3 お待たせ!(北斗&洋海視点)
大丈夫かなぁ……
土曜日。
俺は駅に向かって歩きながら、慣れない女子らしい格好をしている俺に対する洋海の反応に対して、だんだん不安になってきていた。
健司郎の「洋海くん喜ぶよ」発言にすぐさま食いついてしまい、先日スポンサーの母ちゃんと、お目付役の武兄ちゃんと、おまけで健司郎をお供に連れてショッピングに出かけ。服やら小物やらを一式購入してきた俺は、今このような格好をしているわけだが……そもそもホントに洋海が喜ぶのか!? ……という点がすっかり頭から抜け落ちていた。
よく考えたら、洋海だぞ?
超合理的にモノを考える男で実はめっちゃドライな男だぞ、洋海は。
女子らしい可愛い格好、イコール、動きづらい格好……とも言えるわけで。
“えっ、何そんなヒラヒラした歩きづらい格好で来てるの。花火大会だって言ったよね。屋外だよ。片道30分だよ。電車も乗るし結構歩くんだよ。万が一途中で足痛いとかもう歩けないとか言われても面倒見きれないけど目的地まで何事もなく予定通りの時間にたどり着けると思っていいのかなおい?”
……あいつならオシャレしてきた女子に対してこのぐらいのツッコミを脳内でかましてきそうだな……表面上は柔らかく微笑みながら。ううう。怖いよー!
しかし時間的に、今からもう一度家に帰って着替え直して出直すとか不可能だし……このまま行くしかねーんだよなー……。
うー。あー。うー……もう〜〜〜! どうにでもなれ!
俺は無理やり開き直ると、駅に向かって歩調を速めた。
***
16時57分。
僕は左腕を少し上げて時計をチラリと確認した。
北斗はほぼ約束の時刻ジャストに現れるタイプだから……多分そろそろ来るだろうな。
日の長い夏、この時間はまだまだ明るい。
暑さのピークな真昼は過ぎているので照りつける日差しという訳ではなく、外出する億劫さもまあまあ和らぎ始めてはいるが。人混みが苦手な僕は本来なら花火大会なんて、自分からは絶対に行かないタイプだった。
じゃあなんで僕が今こんな、駅前で花火大会に行くために待ち合わせなんてしているのかというと、相手が北斗だからだ。
北斗と会える口実になるなら、花火大会であろうがなかろうが、実のところ何でもよかったのだ。
五十嵐 北斗。
小学五年生の時に同じクラスになって以来、いつも一緒に過ごしてきた、幼馴染の女の子。
僕はどうやら同じ年代の子供達と比べると、ずいぶん大人びた精神の持ち主であったようで。他の子供達が面白いと思ってやっていることを、あまり面白いと感じることが出来ない子供だった。
だから僕は常に装っていて。笑顔が「可愛い」子。聞き分けが「良い」子。友達に「優しい」子。僕は僕がどのように振る舞えば周りが喜ぶのかを心得ており、それを実践できる要領の良さは持ち合わせていた。自分の存在が「異端」として弾かれないように身を守る為、「良い子」に擬態して社会や集団に溶け込んでいたのだ。
北斗は初めて会った瞬間に、そんな僕の擬態を一目で看破した子だった。
「あのさ、なんか、つまんないの?」
「いやなんとなくだけど……君は顔は笑ってるんだけど、ホントに笑ってないなぁ、って思ったから」
誰かにそんな事を言われたのは初めてで、全部その通りだったから。それを言い当てたその子が何者なのかを知りたくて……気が付いたら僕はすっかり北斗に惹かれてしまっていた。
北斗の言動は、いつも僕の予想を超えていて。
北斗の全てが新鮮で。
僕は北斗と出会って心から笑うという事を思い出せた。それまで僕にとってモノクロでしかなかった世界が、北斗を通して鮮やかに色を帯びた。北斗といると僕は、僕の生の感情を呼び覚まされる。
だから僕にとって、北斗を失うことは世界が色を失うことと同義。
失えない存在。
ずっと、隣に居たい存在。
そう認識した僕は、僕の中で北斗に対して芽生えていた男としての感情は封印して、無害な幼馴染でいるという擬態を続ける事にした。そう擬態してでも、隣に居る事を選んだのだ。
北斗はまだ、変化を望まない。
まるで少年の様な少女のまま幼馴染という殻を守り、そこから先には踏み出さない蛹。僕はずっと、君の羽化を待っている。いつかその殻を破る美しい蝶に出会えたなら、その時はその蝶を捕らえたくて……
「洋海! お待たせ!」
よく通る涼やかな女の子の声が響き、僕はハッと我に返った。
……ああ、やっぱり北斗は、約束した時刻ジャストに現れるなぁ……
そう思いながら顔を上げた僕は、そこに五ヶ月ぶりに再会した北斗の姿を見つけ、驚愕で固まった。
急いで歩いてきたのだろうか。
少し上気したように桜色に染まった頬と赤い唇が、透明感のある白い肌の美しさを一層際立たせていた。
艶やかな短い黒髪ときらきら瞬く大きな黒い瞳はそのままに、しかし僕の記憶にあるよりも、顔の位置が前より少し低くなったように感じる北斗は。
青や紫の朝顔模様があしらわれた藍色の生地に、赤い帯を締めた、美しい浴衣姿……だった。
耳元には羽にキラキラ光る石がはめ込まれた蝶々モチーフの髪飾りを付けている。
浴衣の襟元から覗く白い首筋やうなじからは、否応なしに女的な色香が溢れ出ていて……初めて見る北斗のその姿に、僕は驚愕と感嘆で凍りついた様に固まってしまったのだ。
しかし北斗は何やら僕のその反応を、違う方向に勘違いしたようで。
「いや、分かってるから! ちゃんと歩きやすさ重視でぺったいサンダル履いてきたから! 慣れない下駄とか履いてきてないから! 大丈夫だから!」
真っ赤になった顔で僕的には特に要らない情報を一生懸命叫んでいる。
……? よく分からないが、浴衣で来たことを僕が不快に感じていると思っているのだろうか……?
それで、照れてる……?
僕はうつむいて口元を手で覆いながら、しばし、ふるふると悶えてしまった。
なんということだ。
相変わらず北斗は僕の予想を超える動きをする。ただでさえ五ヶ月ぶりに会える喜びで相当テンションが上がっていた僕だから、これ以上の喜びに打ち震えることになるなんて、想像もしていなかった。
しょっぱなから、こんな、色んな意味で可愛い姿を見せてくれるなんて……幸せすぎる……
幸せを噛み締め終えて顔を上げると、僕は真っ赤になってあわあわと叫んでいる北斗を安心させるように、柔らかく微笑んだ。
「久しぶりだね、北斗。すごく、可愛いよ?」
僕の言葉を聞いた北斗はあわあわしていた動きを止め、僕を凝視したまま一瞬ピシッと固まったのだが。
次の瞬間、ぶわわ! っと。
それ以上赤くなりようのないはずの顔を更にゆでダコのように真っ赤に染めるという、難易度の高そうなことをしてみせて。
「ゆ、浴衣がなっ」
僕から目をそらしながら、そんな台詞を早口でゴニョゴニョっと唱えた。
くっ……
なんだこの可愛い生き物は。
僕は内心に芽生えそうになる己の危険な衝動を抑えるのに必死、という状況に追い込まれることとなった。何の修行だろう。
「じゃ、行こうか」
僕は慣れない浴衣姿でこれから電車に揺られなければいけない北斗に対して、深い意味はなく、ごく自然に手を差し出してしまったのだが。
差し出した僕の手を見て一瞬戸惑いを見せた北斗を見て、ああ、そういえば高校生にもなって恋人でもない男女が手を繋ぐとか無いよな……と気付いた僕が、手を引っ込めようとするよりも早く。
……きゅ。
僕の記憶より少し低い位置にある北斗の顔が、赤く染まりつつも嬉しそうにはにかみながら、おずおずと僕の手を掴んだのを、見た。
くっ……
ヤバい。マジで。何の修行だ。
おそらくは僕の顔も……赤く染まってしまっているに違いなかった。




