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5 それは、まだ。(井上視点)

 二学期に入った。

 俺と五十嵐が所属する男子バスケ部では、まもなく全国選抜の県予選が控えている。この大会のどこかの試合で負けたらば、そこで三年生は引退となる。


 ちなみに俺らの高校の実力はというと、大体例年、県大会のベスト16まで進む程度の強さである。良くてベスト8。県内ではそこそこだが、全国に進めるレベルでは無い。中の中といったところか。一年生の俺らはまだ今回は試合に出場する機会は無いであろうが、練習に励む。マネージャーの五十嵐も相変わらずくるくるとよく働いていた。


 五十嵐はあれから、まるで花の蕾が綻ぶかのように綺麗になっていった。もともと単純で素直な気性だからな。自分が女でいいのだ、と受け入れてしまえば変化も著しかった。相変わらず「俺」って言うし、チョットいじるとムキになって挑んでくる、五十嵐は五十嵐のままなんだけれども。


 でもなんというか、自然体になったというか。殻のようなものが無くなったので、五十嵐の奥で眠っていた女の属性が表に出てきた感じだ。


 短めだった髪は肩まで伸びて、つややかさが増した。瞳に瞬いていたきらきらした光は深さを帯びて、吸い寄せられるような引力を持ち出した。透明感のある肌に頬の桜色と唇の赤色が映えて……男子から見て充分魅力的な女子に映るようになったのだ、五十嵐は。


 これで更に恋をしたならば……色気も増してくるんだろうけど。その辺りに関してはさすがにまだ子供っぽいところがあるなー。


 なにしろ、俺はこいつに、おかん呼ばわりされとるからな……。


 あれは今でも思い出すと顔が引きつる黒歴史である。五十嵐め……いつか、いつか覚えておれよ。俺の狼な一面見せてやっかんな! ……しかしまあ、急には無理だろうなー。なにしろ五十嵐だからなー。そっち方面はゆっくり攻めないと。また走って逃げられたら敵わん。

 俺は長期戦に挑む覚悟を決めている。自分で自分を褒めてあげたい!


 俺はハァ、とため息をついて、コート内を走る五十嵐を見た。

 朝練開始30分前。五十嵐と俺の、密かな癒しの時間である。

 五十嵐は相変わらず楽しそうなキラキラオーラを発しながら、自由にドリブルやらハンドリングやらシュートを繰り出していた。シューティングモーションに入り真剣な表情でリングを見つめる五十嵐の顔は、普段よりも大人びていて、プレー中の刹那に覗くこんな五十嵐の顔に、俺は釘付けになる。


 しかしそんな顔は一瞬で。ボールがリングに入った後、コートの外に座っている俺の方を見てニカッと笑う五十嵐は、俺の良く知るいつもの子供っぽい五十嵐なのだ。


 こいつはこうやって大人びた顔を見せたかと思えば、次の瞬間まだ子供のようなあどけなさを見せたりする。多彩なモーションを次々と繰り出しては俺の意表を突いてくる。時折不意打ちのように女の顔を覗かせて、惑わされた俺は動けなくなる。結局のところ俺は常に……こいつのフェイクにやられっぱなしなのだ。


 俺は膝に頬杖をつきながら、眩しいものを見るように目を細めた。

 俺だけやられっぱなしなことが無性にもどかしくなったり、五十嵐に対して強いられている長期戦にくじけそうになった時に俺は、バスケというツールを使って俺の優位を示すことで、そのストレスを散らすことにしている。大人げない。ウン、ワカッテマス。


 俺は立ち上がり、ゆるっと高めにボールを突いていた五十嵐に背後から忍びよると、パシッとボールをカットし、自分の手中に納めた。そのままダムダムと床に突き、五十嵐を見てニヤリ、と挑発的な笑みを浮かべる。


 五十嵐が俺を見て“んな!”という意表を突かれた顔をした後、“カッチーン”と目を細め、“上等だゴルァ!”と目を光らせた。そして俺のボールを奪い返すべく臨戦態勢に入り、俺に向かってきちゃう。ハイ、始まっちゃいましたね、1on1! ムキになっちゃう五十嵐きたよ!

 た、たのしい〜〜っ!!

 …………下衆げすきわみ、だよね。ウン、ゴメン。


 俺と五十嵐の1対1の攻防が始まった。

 下衆の極み、な俺だが、俺なりに二つほど配慮している。

 体で押す当たりを強くしないことと、直接シュートは打たないことの二つだ。パワーと身長では絶対に俺が勝っているので、そこは抑えてやらないとお話にならないわけで。

 ドリブルやフェイクなどのボールコントロールやスピードの瞬発力に関しては、男子の俺でも目をみはるものを持っているからな、五十嵐は。そっちで勝負してやんないと。


 キュキュッ。


 バッシュと床が擦れる音と、ボールを床に突く規則正しい低音だけが無人の体育館に響いている。

 五十嵐はきっと、俺からボールをスティールすることだけを考えて、俺に全神経を傾けている。


 今、五十嵐が見ているのは、俺だけ。


 その感覚がたまらなくて、俺は鳥肌が立つほどの歓喜を覚える。プレー中の真剣な表情をした五十嵐は、終始大人びた雰囲気を身にまとい、五十嵐の持つ最大限の女的な色香を垣間見せる。

 挑むように見つめてくる強い瞳や、長い睫毛が影を落としながらチラリと走らせるアイフェイクや、右サイドに抜けると見せて左にクロスするしなやかな体。


 俺はそんな五十嵐から、目が離せない。例えバスケでは、優位に立てたとしても。俺は結局のところ、こいつにやられてしまっているんだよなぁ……。それを再認識する……これがお決まりのコースだ。


 ひとしきり動いた後は、壁際に腰を下ろしてしばし休憩。朝練開始10分前になったら、モップがけ。これもお決まりのコースだ。

 俺は息を整えながら、ふと思い出したいつぞやの質問を、再び五十嵐に投げかけてみた。


「五十嵐は、やっぱ、じょバスには入らねーの?」


 自分の中の女への変化を否定しなくなった、今の五十嵐なら、抵抗らしきものも無くなったのではないか?


「んー……なんか、違うから。入んないかな、やっぱ」

「なんか違う、って何が?」


 五十嵐はうーん……と口元に手を当てて考え込む。こいつは自分が感覚で捉えていることを、他人に言葉で説明するのが苦手らしい。こういう質問をすると、いつもこのような難しい顔をする。


「ええと……部活の試合だと、いろいろ抑えないといけないだろ。いっぱい考えないといけなくて、あと、勝たないといけないだろ。俺はプレー中って、頭で色々考えられない。ただ、こうした方がいいかなって、感じて動いちゃうから。試合に勝ちたいとかも、薄くて。俺の中でバスケは、自由に、ボールキープできたり、運べたり、切り込めたり、シュート決めたりが、楽しいから……」


 ……なるほど。感覚的で曖昧な説明だが、五十嵐の言わんとしていることは、今まで五十嵐のプレーを見てきた俺にはなんとなくわかった。


 あくまでも想像だが、こいつが試合に出たとして、オフェンスでボール持たしたら、己の欲望のままにキレッキレのドライブをかましまくる気がする。1対1ならそれでもいいが、バスケの公式試合は5対5な訳で。ポジションごとの役割もあるし、敵のディフェンスがゾーンとか、下がって守ってる時もあるし。いつでもどこでもやみくもにインサイドに切り込んでいい場面ばかりでは無い。


 だがこいつはそういう理屈をすっとばして、ガンガン自分で中に攻めて行っちゃいそうな気が、ものすご〜くする。攻撃の起点であり、チームの司令塔となるポイントガードの端くれな俺としては、こういう、自由すぎるプレーヤーと同じチームになったことを想像してみると……使い勝手の難易度が高そうで、若干頭が痛くなる。


 普通の先生が顧問してるような中学まではともかく、コーチが指導して本格化する高校だと、五十嵐のような感覚では痛いかもだな。確かに。


「そうだなー。五十嵐はチームでやるより、ストバスみたいな、1on1で魅せるスタイルの方が合ってるかもだなー」


 俺がそう言うと、五十嵐は意外そうに目を見開いた。


「井上、俺が伝えたかったこと、あんな曖昧な言い方で、わかるの」

「うん? なんとなくだけどな。そういうことが言いたかったんじゃないのか?」


 俺が首を傾げると、五十嵐は一瞬、なんだか泣きそうな顔をして……でもすぐに、嬉しそうな照れ笑いに変わった。


「やっぱ……凄いなぁ、井上は」

「お前の母ちゃんになる気はないぞ」


 五十嵐はアハハッと笑った。


「ゴメンゴメン。母ちゃんにしたいとか、もう思ってないから。ただ……今なんか、チョットだけ。洋海といる時みたいな感じで……安心できた」


 俺はピクリ、と眉を上げた。

 ヒロミ。

 例の幼馴染……ですよね。


 俺はいつぞやの、痴漢事件の時のことを思い起こした。


 実はあの時俺は、意識的に五十嵐にはさとさなかったことがある。あの時初めて痴漢という……男から情欲のようなものを向けられて、恐怖していた五十嵐には。


 それは何かというと。


 あまり認めたくは無いが、その痴漢野郎が向けたものと根本的には同じ欲望を、本来男なら誰しも有している、という事実をだ。つまり俺も、そしてその、ヒロミ君とやらも、だ。その、男ならではな本能を俺達も確かに内側に抱えている。まぁそれを理性でコントロールするのかしないのかが痴漢野郎とは違うところなんだけど。


 男なら持っているその本能的なものを、好きな女に対しては抱かないはずが無い。もし、一緒に居てもその感情を向ける素振りが無いとするならば、その理由は二つだろう。


 曰く、女として見ていない。

 もしくは。

 本気で大切に思っているから、おいそれと手が出せない。


 ……そんで、その、ヒロミ君。

 多分、後者なんじゃね? ……と。


 直接会った訳でもないが、五十嵐の言動を総合して考えると、なぜか俺はそんな気がひしひしとしていた。あまり当たって欲しくは無い予想なんだが。俺はため息をついて苦笑した。


 偶然ですねー、ヒロミ君。俺も後者なんですよ。お互いやっかいな物件に足を踏み入れてますよねー?


 長期戦を強いられて、日々忍耐を試されているこの苦労を共有しているのかと思うと、むしろヒロミ君に親近感さえ覚えそうだ。

 う〜ん、色々なところで、色々な攻防が始まる予感がするのだが。

 ダイジョブか……?


 俺は心の中で、自分に対してなのか、五十嵐に対してなのか、まだ見ぬヒロミ君に対してなのか、疑問を投げかける。



 ……それは、まだ。わかりません。



 どこかで誰かがそう言って、柔らかく微笑んだような気がした。気のせいかな……





 隣に座る五十嵐の方に目をやると、五十嵐は床に体育座りをした膝をちょこんと抱えながら、何とは無しに窓の外を見上げていた。俺が綺麗な横顔を見つめていると、五十嵐は窓の外を見上げたまま「空が高くなったなー」と、呟いた。小さな声で、ポツリと。


 俺は思わず、「空が高くなる? ってどういうこと?」と。五十嵐は独り言のつもりであったに違いない、その呟きを拾って、首を傾げてしまって。それを聞いた五十嵐がびっくりしたようにこちらに顔を向けた。俺の顔を穴が開きそうなくらい、まじまじと覗き込んだかと思うと……頬を桜色に染め、きらきらした瞳を俺に向けて……なんだかとても嬉しそうに、笑った。



それはまるで 、飛び立つ直前の蝶が、ゆっくりと美しい羽を広げる様な……あでやかな、笑顔だった。





お読み頂き、ありがとうございます。「フェイク」だけ読んで「ヒロミ誰わからん」になってしまった場合はスミマセン。彼は「擬態」というお話に登場していまして。全三話の短いお話ですので、よかったら覗いてみて下さいませ(^^)


【追記】北斗と洋海の夏休みのお話を書きました。時系列的には「フェイク」の四話と五話の間にあたるお話です。「フェイク」の後ろに「羽化」という章で投稿しました。


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