、ただ一人。


(抵抗はしていないと聞いているけど)


 諦めた?

 そんなわけないでしょう。

 まだ誰かが助けてくれると信じてる?

 誰が。母が? それこそありえないでしょう。

 ならば、私が?


(あの人の馬鹿げた計画では、私が歯向かうことなんて全く想定されてなかった)


 子は親に従うもの。下は上に従うもの。この国では、それは揺るがない常識。そう刷り込まれていたからこそ、オーウェン伯父様は乗り越えられなかった。

 そして私も、前の記憶がなければ祖父に歯向かうなんてきっと考えもしなかった。


(でも親だからって、完璧なわけじゃない)


 子どもの頃は、大人が……特に親は、何でもできる完璧超人に見えた。すべてが正しく映った。

 でも親は神様なんかじゃない。年を重ねた分、経験がある分、少し周りが見えるようになるだけ。

 それでも間違えることもある。すべて正しいわけじゃない。理不尽を強いることもあれば、八つ当たりだってすることもある。


(だからあなたが間違っているんだって、わかる)


 牢の入り口の前、事前に来ることは伝えてあったはずだけど二人の衛兵が目を瞠った。慌てて頭を下げる彼ら気にした様子も見せず、兄に続いて牢を進む。正直、今は彼らの目を気にしている余裕もなかった。

 牢と言っても、仕置きにも使っていたのか1階部分は窓に格子が嵌められていることを除けば、普通の部屋と変わらない。

 しかし地下へと続く階段に足を踏み出すと、一気に雰囲気が変わった。

 石づくりの壁と階段。蓄光石が溜める光も届かないため、ここでは等間隔に灯る蝋燭がか細く揺れる。

 肌に触れる気温が一気に下がり、全身が総毛立つ感覚に襲われた。それでいて緊張で肌に嫌な汗が滲むのがわかる。自分たちが階段を降りる靴音がやけに反響して、そこに激しくなった自分の心音が重なって不安を煽る。

 けれど意地でも感情は顔に出さない。

 地下は意外に広くて、思ったよりも歩いた。通風孔があるので呼吸に問題ないけど、光は届かない石造りの冷たい牢。

 兄が足を止め、私に場を譲るように横に退いた。代わりに一歩前に進み、鉄格子越しに中の人と相対する。

 服装は、たぶん連行された時のまま。顔には普段は一切ない無精髭が生えていたものの、やつれた頬はそれでも隠しきれない。


「ごきげんよう。エインズワース公」


 胸の内に込み上げる様々な感情を抑えこんで静かに告げる。

 私の声に反応して、エインズワース公爵が凛と顔を上げた。やつれていてもこちらを見据える目は爛々と輝いている。眼差しだけで気圧されそう。

 それが私の姿を見て、目を瞠る。


「なぜ、そんな格好をしている……ッ」


 さすがに意外だったのか、批難する嗄れた声がその喉から漏れた。声を荒げたわけではない。けれど唸るような低い声は牢の中に重く反響する。


「何をしている。おまえがするべきことはわかっているだろう」


 言外に、兄を殺せ、という命が頭に響く。

 この期に及んでも尚、馬鹿げた夢を追う姿に何の感情も湧かない。諦めも、失望も、既にこの人にはどんな期待もない。

 凄む声と眼差しに、いままでだったら竦んで言葉が出なかったかもしれない。震えて後ずさっていたと思う。しかし踏みしめる足に力を入れ、咄嗟に前に出ようとしたメル爺を手で制す。


「ええ。あなたの処遇を伝えに参りました」


 自分でも驚くほど硬質な声が出た。


(その為に、私はここに来た)


 私は聖人君子じゃない。人並みに怒りも憎悪もある。狂ってしまった哀れな祖父、という同情など欠片も湧かない。

 前陛下に愛した妻を自分が殺したと疑われたのがきっかけで、この人は狂ってしまったのだとメル爺は言った。

 けれど、この人が妻を愛してた?


(笑わせないで)


 その結果が、祖母との間に生まれた子どもたちを傷つけ、狂わせ、死へと追いやった。それでも妻を愛してると?

 ふざけるな。

 前陛下は、確かに人としては言ってはいけないことを言ったのだろう。だけど、この人がそう言わせてしまうような言動を積み重ねてきたからこその言葉だったとも言える。

 この人の周りには常にエインズワース公爵家を推す狂信的な家があった。彼らを諫めることもなく、野放しにしていた。そういう態度を見てきたからこそ、前陛下も「信用できない」という言葉を投げかけた。

 それは確かにきっかけではあったのだろうけど、その後の暴走を見れば前陛下の疑いも否定は出来ない。

 本当に祖母を愛していたと言うのなら、その後の行動で示せばよかったはず。彼女が残した子どもたちに、惜しみなく愛情を与える姿を見せればよかったはず。

 けれどこの人は、自分が否定されたことにしか心を傾けられなかった。そうして周りを踏み躙り、多くの犠牲を強いた。

 この人が愛したのは、祖母なんかじゃなかった。

 息子でも、娘でもなく、そして私でもない。


(この人が愛せたのは、自分自身でしかなかった)


 だから私も躊躇わない。

 これは、この人が負うべき罰。


「これからあなたは、北の塔に幽閉されることとなりました」

「なにを、言ってる……! 私を誰だと思っている! 私が処罰されれば、おまえとてただでは済まないというのがわからないのか!?」

「私がいつ兄様の害となることをしましたか? 私が兄様にしたことは、一度死んでしまった兄様を生き返らせたことだけです」


 真っ向から見据えて淡々と告げる。エインズワース公爵が一瞬息を呑み、徐々に愕然と目を瞠った。年を重ねて濁りかけた青い瞳を零れ落ちんばかりに見開くと、唇が戦慄く。

 自分の目の前にいるのが何なのかを、理解したように。


「ならば、オフィーリ……ッ」

「もう無理です。奇跡を起こすには、時間が経ちすぎている」


 声を遮って夢を挫く。

 老いた手が震えるほど強く鉄格子に縋りつき、声を失った唇が「なぜ」と動いたように見えた。


 ――なぜおまえが知っていて、自分にはそれがなかったのか、と。


 これはあなたが誰より求め、そして辿り着けなかった知識。

 知っていたとしても、馬車に轢かれた祖母を助けることはきっと叶わなかった。それでも「もしかしたら」が脳裏を過らずにはいられないでしょう?

『もし自分にその知識があったならば』

『自分こそが、特別な存在であったならば』

 そう自分を責めずにはいられないはず。

 あのとき助けられていれば、こんな未来にはならなかったのだから。

 私にあって、この人になかったもの。

 私の存在は、この人の胸に抜けない棘を残す。

 それは、せめてもの私の復讐。


「王位簒奪を企て、公開処刑とならないのは陛下とシークヴァルド殿下のご温情です。公には、あなたは病死となります」


 呆然と立ち尽くしたままの相手に淡々と決められた刑を告げる。

 けれど実のところ、幽閉というのは処刑と同じ。

 図書室の地下には幽閉された罪人の一覧も保管されている。それらの人は幽閉された月日は書かれていても、没年は誰一人として記載されていなかった。

 裏で手を回し、幽閉されたことにして解放された者もいると思う。寿命まで静かに暮らした者もいるかもしれない。けれどそのほとんどは、幽閉=死だから。毒盃を配られて呑むことを強要されることもあれば、耐えられなくて自殺する者もいる。

 その中でも北の塔というのは、冬を超えるのが難しいと言われる。これから徐々に風は冷たくなり、日の出る時間も短くなる。季節は凍てつく冬へと移り変わっていくのだろう。暖房設備どころか毛布すら与えられず、食事もまともに配給されることはない。ただ終わりを迎えることを望まれるだけの場所。

 一瞬で終わる断頭台と違い、死はじわじわと這い寄ってきて体と心を蝕んでいく。

 どれほど屈強な心身をもってしても、春は迎えられない。

 誰の助けも来ない絶望を噛み締めて。誰にも知られることなく、独りきりで。必ず迫り来る死への恐怖を味わいながら。

 ――死んでいって。


 …………そう、この人に望んだのは、母だ。


 それを教えない優しさは、私からのせめてもの餞別。


「さようなら。エインズワース公」


 おじいさま、とは呼ばない。

 最後まであなたは、私の家族にはなりえなかった。

 それでも胸の奥、じくりと痛みが走る。それに気づかなったフリをして、メル爺に視線を投げかけた。

 何か話すことがあれば、と思ったけれど既に捕縛に向かった際に話は終わっていたみたい。苦痛を耐えているような眉根を寄せた顔で、静かに首を横に振られた。

 それを確認してから兄に視線を向けた。眼差しだけで「もういいのか」と問うそれに頷き、迷うことなく踵を返す。

 呼び止める声はなかった。

 私も振り向かない。

 こうして私達は、違う道を行く。




   *


 牢から出ると、眩しい程の空の青さに目が眩みそうになった。急に息を吸ったせいか、少し眩暈がした。今までいた場所と空気が別世界過ぎて、悪い夢だったかのように感じられる。

 でもあれは紛れもなく現実で、気づかないフリをしたかったのに私の胸にもじくりと痛む棘を残している。


(もっとすっきりするかと思ったけれど、そういうわけでもないんだ……?)


 重苦しかった胸はぽっかりと空洞があいたようだけど、息苦しさが残る。

 断罪する、というのはそういうことだ。

 復讐しておしまい、というわけではない。

 己が告げた言葉の棘を、この手で切り捨てたことを、胸の片隅に抱えて生きていかなければならない。

 それを噛み締めて拳を握る。足を止めそうになった時、不意に隣に並んだ兄が片手で私の頭を引き寄せた。


「兄様っ?」


 ぐしゃり、とやや乱暴に髪が掻き乱される。

 宥めるように、それでいて少し苛立たし気なのは、「口は出さないでほしい」と事前に兄に頼んでいた私への鬱憤晴らしかもしれない。

 だけどその手から伝わるのが労りなことはわかる。


「そんな顔をするぐらいなら、誰かに任せればよかっただろう」

「誰だって告げたいことではないでしょう。あの人のために、誰かが嫌な思いする必要はありません」


 死刑宣告なんて、ただ告げるだけでもいい気分はしない。

 彼を幽閉する立場の人には後味の悪い思いをさせてしまうことは心苦しい。たとえ相手が極悪人であっても、公正な判決の元に下された罰であっても、罰するのが仕事だとしても、他人の生を終わらせる行為はひどく重く圧し掛かる。


「だからといって、わざわざアルフェが告げる必要はなかった」

「……私が生まれたことで、舞台は整ってしまったのです」


 これは私が背負うべき咎。

 発端は母だったけど、あの人はどこを向いても死亡フラグしかないような状況に私を追いつめた人。

 けれど今回の件を起こすまでは、あの人は私に対して非道だったわけではない。むしろ甘やかされていた、と思う。それは私をここに縛るためのものであったけれど、衣食住に関しては何不自由のない生活を送らせてもらった。どんな危険も及ばないように守られていた。

 私を傀儡の王にしたいが為だけの行為だったとわかってはいても、確かにそこにあるのは歪んではいても愛情だった。

 私の望まない形ではあったけど、誰よりも私を必要としていた。

 それが脳裏を過ると、僅かに甘さのある苦いものが胸に広がる。

 私の行為は、彼から見れば最大の裏切り。あれほど気に掛けてやったのに。おまえの為にしてきたことなのに。そう思っていると思う。実際には私の為にといいながら、自分の為にしか生きていなかったけれど。


(でもひとつだけ、あの人には恩がある)


 あの人が私を皇子だと言わなければ、私は母に殺されていた。

 ……あんな人だったけど、一度は救ってもらっていたのだ。


「だから、幕を引くのは私の役目なのだと思いました」


 この選択が正しいかどうかなんてわからない。もっとうまく立ち回れたかもしれない。けれど私には、これしか出来なかった。

 だから迷うことなく告げて、顔を上げた。




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