07 ジョセフィーヌ二世(カワウソ)
「でも、あなたは騎士で、わたくしは魔術師です。そもそものフィールドが違うので、決闘など無意味では?」
最後の念押しとして、ルイーズは訊ねた。騎士と魔術師とでは使えるものが違う。まず、魔術師の戦い方を知らない時点で不利なはずなのだが、ルヴェリオの騎士たちはどうやら、自分たちこそが最強だと疑っていないらしい。
ルイーズの問い掛けに、女性騎士は鼻を鳴らした。人を小馬鹿にするような空気が、伝染するように広がっていく。
――騎士なのに、卑屈な奴らだよう……。
夫もそうなのかしらと思いながら、ルイーズは答えを待った。この五年の間にいろいろあったので、嘲笑の的になることにも、蔑んだ瞳で見られることにも慣れている。
「お前の魔術がどれほどのものか知らないが、あるものすべてで戦えばいい。――まあ、一撃で終わってしまうのはさすがにつまらないが」
「ひっ……」
今度こそはっきりと、笑い声が聞こえた。
この期に及んで、隠れたまま。
決闘を受け入れろということか。――本当にやってしまいますけど、よろしいですかね。そんな気持ちを込めて柱の向こう側を睨みつけると、王家の証ともいえる金色の髪の毛がふわふわと揺れた。言質取ったり。
「いいでしょう。本来であれば当事者を連れて来るのが筋かとは思いますが……この決闘で、あなたが勝てばあなたは夫を手に入れられる。そして、わたくしが勝てば、わたくしたちの問題にこれ以上、首を突っ込まないようお願いいたしますね。離縁するもしないも、他人が口を挟むことではございませんのよ」
「……いいだろう」
「ああ、それと。あなたがたの態度や物言いにはなかなかイラッとさせられましたので、――わたくしもそれなりに遊ばせていただきますわね」
「は? なにを……」
突っかかられる前に、「はいはい、スペースを作ってくださいな」と周りの騎士を追いやっていく。マイペースであることこそが勝利の秘訣。社交界で学んだことを武器に、ルイーズはあっという間にアウェイな空気を消し去ってしまった。今は騎士たちの戸惑いのほうが大きい。
関係なかった騎士まで巻き込んで、グラウンド全体を会場にしてしまったルイーズは、その中心で女性騎士と向き合った。相手の手には剣が握られている。訓練用なので刃は潰されているが、体に当たれば痛いだろう。全力で振り下ろされれば、骨が折れるかもしれない。
「ああ、あなた。そう、そこのあなた!」
遠巻きに様子を見ていた騎士の中から、ひとりを指名し手招きする。戸惑ったように一度周囲を見回したその騎士は、どこか気まずそうな表情を浮かべて前に進み出てきた。
第一小隊はエリート中のエリートと言われる部隊であるから、敵対するような真似をして睨まれたくないのだろう。
しかし、ルイーズが「審判、お願いね」と頼むと、断りはしなかった。
騎士たちは呆然と、空中を見上げていた。
「騎士さまがた、『フィールドが違う』とはこういうことですわ。だから『決闘など無意味では』と申し上げましたのに……困りましたわねえ。女性の騎士さま、こうなるとあなたはどうにかしてわたくしを捕まえなければなりません。けれど、わたくしはもっと上まで飛べますから、おそらく不可能ではないでしょうか? ――あら、みなさま、魔術を間近で見たのは初めて?」
「それはようございました」と笑みを浮かべるルイーズは、文字通り『宙に浮いている』。まるで床に座っているかのように脚を折り曲げ、剣を突き出されてもかろうじて届かないほどの位置で、ぷかぷかと浮遊していた。
日常生活を豊かにする魔道具はあっても、実際に人が魔術を使う場面を初めて目にした騎士たちは、ただただ言葉を失った。――人が宙に浮いている。それはとても衝撃的な光景だった。
「わたくしも宙に浮くのは久しぶりなんですけれど、こう、気を抜くと風に飛ばされてしまうような気になるので、意外と気を遣っていて……天候が悪い日などは特にいけません。雷などは、高いところに落ちると言いましょう? ただ、鳥たちとお話できるのは悪くありませんわね。まあ、何を言っているかはわからないのですけれども。それでも、一緒に飛んでいると同類だと思われるのか、ついてくることもあるんですのよ。ああ、動物たちと意思疎通ができるような術を開発できないかしら? 詠唱文の問題が解決したら、そちらを研究してみると楽しいかもしれないわね。この中に、お家でペットを飼っている方はいらっしゃる? できればお話を聞かせていただきたいのだけれど、ペットといえばやはり、ワンちゃんが主流なのかしら」
呆気に取られたような表情で空を仰ぐ騎士たちを前に、コロコロと笑ってみせるルイーズ。とりとめのない話題でひとり盛り上がっているのは――わざとである。
徐々に険しくなっていく女性騎士の表情を見下ろしながら、ルイーズはあえて邪気のない声で話し続けた。
「うちの実家にも以前、ペットがおりましたのよ。といっても、ワンちゃんではなくカワウソの」
「カワウソ……!?」
騎士の中から声が上がった。
「あら、確かにペットとして一般的ではないかもしれませんけれど、とても可愛いんですのよ。湖の近くを散歩していたときに見つけたので、連れて帰りましたの。悪戯っ子で、愛嬌があって……ああ、でも、カワウソという生き物は顎が非常に発達しているらしく、本気で噛まれると怪我につながります。知っていらして? 野生のカワウソは、甲殻類をエサにすることもあるらしいですわよ。まあ、基本は甘噛みなのですけれども、驚いたときや怒ったときなどはガブリといかれてしまうこともあります。うちのカワウソちゃんは『ジョセフィーヌ二世』と言いまして」
「ジョセフィーヌ二世!?」
「二世ということは初代ジョセフィーヌもいたということか……?」
「はあっ……! ごほごほ!」
「あら、どなたかが爆笑しておりますわね。まあ、よろしいわ。それで、そのジョゼは――」
「愛称が『ジョゼ』なら『二世』じゃなくてもよくないか?」
「まあまあ! だって『二世』というお顔をしていたのですもの。それで、わたくし、輿入れする際にも連れて来ようとしたのですけれど、王都には水場があまりないでしょう? 泣く泣く諦めて、ひとりこちらに参りました。ほら、いくら公爵家広しと言えども、初対面でカワウソを抱いていたら驚かれるかもしれないでしょう?」
ルイーズは、自身がかつて飼っていたカワウソの話を滔々と繰り広げる。ジョセフィーヌという友人が、いかに愛らしかったか。どのように遊び、心を癒やしてくれたか。
いつの間にか騎士たちは想像の中のカワウソに心を掴まれ、話に聞き入っていた。そんなとき。
「――これはいったい何事だ!」
威厳のある重低音が空気を震わせた。




