第5話 別異世界悪役令嬢、家出を決行する
「良し! オーケー!」
カノンは現在、ヴェルゼファン公爵家が所有する山に来ていた。
家には『しばらく家を出ます。探さないでください』という丁寧な書き置きを残している。そのため、家族が心配することはない。
そして装いも工夫をしている。ドレスは全て家に放り投げ、学園指定の運動着を身に着けている。
これならば、多少雑に扱った所で目立つこともないだろう。
一人になったカノンの口調は、自然と前世に戻っていた。
「完璧が過ぎる……。マギルス、私はもう君から馬鹿にされないよ」
こんな行動に走ったのにも理由がある。
――アクリスたちに関わらない。
ここは乙女ゲーム、アンジェル=クライシスの世界。そして、今の自分は主人公のライバル。
彼女と、そして攻略対象であるイケメンたちといれば、いつの日か死神が挨拶にやってくる。
そこでカノンは考えた。
「私が生き残る方法、それは私がこの山で生活をすれば良い! 具体的にはアクリスたちが卒業するまで!」
そもそも、彼女たちがメインで活動する場所にいなければいい。
常に死線に身を置いてきた彼女が弾き出した、何とも合理的な解答。
数年ばかり身を隠し、学生の身分を終えれば、自然と疎遠になっていくだろう。
カノンは昨日の夜にそれを思いつき、すぐさま行動に移した。
幸い、前世では野営をすることが多かったため、外で生活する知識と経験は豊富。
まさに、今のカノンが打ち出せる最良の一手だった。
木材と大きな葉を集め、適当に組んだテントを見ながら、カノンはこう一言。
「ごめんねアクリス。私はやっぱり生きていたいんだよ」
アクリスを傷つけることになってしまう。それは重々承知だった。
しかし、覚悟の上である。あそこまで慕ってくれる彼女を放り投げ、カノンは今、ここにいるのだから。
(あぁ、私は人と関わっちゃいけないのかもな)
この世界で、一人になって、少し昔を振り返る時間が出来た。
故にカノンは胸に鉛が生まれていた。
(マギルスには一言も声を掛けず、決戦に向かった。アクリスには一言も声を掛けず、別れを決めた)
いつもこうだ。
大事な時ほど、カノンは相手へ何も言わない。
それでいつも後悔してきたはずなのに。
「私は何も成長できていないな」
“天の大魔術師”。前世でカノンはそう呼ばれていた。
“空の大魔術師”の称号を持つ親友と対になる称号。マギルスと並び立つ者だ。
しかし、蓋を開けてみれば、そんなことはない。ただの魔法馬鹿の言葉足らず――カノンはそう自嘲した。
このまま死ぬまで生きて、そして歴史から去ろう。
改めて誓いを立てた。
その直後、やや遠くから耳馴染みのある声が聞こえた。
「いた! カノン様だ!」
涙目のアクリスがカノン目掛け、走ってきた。
そのまま彼女はカノンへ抱きついた。
「えっ!? あ、アクリス!? 何故、ここに!?」
「何故ここに、ではありませんよ! 私、どれほど心配したか……!」
「アクリスさん急に走ると危ない――カノン!? まさか本当にアクリスさんの勘が当たるとは」
後ろからアルディスカもやってきた。
彼の後ろには数人の護衛がついていた。
「ヴェルゼファン公爵――君のお父上が早朝、城にやってきてね。君が家出をしたと嘆いていたよ」
「お父様、心配するなと書いておいたのに……。それでどうしてアクリスも?」
アルディスカは一度、護衛を下がらせた。
三人になったところで、彼は話を再開した。
「僕も心配だったから、まずは学園の中にいないか捜索していたら、アクリスさんと会ってね。君とアクリスさんは確か、親しかったと記憶していたから、話をさせてもらったんだ」
「アルディスカ殿下からお話を聞いた時、私は倒れそうになりました」
そう言いながら、アクリスはずっとカノンに抱きついたままである。
「それにしても、出ていってから一日も経っていないのに、よくここが分かりましたね」
カノンはその捜索速度に驚いていた。
念のため、魔法的な捜索もされないよう、対策をしていた。にも関わらず、半日で見つかるとは思わなかった。
それについて、アクリスは気まずそうな表情を浮かべた。
「それがその、笑わないでくださいね?」
「? 誓いましょう」
「その、何だか脳裏に一瞬、この王都周辺の地図が現れたんです。それで、ちょうどこの山にカノン様の顔が浮かんだので、ここかな? と」
(ま、まさか乙女ゲームのアレ!?)
アンジェル=クライシスでは、好感度上げのターンがある。
そのターンでは、王都周辺の地図上に浮かぶ攻略対象たちの顔アイコンを選び、アクリスが会話をしに行くのだ。
(どうやってアクリスは攻略対象たちの居場所を突き止めていたのか不思議だったけど、こういうことだったのか)
アクリス的には、勘というかそれに近い感覚だったのだろう。
謎の感動を覚えていると、アルディスカは少しだけ真剣な表情になった。
「それで、どうして君は家出を? もしかして何か問題を抱えているのかい?」
討伐されるかもしれない問題を抱えています、などとは当然言えない。
カノンは必死に考える。どうにかここを切り抜けられる答えを絞り出す。
「そ、その……ええと、カノン・ヴェルゼファンとは何かを考えるために来ました!」
彼女は焦りのあまり、こんなことを口走ってしまった。
間違ってはいない。この世界のカノンについて、色々と思うことがあるのは確かにその通り。
しかし、今はそれを言う必要性はなかった。
完全にしくじったとカノンは叫びたかった。それどこから、もはや逃げ出したかった。
彼女は恐る恐るアルディスカの方を見る。
「あははは! ず、ずいぶん哲学的だね……! ははは!」
アルディスカは笑っていた。大いに笑っていた。
「君って、そんな冗談を言える子だったんだね。幼なじみだっていうのに、全然知らなかったや」
彼の中で、カノン・ヴェルゼファンへの印象が大きく変わった瞬間だった。




