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4 ああ……武さん、ね

 ガタン ガタン……


 花火大会が行われるA市T川最寄り駅まで。

 乗り換え無しの快速電車におよそ20分揺られて行く。

 座席はところどころ空いていたので、俺と洋海ひろみは隣り合って座ることができた。

 座席に腰掛けたので、繋がれていた俺達の手は自然に離れる。


 俺は座って前を向いたままチロリ、と。目線だけ右隣の洋海をこっそりと見上げた。

 洋海は黒のポロシャツとグレーのハーフパンツにスニーカーという、シンプルカジュアルな出で立ちで、爽やか好青年オーラを溢れさせていた。相変わらずの柔和な雰囲気を纏った綺麗な顔を少しうつむかせ、明るいさらさらの前髪に目元を隠された横顔からは、表情は伺えない。


 さっきから思ってたんだけど……洋海の顔の位置が俺の記憶にあるよりも、少し高い? ような。

 きっと、また少し背が、伸びたんだな……

 改めてよく見ると、骨格とか顔のラインも前より精悍になった気がする。


 俺は視線を前に戻して、うつむきながら頬を染めていた。俺の右手にはまだ、先程まで繋がれていた洋海の手の感触が残っている。俺よりも大きくて、力強い、すっかり男子な洋海の手。


 さっき洋海が手を差し出した時、一瞬、小学生の時の記憶が頭をかすめた。

 昔、洋海と初めて会った時。まだ小学五年生になったばかりの俺は、洋海に「よろしくな」と手を差し出して、洋海はそれを握り返した。


 柔らかくて、温かかった、洋海の小さな手。

 俺は今でも、あの手の温もりを忘れなくて。

 ずっと、繋いでいられる関係で在りたかったけど……俺逹は年ごとにどんどん大きくなってしまったから。

 もうあんな風に、屈託無く手を繋ぐ事は出来ないんだろうな、と思っていたものだから……

 だから……

 だから……


 ……びっ、くりしたー……!


 ひひひ洋海のやつ、普通にしれっと手を差し出してきたんだけど!

 なにそれ! ありえたのー!? 高校生男女の間でー!?


 あ。あれか。えすこーと、とかいうやつか?

 なんか「女子」に対して「男子」がこう、エチケット的に気遣ってくれる的な、何か。

 あー……、そうかそうか。そういうことか。初めて見たから分からなかった。

 はいはい、えすこーと、ね。日本人男子があんなにもさらっと出来るものだったのか……知らなかったぜ。


 ふむ……つまり、どうやら、俺の「女子力」は無事に上がっている模様。

 さすがだなたけし兄ちゃんチョイス! 恐るべしだな浴衣マジック!


 俺がそんな事を考えているなどとは、知る由もないであろう、洋海が口を開いた。


「花火大会は19時スタートで、現地には18時前には着いちゃうんだけどね。そこそこちゃんとした場所に席取りたかったから早めに待ち合わせした。開始まで小一時間は待つ感じなんだけど……ごめんね」


 俺はぴょこっと顔を上げ、洋海の顔を覗き込むように首を傾げた。


「いやいや。色々と段取り考えてくれてありがとう。むしろ洋海といっぱいしゃべれそうで嬉しいから……待ち時間長いとか、全然かまわねーよ?」


 俺はそう告げてニカッと満面の笑みを浮かべた。


 洋海はそんな俺を見て口元を手で覆うと、なぜか顔を反対側に向けてしばしコホンコホン! と咳込んでいたのだが。やがて体勢を立て直し会話を再開した。


「それ……珍しいね」

「え?」

「浴衣」


 洋海は顔を正面に向けたままさらりと、何気ないトーンで俺の一大決心について触れてきた。


「あ、いや、あの。今日洋海と久しぶりに出かけるって言ったらさ、武兄ちゃんから『もっと女子力上げた格好で行きなさい』とか、何やら服装への検閲が入っちゃってさ」


 ちょっと照れて早口になってしまう俺と対照的に洋海は冷静な真顔になり、すうっ、と目を細めた。


「ああ……あの、多かれ少なかれ俺様属性な五十嵐三兄弟の中でも最強を誇るジャイアン……じゃなくて武さん、ね」

「じゃいあ……え? 何?」

「いや、こっちの話。……つまり、武さん命令で仕方なく、だったの?」

「あ、ううん。そうじゃなくて……」


 俺はしどろもどろになりながらも、洋海に、今の自分の想いを語るいい機会だな、と思い。その想いを素直にきちんと伝えたくて。言葉を探しながら語り続けた。


「最近井上から……あ、井上って今高校のバスケ部で同じ一年のやつなんだけど。ええと、その、井上ってやつから、さ。『五十嵐は自分が女だってこと、そんな否定すんなよ』って言われたんだよね。俺その言葉、すげー刺さってさ。自分でも無意識のうちに、自分のこと縛っちゃってたんだなぁ、って気付かされて」


 ちらっと洋海の方を見上げると、洋海は真面目な顔で静かに俺の言葉に耳を傾けていた。

 そうだよな……洋海はこういう時、俺の言葉がどんなにしどろもどろでも、必ず聞いてくれる奴だよな。

 俺は視線を正面に戻すと、安心して言葉を続けていく。


「俺、実を言うと……自分が女子らしくなっちまったら、もう洋海の隣に居られなくなるんじゃないかって……なんか勝手にそう思ってた。でも井上から『洋海自身が好きで一緒に居たなら性別の違いが理由で距離が離れるなんてことは無いはずだろ』、とも言われて……。ホント、そうだなぁって思って。その、とにかく、小難しい事考えずに、もっと素直になろうと思って」


 俺は語っている内容がさすがにちょっと照れるんで、顔が赤くなってしまいながらも……洋海に伝わって欲しくて、一生懸命言葉を続けた。


「俺も、洋海も、これからもどんどん姿形は変化していっちまうと思うんだけど……でも、それはきっと、すごく自然で大事な変化なんだよな。その変化を否定してたら、駄目だったんだ。だから俺は、その変化をきちんと受け入れながら、これからも洋海の隣に居たいと思って。だから、自分が女の子なんだってことも、ちゃんと、意識しようと思って……」


 伝わるだろうか? 自分で言ってても、相変わらずすごく感覚的で曖昧な言葉だと思うんだけど……

 ねえ、洋海。俺の気持ち、ちゃんとお前に伝わってる……?


「あの、それで、武兄ちゃんの提案は俺的にも渡りに船だったというか……その、俺もちょっとは女子力上げた格好してみようと思って……」


 そこまでがんばった俺だが、羞恥心がMAXに到達し、ついに口を閉じてしまった。

 顔を赤くしたまま、うつむいてしまう。

 そのまましばらく黙っていると、洋海が静かに口を開いた。


「……さっきも言ったけど」


 俺はぴょこっと顔を上げて、洋海を見た。

 洋海の綺麗で静かな瞳と目が合った。


「すごく、可愛い」


 洋海はそう言って、俺と目を合わせたまま、柔らかく微笑んで。


「北斗が、だよ?」


 台詞を重ねられ、思考が逃げを打つ前に退路をふさがれた俺は、ピシッと固まった。


 そして次の瞬間、ぶわわ! っと。

 もともと赤かった顔が更にゆでダコのように赤くなるという、我ながら器用なことになってしまった。

 は、恥ずかしいけど……う、嬉しい……。

 そうか……女の子って、こんな風に「可愛い」って言われると、凄く凄く嬉しくなるものだったんだなぁ……


 そんな新しい発見を噛み締めながら、俺は安堵のため息を吐いた。


「はー……良かった」

「ん?」

「いや、武兄ちゃんの横から健司郎が『女子らしい可愛い格好で現れたら洋海くん喜ぶよ』なんつって、俺その言葉に速攻食いついちゃったんだけど。さっき駅に向かって歩きながら、よく考えたら俺の女子らしい格好見たって洋海が喜ぶとは限らないじゃん! て思ってちょっと心配になっちゃってたから。だから……良かった。洋海に『可愛い』って思ってもらえて」


 俺は赤くなった頬を両手で挟みながら、安堵のあまりヘニャッとゆるみきった笑顔になってしまった。


 洋海はそんな俺を見て再び口元を手で覆うと、なぜかまた反対側を向いてしばしコホンコホン! と咳込んでいた。


 んんん? 洋海、夏風邪か?


 俺はそんな洋海を見ながらキョトンと、首を傾げてしまうのだった。

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