2 相手してやんよ。(井上視点)
「一年三組、五十嵐 北斗です。兄と弟に挟まれた三人兄弟の真ん中なんで、言動が全然女らしく無いし、一人称『俺』なんですけど。変わってますけど仕事は一生懸命勤めさせて頂きますので。よろしくお願いしまーす」
四月の新入部員挨拶で、マネージャー志望だというその女は、よく通る涼やかな声でハキハキとこの様な台詞を述べ、ぺこりと頭を下げた。
へえ〜、高校の部活って、マネージャーとか居るんすね。
同じく新入部員の一人であった俺、井上 陸の、五十嵐 という女に対する第一印象はそんなものだった。男子バスケ部にいきなり一人で入ってくる一年生女子? なんか、あれですか。男目当てのラブ目的な女子ですか?
……などという邪推は、出会って30分後には、しっかりさっぱり霧散した。
五十嵐とは対照的に、俺は強かな性格をした姉二人を持つ末っ子である。女子のあざとさを見抜く目は、かなり肥えているつもりだ。
そんな俺から見ても五十嵐という奴は、いつも明るくて裏表の無いめっちゃいい奴だった。バスケのことがホントに好きで、経験者でもあり、マネージャーの仕事も的確に誠実にこなしている。
女子のあざとさも何も……あざとさとか、皆無。ていうかそもそも、女子という自覚が薄い気がする。一人称「俺」だし、話し方も話す内容も、男子並みにさっぱりとしていた。
つっても、ガサツって訳じゃ無いんだよなぁ。
歩き方とか座り方とか、綺麗だし、気配りできるし。髪は顎くらいの長さで短めだけど、さらさらと艶やかで、なんかシャンプーの良い匂いするし。桜色の頬やきらきらと輝く瞳も可愛くて。そういうところは、やっぱ、ちゃんと女子だ。
ただ何かにつけて、男子と肩を並べたがるところがある。だから女っぽく振る舞うということをしない。まあ要するにまだまだ子供っぽい……ということだろうか。うっかり女扱いすると、ムキになったり不機嫌になったりしちゃうのだ。
高いところに置いてあるものを取ろうとして、手が届かない時とか。荷物が重すぎて、持てない時とか。俺が手を貸してやると、ぷくっと頬を膨らませる。顔にありありと“不本意だ!”と書いてあるのだ。
しかし、人からの親切に対する礼節はちゃんとわきまえている奴なので、拗ねた顔をしつつも「ありがとっ」と早口で言ってきたりする。そんな五十嵐を見て俺は実は悶えていたりするのだ。
い、いじりてぇ〜〜!!
俺は、五十嵐がムキになるツボを心得ちゃっており。ついついそのスイッチを、あえて押して、からかってしまったりするのだ。
いやなんか、反応が可愛くてさぁ。
あれだな。五十嵐のことを子供っぽいなんて言ったが俺も人のことは言えない。反応が可愛くてからかってしまう、とか、小学生男子かっつーの。
そしてそんな俺には、密かな楽しみがあって。
五十嵐が、いつも朝練の30分前に来て無人のコートでボールで遊んでいるのを、ある日たまたま発見してしまったのだ。
かなり早めに着いてしまったはずなのに、コートから、ボールを床に突く低い響きがダムダムと聞こえてきて。
え、誰?……と驚いて、こっそり中を覗いてみたら、そこにいたのがまさかの五十嵐だったのだ。
経験者だとは聞いていたが。五十嵐がプレーしている姿を見たのは、初めてだった。
五十嵐はドリブルに緩急をつけたり、フェイクをいれたりしながら、右手左手と吸い付くようにボールを扱い、楽しそうにコート内を走っている。
ゴール下まで来たら、クッ、と狙いを定めて、シュート。それはジャンプシュートだったり、ボードに当ててリバウンドさせてからだったり、レイアップだったり。それを楽しそうに繰り返していた。
なんて、キラキラと、プレーするんだろう。これが、五十嵐なんだな……
俺は五十嵐のプレー姿を見るのが、すっかり好きになってしまった。
それ以来、俺も早く来て、こっそり五十嵐を覗くのが日課になってしまったのだ。そしてコートには何食わぬ顔で他の部員と同じくらいの時間に姿を現している。いや、ストーカーじゃねえよ?
しかし、ついに。六月のある日。
見ているだけでは我慢が出来なくなった俺は、そんな朝練前の五十嵐の世界に入って行ってしまった。
例によって五十嵐の、「ムキになっちゃうぞスイッチ」を押したくなってしまったのだ。
その日俺は、最後にシュートを決めて終わるはずの、五十嵐のシュートを。不意打ちで叩き落として阻止! ……などという非常に大人げ無い行為をかましてしまった。
五十嵐は、どんな反応を返すかな!?
大人げ無いことをしておきながら、俺は楽しみでワクワクしていた。下衆の極み、かもしれない。ウン、ゴメン。
五十嵐は転がったボールを黙々と拾い上げ、一回「ふっ」と苦笑すると、「上等だゴルァ!」と叫んで俺にドリブルで向かってきた。その瞳は挑むようにキラキラと強く輝き、俺の双眸を鋭く捕らえている。
五十嵐!?
えっ、俺にバスケで挑んできちゃうの!? 男子の俺に? 女子のお前が? いやいやお前、予想通りにムキになっちゃって、そっから予想を超えた行動してきやがって……でもめっちゃ五十嵐らしいな! 可愛いすぎなんだけど……もう、何それ……ヤバイ……
ゾクッ。
俺は、鳥肌がたってしまった。……愉しすぎて。
俺はペロッと唇の端を舐め、両腕を上げてグッと腰を落とし、五十嵐に対峙する。
いいよ。
相手してやんよ。
来い、五十嵐!
五十嵐はボールを突きながらしばし、俺と適度な距離を保ち、タイミングを伺っていたが、やがてキラリと目を光らせた。
……くる。
次の瞬間、五十嵐は素早く俺と距離を詰め、俺の左脇を抜けようとした!……が、これはフェイク! 狙ってるのは逆サイッ! と思ってガードする俺の前で五十嵐は、右脇を抜こうとした足をキュッと止めてチラリと俺の左サイドに視線を流しつつ、上半身を捻りかけた。
俺はその時の、五十嵐がチラリと走らせた、長い睫毛が影を落とした美しい流し目に、不覚にも一瞬見惚れてしまい。五十嵐は俺のその一瞬の隙を、見逃さなかった。腰を落として、俺の右脇をすり抜けるべく、加速する。
やべっ……抜かれる!
そう思った俺は、無意識に全力で五十嵐の肩を掴んでしまい。あ! と思った時には五十嵐と共に、バッターン! と床に倒れていた。咄嗟に、五十嵐の頭の両側に手を突いて突っ張り、五十嵐に体重をかけて潰してしまうのを防ぐ。
「わりぃっ……大丈夫か!?」
上から、五十嵐の顔を覗き込んだ。五十嵐が「ダイジョブダイジョブ」と手を振ってみせたので、安堵する。
俺は、素直に謝罪した。
「わりぃ、五十嵐。本気で抜かれるかと思って……一瞬、お前が女だってこと、忘れた」
実際、少し油断していたとはいえ、五十嵐の二回目のフェイクには完全にやられていた。マジでこいつ、スピードの緩急やらフェイントのセンスやらが抜群に上手ぇ。
五十嵐は、目を見開いたあと、俺の下でニッコリと笑った。
「お前に一瞬でも、本気出させたということか。最高のほめ言葉だな」
ドクン。
俺の鼓動が早くなった。
いや、ちょっと、今、なかなかヤバイ体勢、で。
お前、その位置から俺の顔を見上げて、そんな、初めて見る顔で、笑うのかよ……
俺に一瞬でも、本気出させた……?
俺はハッと我に返り、立ち上がって苦笑する。
そして床に倒れたままの五十嵐に右手を差し出しながら、呆れたように、言葉を発した。
「男相手に、ムキになりすぎ。なんつー負けず嫌いなんだ? お前は」
「よく言われます」
そう言って俺の右手を握り返した五十嵐の顔はもう、いつもの五十嵐であったのだが。
俺はこっそり、ため息をついた。
五十嵐、さ。
そんなムキになって男に向かってきちゃ、ダメだろ。あんな挑むような瞳で見られたらさ。あの体勢で、下からあんな笑顔向けられたらさ。 雄の本能に火がつく……だろ? あのね、煽ったの、お前だから。
一瞬、じゃ終われないよ。
俺は今からこれから、本気で色々と、お前に挑みたくなったんだけど?
ダイジョブか……?
俺は心の中で五十嵐に対してなのか、自分に対してなのか、疑問を投げかける。
う〜ん。ダイジョブではない、予感がするなぁ。五十嵐という奴は、とんでもなくあっさりと友達になれる奴なんだが、男女の関係に発展させるには、とんでもなく難易度の高い奴、という、気がする……。
うわっ、俺はやっかいな物件に、足を踏み入れた〜!?
しかし時は既に、遅い。
そんな俺の右手を握り返したまま、五十嵐はなぜか動きを止めてしまっていた。
「どうした?」
「あ……。いや、なんでもない」
五十嵐は俺の右手を引っ張ってヨイショと立ち上がると、転がっていたボールの方へ歩いて行った。
そしてボールを拾い上げると床に数回突いてみぞおちに構え、リングに視線を定める。
膝を曲げ、一瞬、狙いを定めるようにクッと動きを止めて。
そこから軽く跳躍しつつ腕を持ち上げて頭上で手首を返し、ボールを放物線状に放った。
綺麗な、フォロースルー……
五十嵐の両手を離れたボールは綺麗に弧を描き、パサリとネットの中に吸い込まれた。
俺はその、五十嵐の綺麗な一連の動きに、ただ、見惚れていた。
「ナイッシュ」
「どうも」
……ほら、やっぱり。
時は既に、遅いのだ。
俺はおそらくこの先もう……こいつから、目が離せない。




