06 冷静に踏み込む
反論しつつも、彼らの独断で動いているであろうことは容易に察せられた。このような扱いを受ける謂われはないし、仮に夫のような責任ある立場ならなおのこと、もっと慎重に動くだろう。なにより、ルイーズが何か問題を起こした場合は、面白がった第三王子が直接乗り込んでくる可能性が高い。
(……喜々としてわたくしを追い詰める姿が思い浮かぶわ)
嫌な想像をしてしまって、ルイーズはぶるりと体を震わせた。――いけない。遊んでいる暇はないのだった。
早く戻って詠唱文について考えたい。そう考えるルイーズもまた、根からの研究者気質なのである。
「ええと……では、責任については後ほど改めてお伺いするので、まあ、よろしいでしょう。もったいぶらずに、さっさと本題に入ってくださいます?」
――まあ、だいたいはわかるんだけど。
わざとらしく小首を傾けながら、彼らの首元に視線を向ける。襟の部分に光る星型のバッヂは、騎士団の中でも選び抜かれたエリートのみが装着することを許される第一小隊のもの。
そしてその第一小隊こそ、ほかでもないルイーズの夫が隊長を任されている部隊だったりする。つまり、彼らは夫直属の部下というわけだ。夫関係で呼び出されたということだけは、間違いないだろう。
「単刀直入に言う」
威圧感を孕んだ視線が、ルイーズに突き刺さる。
実に雄弁な表情だ。
第一小隊の――しかも女性が出てきたことで、なんとなく言われることは想像できていたが、同時に「面倒くさっ!」「騎士でもそうなの!?」とすべて放り投げたい気分に駆られてしまった。
こんなことに、男性騎士がこぞって協力しているのも信じられない。人を見下したような勝気な笑みを浮かべながら、名前も知らない女性騎士が口を開く。
「――バルニエ隊長と別れてほしい」
『ほしい』と要望の形にしただけ柔らかい表現になったのかもしれないが、言っていることは図々しい以外のなにものでもない。
女性騎士はさらに続けた。
「わたしはずっとバルニエ隊長のことが好きだった。――愛していると言ってもいいだろう。そして、彼もその気持ちに応えてくれた。いや、最初は一方的な想いで構わなかったんだ。でも、ええと、そう、バルニエ隊長も健全な男性だから……国で待っている奥方には申し訳ないと思ったが、お慰めしなければと――」
遠くから、はうっ、と盛大に空気を漏らす音が聞こえてきた。まったく――あの愉快犯め。若干遠い目をしながら、ルイーズは女性騎士の頭から爪先まで、流れるように視線を走らせた。そして、笑みを湛えたまま言葉を紡ぎだした。
「つまり、あなたは彼を愛している。そして、彼もまた同じ気持ちであると?」
「ああ」
「それで、この五年の間に体の関係を持ち、一緒になりたいと願うようになった?」
「そういうことになる、な」
「なるほど、不貞をしていたという報告ですわね。わかりました。後日、慰謝料はそちらのほうに請求いたします」
「――え?」
まるで世間話をするかのような軽い雰囲気で告げられたので、騎士たちのほうも一瞬何を言われたのかわからなかったらしい。わずかに逡巡する様子を見せてから、不可解そうに眉根を寄せる。
空白が空いた数秒のうちに、なんとか向けられた言葉の意味を咀嚼したのだろう。
「慰謝料?」
「まだ具体的な数字はお伝えできませんが、夫と話し合いをした後、双方合意のもと書類をご用意いたしますね。おそらくあなた個人の資産では賄えないと思いますので、ご実家のほうに送らせていただきましょう」
「え、は? 待て、なぜわたしが慰謝料を?」
空気が破裂する音が再び耳に届いた。
――エリート? これが本当にエリートなの?
いや、エリートではあるのだろうな。
ただ、騎士団は魔術師団に比べると身内に甘い――というより、仲間意識が強い。そのせいで過去には犯罪の温床になったこともあったようだが、基本的に(そうは見えないけれど)職務に忠実な第三王子がまとめているだけあって、今ではだいぶそういうことも減ったそうだ。
「個人的な事情で別居していたならまだしも、職務上仕方なく、夫は隣国にいたわけです。そして、あなたは夫に妻がいることを知っていた。にもかかわらず、肉体関係を持ったとご自分でおっしゃっていましたね」
騎士たちに口を挟まれないよう、ルイーズはまくしたてるように正論を叩きつけていく。
「まず、結婚は個人間での契約ですから、不貞を働けば慰謝料という名の違約金を支払う義務が発生します。加えて、わたくしたちの結婚は貴族同士の話でもあるので、家と家の契約にも関わってくる。あなたは先ほど、『夫も健全な男性だから仕方がない』というようなことをおっしゃいましたが、正式な契約を前に個人の感情などは関係ありません。契約を結んでいる以上、そのときどんな感情であったとしても破ったほうが悪い。――違いますか?」
もっとも、実家である伯爵家には蔑ろにされていたので、政略としての価値はほとんどないと思われるが。しかし、事実がどうであれ、結婚が契約であるということに変わりはない。
それに、とルイーズは女性騎士の体を眺める。
(まあ、確かに美しいけれど……)
綺麗な人だ。
程よく筋肉のついた体に、意思の強そうな瞳。これを好きだと感じる人も多いだろう。ただ――。
(この人、たぶん乙女だわね)
ルイーズは口を動かしている間にも女性騎士の体に魔力を流し込み、その体が清らかなままであることを確かめていた。これは以前、妊娠の早期発見を目的に魔術を開発した際、派生的に生み出された技である。
使いどころがわからない魔術だったので、実践で試したのは初めてだ。が、人前で「あなた、処女でしょ」と暴露するのは女性として可愛そうな気もするので、触れないでおく。なにしろ、本人はどうやら経験豊富な女性を装っているらしいので。
「……っと、しこ、む……!」
困ったわ、というように控えめな笑みを浮かべていると、女性騎士がわなわなと震えだした。きつく握り締められた拳が小刻みに揺れている。ルイーズが「え?」と訊き返すと、女性騎士は頬を上気させて大きく叫んだ。
「お前に決闘を申し込む、と言った!」
――うわあ、面倒臭い。
思わず半目になってしまったのも、仕方のないことだろう。できればそろそろ隠れている人にも出てきてほしいが、あまり期待できそうにない。
止めないということはつまり、今起きているすべてのことを黙認しているということなのだから。いや、後々なにかしらのお咎めはあるかもしれないが。
グラウンドの隅々にまで行き渡るような大声に、空気がざわついた。嘘は通用しないと思えば、次は暴力。まったく、騎士というのは脳筋ばかりなのか。ルイーズはやや落胆した気持ちで、肩を竦めた。
「決闘、でございますか? それをして、わたくしに何かメリットでも? 騎士団のルールには明るくありませんが、少なくとも、私闘は禁止されているのでは?」
「バルニエ隊長は今、会議中だ。多少騒いだところで気づかれることはないだろう」
「つまり、バレなければ何をしてもいいというわけですわね。――騎士の風上にも置けませんわ」
「お前が騎士を語るな!」
「そんな理不尽な!」
思わず本音を叫んでしまってから、慌てて淑女らしい微笑を取り戻す。柱の裏から覗く影が震えていたが、きっと助けてはくれないだろうなとルイーズは思った。
仕方がない。これでも魔術師団の中でも二番目に偉い副師団長なので、罰はあっても軽いもので済むだろう。ここでひとつ、騎士団の精鋭と呼ばれる人たちとぶつかっておいてもいいかもしれない。
どちらにしろ、間に夫の存在がある限り、もはや彼らと『仲良く』だなんて無理なのだ。




