7 咲くと、いいね(洋海視点)
コテン。
突然、僕の左半身に体重がかかった。
隣を見やると北斗が寝落ちていた。相変わらずだ。北斗は寝付きが良い子で、特に空腹が満たされた後はスムーズに睡眠に移行してしまいがちである。午後の授業ではしょっちゅう沈没して机に伏していた光景が懐かしく思い出された。
僕は座る位置を少しずらし、北斗が一番楽に体重を預けやすいアングルに収まるように、微調整する。
北斗の頭が僕の肩口の辺りに寄り掛かった。
慣れない格好でずっと屋外に居たし、ちょっと疲れちゃったんだろうな。
僕は北斗をなるべく休ませてあげたくて、声はかけずにそのままの体勢を維持した。
花火大会が終了するのは20時半だけど、終了直後は道も電車も鬼のように混むだろうから……そうだな。20時15分になったら北斗を起こして帰ろう。
それまでは、このまま……
僕は改めて預けられた北斗の重みに意識を向けた。
最初は純粋に疲れた北斗を休ませてあげたいという、慈愛の気持ちでいっぱいだったけれど。
やはり僕も健全な男子なので、北斗の体温や呼吸を間近に感じているうちに、鼓動が速くなってきてしまう。
くっ……
これはあれだ。おそらく、本日最高レベルの修行だ。
まあ、周りにはたくさんの人が居るし、武さんプレッシャーもあるし、ホントにヤバい事にはもちろんなりませんけれども。
なりませんけれども。
肩……くらいは抱いてもいいんじゃないかな。うん。
その方がほら、きっと、体勢も安定するし。うん。
我ながら健全男子の思考が炸裂だ。
いやいやいや。だって仕方ないだろう。
好きな女の子が隣で寝落ちて体重を預けてきているんだぞ!
辺りはいい感じに夜の暗さに包まれているんだぞ!
僕は脳内でそんな自己正当化をはかり、無駄に自然体を装いながら、そろりそろりと左腕を持ち上げ……北斗の左肩の上にそっと回し……ゆっくりゆっくり力を抜いて体重を乗せた。
小さっ……
肩を抱いてみた北斗の顔は僕の胸元に移動し、あまりにも僕の腕の中にすっぽり収まってしまって……少しびっくりする。僕は改めて、彼女が女の子なのだと実感した。
自分よりも一回り小さな身体。
僕の胸に当たる北斗の頬の感触は柔らかくて温かくて。
黒い艶やかな髪は北斗が顔を傾けた同じ方向にさらさらと流れ、ほのかにいい匂いがする。
閉じられた目元は長い睫毛に美しく縁取られ。
透明感のある白い肌に桜色の頬と赤い唇が映えて……北斗の規則正しい寝息が僕の胸に直接感じられた。
ゾクリ。
僕の中の危険な衝動が頭をもたげそうになる。
参ったな……
こんな風にあまりにも無防備に身体を預けられたり、安心した様な寝顔で信頼されきってしまうと。
……逆に、汚してしまいたくなる……
北斗を愛しいと思っているのに、組み敷いてしまいたいような。
大切にしたいと思っているのに、制服してしまいたいような。
捕まえて、食べてしまいたい、捕食者の感情。
僕が男として、内側に確かに抱えている、欲望。
それを再認識させられた。
危ない危ない……
僕は意識して自分の感情を別のことに向け、理性の回復をはかる事にした。
ええと……そうそう、イノウエ君。
イノウエ君の事を思い浮かべた瞬間、僕の頭は急激にクールダウンされた。自分で自分の顔を見る事は出来ないけれど、おそらく表情も相当冷ややかになっていると思われる。
何者だ。
北斗の口から名前が出た時の、僕の脳内第一声がそれだった。
北斗の意識が変化するきっかけをもたらした張本人。その点に関しては僕にとっても感謝の対象ではあるわけだが。
あるわけだが。
はっきり言おう。気にくわない。
北斗が僕以外の男子に対してそんなに心を開いた様子を見せたのは初めてだ。
北斗は一見、誰とでも仲良くなるタイプに見えるんだけど……それは広く浅くの典型で。それが証拠に環境が変わると案外すぐに人の顔も名前も忘れてしまう。
北斗は無自覚に、実は相手との間にきちんと一線を引いていて、「心を許す存在」は滅多に作らない。作れない……と言った方がいいのかな。北斗が感性のままに、心の底から紡ぐ言葉は、本来とても感覚的で曖昧だから。それを話しても大概の人には伝わらなくてキョトンとされてしまうのだと、北斗の口から聞いた事がある。
北斗は昔、それを僕に笑いながら話してくれたけど、僕にはその時、北斗が泣いている様に見えた。
北斗は自分でも気付いていないかもしれないけど……本当は想いが伝わらない歯がゆさを何度も経験してきていて、寂しさを抱えていたんだと思う。
心の底に感じたありのままの想いは、人前では話さなくなった北斗。
常に良い子を装って本当に笑っていなかった僕。
本当の自分を表現出来ない哀しさには、僕も嫌という程身に覚えがあった。そして本当の自分を受け入れてくれる存在に出会えた時の喜びが、どんなに救われた心地になるのかという事にも。
僕達の出会いは奇跡だったのかもしれない。
お互いにお互いが、それまで足りていなかったピースを埋められる存在になり得たのだから。
僕達が自分の気持ちを多少遠回りさせてでも、ずっと隣に居られる立場を最優先で守ろうとしたのは、そういう事だった。
そのくらい、お互いが特別な存在だったのである。
僕は、北斗が相手を特別な存在だと認識している片鱗のような何かを、その、イノウエ君にも感じてしまったわけである。僕にしては珍しい、直感みたいなもので。
直接会ったわけでも無いが……北斗の言動を総合して考えるとイノウエ君は、北斗にかなり好意を抱いている気がひしひしと、する。あまり当たって欲しくは無い予感なんだが。そして北斗があのように心を開いているという事はけっこういい奴で、色恋沙汰に疎い北斗の気持ちをきちんと大事に考えている奴だと思われる。下心丸出しな相手だったら、北斗は本能的に危険を察知して近付かないはずだから。
……気にくわない。
とにかく黒い感情しか湧いてこない僕だったけど、なんとか平静を装って北斗に探りを入れてみたところ。
「うん。すげー好きだよ? 俺の母ちゃんになって欲しいって思っちゃったくらい」
僕はイノウエ君が相当苦労しているらしい現実を垣間見て、一気に爆笑してしまった。胸のすく思いを味わう、とはこういう事を言うのだろうか。
ワーッハッハッハ!
思い知ったかイノウエ! 北斗の難易度の高さを!
幼馴染の僕だって今までに相当辛酸を舐めてきているのだからな!
あと知らないだろうけどすんごい恐いお兄さんとかも居るんだからな!
昨日今日現れたぽっと出のお前が簡単にどうこうなれると思うなよ!
もしイノウエ君が目の前に居たとしたらビシィッと人差し指を向けて叩きつけていたかもしれない、乱暴な台詞の数々を脳内で叫びまくってしまった。
うん……ちょっと取り乱していた気がする。僕にも意外とガキっぽい一面があったようだ。僕自身でさえ知らなかった。つくづく、北斗と居ると僕は生の感情が呼び覚まされる。直接会った事もないのにすみませんね、イノウエ君。
でも……なんだろうな。
そう遠くない未来にイノウエ君とは会えそうな気がするんだよなぁ……僕にしては珍しい、なんの根拠もない直感だけど。うーん、色々な所で色々な攻防が始まりそうな予感がするんだけど……大丈夫かな……?
……それは、まだ。なんとも言えないなぁ。
どこかで誰かがそう言って、ペロっと唇の端を舐めた気がした。気のせいかな……
僕の黒かった感情を浄化するかのように、夜空には今も次々と、色とりどりの見事な花火が打ち上げられていた。
僕は花火の光に照らされながら、僕の胸元ですうすうと寝息を立てている北斗の顔を再び覗き込んだ。耳元に付けられた蝶の髪飾りが花火の灯りを反射して、きらきらと光っている。
今はこんな風にあどけない顔で眠っている北斗が先程見せた、艶やかな笑顔を思い出した。
「早く、咲くといいな」
「咲く?」
「花火!」
輝かせた瞳と笑顔があまりにも綺麗だったから、僕は眩しくて目を細めて。
「咲くと、いいね……早く」
噛み締める様に呟いた僕は、北斗を見つめながら柔らかく微笑んで。切に願っていた。
君の中に確かに芽吹いた、小さな小さな双葉。
どうかそれが、途中で手折られる事がありませんように。
早く美しい花が咲きますように、と……
北斗のあどけない寝顔を愛しく見つめながら、僕は左腕にはめた時計をチラリと確認した。
あと5分経ったら北斗を起こそう。
それまでは、このまま……
僕はひき続き夜空に咲く、大輪の花を見上げながら。
北斗の肩を抱く左腕の力を少しだけ、強くした。
「羽化」完結です、ぺこり。
時系列的には「フェイク」の4話と5話の間に挟まるお話なので、この続きが「フェイク」5話、という感じです。
個人的に七カ月ぶりの投稿で非常にドキドキだったのですが、お楽しみ頂けたでしょうか(震え声)
皆様にちょっとでもクスッと笑って頂けたり、キュンと萌えて頂けたなら、幸いです。
このシリーズはいつか北斗さんが「恋する」ところまで書くのが目標なんですが……そもそも私がそういうの疎い人だったんで十代女子のその辺を上手く書けるんかいな……みたいな(遠い目)
でも精進しますっ。きりっ。
改めて、お読み頂きありがとうございました!




