5 あいつの仕業か……!(洋海視点)
さて。
A市T川最寄り駅に到着した僕達は、現地で小一時間待機することを見越し、駅前のコンビニ店で飲み物や、小腹を満たす系の物を適当に買い込み、駅から10分程歩いてT川河川敷の花火会場に到着した。
まだ開始の一時間十五分前だが、ところどころレジャーシートが敷かれている。気合い入った人達は朝から席取ってたりするんだろうね。僕にはそこまで労力をかけようという熱意は無いけれど。
かといって最悪のロケーションや人混みに揉まれて立ち見などという、居心地の悪い環境に身を置くのも嫌だ……ということで出した結論が一時間と少し前の到着という訳だった。
「さてどこに陣取ろうかね……」
僕が会場を見渡しながらそんな台詞を呟いたところ。
「うーん……あっち! あの辺がいい!」
北斗がさっさと動き出した。
いつもの事なんだが。
ちなみにこういう時に「何故?」と北斗に理由をたずねても「なんとなく!」という答えしか返ってこない。なので聞かない。
僕は肩に斜め掛けしていたカバンからレジャーシートを取り出して、北斗が選んだ場所に広げた。3〜4人用サイズなので、二人で座るといい感じのゆとりサイズだ。
シートの四隅を付属の杭で固定している僕を、北斗が尊敬のまなざしで見つめてくる。
「洋海レジャーシート持参してくれたんだなっ。俺そーいうのなんにも考えなかった。すっごいな! ありがとう」
大きな黒い瞳をきらきらさせてニカッと満面の笑顔である。
可愛い……
いや、僕も、幼馴染として北斗の屈託のない笑顔とか見慣れてるはずなんだけど。あれだ。「五ヶ月ぶり」と「浴衣」の相乗効果でその破壊力が僕の耐性を上回っている。
結果、駅での待ち合わせから始まり電車内での20分間は、内心に芽生えそうになる己の危険な衝動を抑えるのに必死、という、終始自制心を試される修行状態だった。
くっ……「五ヶ月ぶり」は想定内だったんだが、「浴衣」が大想定外だった。そりゃそうだろう。上下を男兄弟に挟まれた北斗の私服のほとんどは男物で、制服以外ではスカートもろくに履いたことなどなかった子なんだから。女子らしい格好とか皆無だったんだから。
それが、まさかの、「浴衣」……!
何がどーなってそーなったのか慎重に出どころを探った僕は、北斗の口から武さんの名前が出た瞬間、戦慄を覚えた。
あ い つ の 仕 業 か……!
五十嵐 武。
言わずと知れた北斗の二つ上のお兄さんだが。
はっきり言おう。苦手なタイプだ。
そもそも五十嵐三兄弟はみんな多かれ少なかれ俺様属性で、己の欲望に忠実に生きるタイプである。総じて身体能力が高く、その行動は非常に本能的で予測不可能。
本来合理的かつ論理的思考の持ち主である僕にとっては未知で苦手な人種なのだ。北斗だけが例外中の例外というか、「己の欲望に忠実=素直で可愛い」とか「予測不可能=予想を超えてくる可愛い」などと脳内変換されてしまうので、惚れた欲目とは恐ろしいものである。
そんな五十嵐三兄弟の中でも武さんは最強の俺様で、危険を察知する野生の勘みたいな本能も北斗以上に優れている。そんなんが北斗の兄というポジションにいらっしゃるのはプレッシャー以外の何物でもない。
僕の本性やら北斗に対する気持ちやらもとっくに見抜かれている。その上で泳がせて貰っているのは、北斗自身が僕を大事に思ってくれていて、僕も北斗を大事にしたいと思っていることを、察してくれているからなのだろう。
武さんが「北斗にとって有害」と判断した瞬間、おそらく僕は数秒で排除されてしまう。まさしく現代のジャイアンである……恐ろしい。
そしてこの北斗の浴衣は、そんな武さんチョイスだったわけである。「俺様の特別出血大サービスだ! 驚け! 喜べ! 感謝するがいい!」とのたまう武さんの盛大なドヤ顔が頭の中に浮かぶ。
うぬぬ……口惜しいがめっちゃ驚いたしめっちゃ喜んだ。今風のギャル系浴衣ではなく昔ながらのオーソドックス系浴衣を選択しているところもポイントが高い。今回はグッジョブという他ないです、武兄さん。はい。
でもやっぱり、素直に感謝の意だけを述べる気にはなれないんだけどね。あの人絶対、北斗の浴衣姿を目の当たりにした僕が内心に芽生えそうになる己の危険な衝動を抑えるのに必死、という事態も予測してるはずだし。それで僕が困る姿を想像して黒い微笑みとか浮かべているに違いないし。そして万が一僕の理性が飛びそうになったとして、そんなリスクから北斗を守ることも忘れてないのだ。
つまり「浴衣」だからね。崩すことができない。崩れたら直すことができないから。
“わかってるとは思うが浴衣を着崩すような真似はするんじゃねーぞ?”
武さんからの、そんな圧力も感じてしまって色んな意味で戦慄した……というわけである。恐ろしすぎるし。やっぱり苦手だあの人は。
しかし、真の浴衣爆弾はその後にあった。
その後の北斗の発言が衝撃すぎて、武さんへの戦慄も吹き飛んでしまったほどだ。
それは北斗が、僕に一生懸命伝えてくれた、今の北斗の素直な想い。
「自分が女子らしくなっちまったら、もう洋海の隣に居られなくなるんじゃないかって……なんか勝手にそう思ってた」
「でもその変化をきちんと受け入れながら、これからも洋海の隣に居たいと思って。だから、自分が女の子なんだってことも、ちゃんと、意識しようと思って」
……その決意の表れが浴衣、だったのだ。
僕は北斗の想いを聞いて驚愕すると同時に……歓喜に打ち震えた。それは、ずっと待ち侘びていた変化の具現を、北斗に見た瞬間だったから。
まるで蛹の様であった北斗が、その先に踏み出すためにはどうしても必要だった、意識の変化。
だけど、それを君自身が望まない限り、僕の方からはどうすることも出来なくて。
北斗はようやく……殻を破ってくれたの……?
僕は内心歓喜に震え……北斗の言葉を噛み締めていた。
その変化をずっと待っていた僕の中の13歳の少年が、大声で泣き出してしまいそうになるのを……なんとかなだめて涙を堪える。
だって目の前には、勇気を出して慣れない格好をしてみせたり、しどろもどろになりながら一生懸命自分の想いを伝えてくれて、羞恥心で真っ赤になった女の子がいる。今は泣いている場合ではない。
かといって、僕の積年の思いを全てぶちまけていい場面でもなかった。
北斗はようやく、「異性を意識」してくれる様になってくれたわけなんだけれど。本来なら中学生、下手したら小学校高学年くらいで芽生えるはずのその感情は、例えるならまだ双葉レベル。せっかく北斗の中に芽生えたそれは、「恋する」という開花まで大切に育てたい。途中で手折ってしまいたくない。
だから、本当はその時北斗を思いっきり抱きしめてしまいたかったけれど……僕はその衝動を抑えた。
そんな僕がそんな君に、その時贈れた、精一杯の言葉。
「すごく、可愛い」
「北斗が、だよ?」
一大決心を見せてくれた北斗に応える言葉としては、とても短い言葉になってしまったけれど。僕は僕なりに、勇気を出してくれた北斗への、万感の思いをその言葉に込めた。
……ただ、それを聞いた北斗が、一瞬でゆでダコのように真っ赤になりつつ「洋海が」「洋海に」などと次々破壊力発言を投下し、とどめにヘニャッと蕩ける様な笑顔を浮かべられた時には、さすがの僕も理性の限界を迎えそうだったが。
いやはや、ここに来て数年かけて培われた北斗耐性が功を奏したようだ。
そう。
ここまで無自覚に「洋海大好き」オーラを発しておきながら、この「好き」が恋愛感情とはまた別である、という現実。その、別の意味で泣きそうな現実だけは今までの経験を通して、僕の中で嫌という程しっかりきっちり認識出来ていたので。その耐性をこつこつ築き上げていた僕は、なんとか理性を立て直す事が出来たわけである。かなり危なかったけど。
しかし、ともあれ、芽は出た。
でかい。
それはめちゃめちゃ、でかい……!
ぶっちゃけこれはもう、赤飯とか炊いて祝うレベル……ああ、いや、それだとなんか違うだろ……などというアホな自分ツッコミを脳内で繰り広げる。さすがの僕も、今はなんか、冷静でいられないみたいだ。
僕は目を伏せてふぅ……とため息をつくと、電車内における、自制心を試される修行の数々の回想を終了した。
重要な案件がまだ一つ残ってはいるのだが……それはまた、後で探るとしよう。
レジャーシートに腰を下ろした僕が隣に腰かけた北斗に向かって「何か食べる?」とレジ袋を掲げてみせると、北斗は「食べるっ。 洋海と一緒だと、待ち時間も幸せいっぱいだな!」と言い放ち、ニカッと満面の笑みを浮かべた。
くっ……
修行は絶賛継続中だったようだ……
……大事なことなので二回言うけど、これでこの北斗の言動って、あくまでも恋愛感情とはまた別だからね…… うん。




