1 ああ……洋海君、ね
「アオハ アイヨリ イデテ アイヨリ アオシ……って、どーいう意味だっけー……」
そんな言葉を思わず呟いてしまうような、見事な見事な青い空……
俺は今日も何とは無しに空を見上げていた。
今日も。
そう。
俺はよく空を見る。何故……といわれると、上手く説明できなくて、困ってしまうのだが。
なんて言ったらいいのかな……ええと。
まあ、俺なりに馳せている思いが色々あるにはあるのだが、それを言葉にしてみても、感覚的で曖昧な分かりづらい言葉がずらずらと並ぶことになってしまう。
俺がそういう話をすると大概の人にはキョトンな顔をされてしまうので……いつからかそういったことはあまり人前で口にしないようになった。俺は昔から論理的に説明するのが苦手で、自分が感覚として捉えている事を他人に説明するのは、いつも難しかったから。
でも、一人、居たんだ。
俺が時折漏らす、そんな感覚的で曖昧な言葉をいつも拾っては、俺の心の機微に耳を傾けてくれる男の子が。
それが、洋海。
俺は自室のベッドに仰向けに横たわりながら、窓から見える夏特有の見事な青空を見上げ、そんなことを思っていた。
高校は夏休みに入り、午前中の男子バスケ部マネージャー業を終えて帰宅し、昼食を食べ終え、こんな風に休息を入れていた八月のある日の午後のことである。
俺の名は、五十嵐 北斗。高校一年生。
「俺」なんて言ってるが、れっきとした女子である。
五十嵐家は俺と、二つ上の兄ちゃんと、三つ下の弟の三兄弟で。男兄弟にサンドされて揉まれて育った俺は、言動がガッツリ男前に育ってしまった訳だ。そんな俺は昔から、どちらかというと女子よりも男子とつるむ方が多くて。
洋海こと綾部 洋海は男子だが、小学五年生の時に席が俺の一つ前だったことがきっかけで仲良くなって以来、中学三年生までいつも一緒に過ごしてきた幼馴染。俺にとって洋海は、これからもずっと隣に居たいと願う大切な存在だ。
別々の高校に進学してからは、ただなんとなく会う、というのは難しくて、一度も直接会えていないんだけど……
ピコン♪
それは、一通のメッセージから、始まった。
《久しぶり。今度の土曜日空いてる? もしよかったらT川の花火大会一緒に行かない?》
俺はスマホが受信したそのメッセージを確認し、自室のベッドで寝そべってゴロゴロしていた体勢からガバッ! と飛び起きて、画面を二度見した。
洋海からだ!
今ちょうど洋海の事を考えていたタイミングで洋海からメッセージが届くなんて、なんつーミラクル!
今度の、土曜日? えーとえーと部活は休みだし……空いてる……よな……?
俺は部屋の壁に貼ってあるカレンダーを覗き込み、指を指しながら確認した。
八月◯日、土曜日……うん。何も無い。
俺はいそいそとメッセージを返信した。
《今度の土曜日、空いてるよ! 行く行く! てか会いたいし!》
程なくして、スマホが再びピコン♪ と洋海からのメッセージを受信した。
《良かった(笑)じゃあ、17時に駅前に集合ね。よろしく》
俺は《了解!》と返信して、スマホを下ろした。
わー、わー、わー……!
洋海に会うの、めっちゃ久しぶりなんだけど……!
こんな風にメッセージのやりとりは時々していたものの、直接会うのは中学卒業して以来だから……実に五ヶ月ぶりだ。
やばい。すっげー嬉しいっ。
俺は二階の自室を出て階段をトントントン、とリズム良く下り、一階のリビングに足を踏み入れた。
リビング内はエアコンが効いていて一際涼しく感じる。俺は冷房が苦手だから、自室は設定温度高めにして、扇風機と併用してしのいでいるもので。
俺はソファに座ってくつろいでいた武兄ちゃんを見つけて、その背中にどどーん! とタックルをかました。
「いやっほーう!」
「ぅおう!? なんだ妹よ。びっくりするじゃねーか。いきなり人の背中に背後から体当たりとかしたらダメだぞっ。危ないからっ」
「えへへー。ごめんごめん。ちょっと嬉しい事があったから、テンションが上がっちったー」
武兄ちゃんは二つ年上の高校三年生。
顔は俺とよく似た黒髪しょう油顔の純日本人タイプだが、体型は身長180cmで鍛えられた運動部男子である。俺のタックルなんて余裕で受け止めちゃうから安心なのだ。
頭を掻きつつニカッと満面の笑みを浮かべる俺を見て、武兄ちゃんはピクッと眉を上げた。
「ほう……何かねその、嬉しい事、とは」
「あのねー、さっき洋海から連絡きてねー。今度の土曜日一緒に花火大会行こう、だって! 洋海と俺、高校入ってから一回も会ってなかったからさー。五ヶ月ぶりなんだよ! 久しぶりに会えるから、嬉しくて!」
テンション上がり気味の俺と対称的に武兄ちゃんは冷静な真顔になり、すうっ、と目を細めた。
「ああ……あの、色々こじらせてすっかりムッツリスケベに年季の入った人……じゃなくて洋海君、ね」
「むっつり…… え? 何?」
「いや、こっちの話だ。気にするな、妹よ」
武兄ちゃんは俺の頭をポンポン、と撫でた。
「ふむ……なるほど。いいか北斗、よく聞きなさい。そのイベントはあれだ。はたから見たら立派な『デート』、というやつだぞ?」
「え! そんな大層なもんじゃないよ? 洋海と出かけるなんて中学まではしょっちゅうだったし」
武兄ちゃんはにっこりと穏やかな笑顔を作った。よく分かってない子に対して、分かる様に説明しましょう、という顔だ。なんなんだ。
「中学生までと高校生を同じにしてはいかんよ? しかも五ヶ月のブランクを経てのお出かけイベントだろ? 兄ちゃんの予感だと洋海はぼちぼち本性現し始めそうなフラグがばんばん立っちゃってるぞ?」
「はあ……? 何のフラグ?」
と、そこに。椅子に腰掛けダイニングテーブルに向かい、何やら宿題らしきドリルに取り組んでいた弟の健司郎も参戦してきた。
「えー! 北斗と洋海くん、ついにリア充化ー!? 俺やだー! 北斗が爆発するのやだー!」
健司郎はそう叫びながら俺にどどーん! と抱きついてくる。ゴフッ……弟とはいえ、すでに160cmの俺に身長がほとんど追いついている中学一年生男子の、加減無しの体当たりは厳しいものがあるぜっ。武兄ちゃんさっきはゴメン、だぜっ。
俺はやんわりと、武兄ちゃんをそのまま幼くしたような容姿をした健司郎の腕を引き剥がし、頭を撫で撫でしてやる。
「落ち着け、健司郎。俺と洋海はリア充とかそんなんじゃ、ない。あともしリア充だとしてもホントに爆発とかしないから。うん」
「それは分かってるけどさー。北斗と洋海くんが二人でお出かけするのはホントなんだろー? そんなの、はたから見たら立派な『デート』じゃん!」
んんん? あれ、そういう感じになっちゃってるの?
俺は別にそんなつもりじゃなかったんだけど……武兄ちゃんも健司郎も「はたから見たらデート」説を推してくるという事は……そう見えちゃってるって事か?
いや、でもでも待てよ。俺もそうだが、肝心の……
「洋海にも、そんなつもりは無いと思うぞ?」
俺がそう言うと、武兄ちゃんと健司郎が同時に俺にジトー……っと細い目を向けてきた。残念な子を見る目だ。なんなんだっ。
「洋海くん、相変わらず苦労してるんだねぇ」
「そうなんだよなー。あいつそれで色々こじらせちゃってるからなー。いざ解禁、てなった時に可愛い妹の身が心配な俺様なんだがなー。だがまぁしかし同じ男として、あいつの舐めてきている辛酸を思うと……ちょびっと哀れに思わん事もなくもない……」
武兄ちゃんも健司郎も、うつむいてため息をついている。なんなんだっ。
「……よし」
やがて武兄ちゃんが意を決した様に顔を上げた。
「特別出血大サービスだ。俺様が少しだけ協力してやろう。……感謝しろよ洋海め」
武兄ちゃんはそう呟くと、俺の方に向き直った。




