01 帰ってきた旦那さま
「――それは大変でしたねえ」
透き通るような紺色の髪の毛を梳きながら、使用人のラナが言った。入浴後のほんのり湿った感触を楽しむ。
共感得られたり、とばかりに振り向いたルイーズは、しかしすぐにどこか困ったような表情を浮かべた。
「……少しやりすぎだったかしら?」
きっとあの少女の未来は潰えたことだろう。
噂を鵜呑みにし、あろうことか王家主催の舞踏会で騒ぎたてるなど、醜聞以外のなにものでもない。
しかも、あの非常識ぶりだ。
当然、嫁の貰い手は見つからないだろうし、就職するにしても、若いとはいえ成人を迎えた女性があのような問題を起こしたのだから、簡単には仕事も見つからないだろう。
本人にその自覚はなかったようだが、ルイーズはわかっていてあえて引導を渡した。
「そうですかあ? 聞いている限り、自業自得だと思いますけどお」
「それは……ええ、まあ、わたくしもそう思うのだけど」
ただ、後味が悪い、とルイーズが肩を竦める。
どこかあどけないその表情を見て、ラナは柔らかく微笑んだ。
「まったく。奥さまったら、見かけによらずお優しいんですからあ」
「……『見かけによらず』とは失礼ね」
「だいたい、奥さまはもっとお怒りになってよろしいんですよお。『娼婦のような女』って、最悪の侮辱じゃないですかあ。ビンタのひとつでもかまして差し上げればよろしかったですのにい」
「べ、別に『娼婦のような女』と言われても、正直、そんなに傷ついてはいないのよ。ただ、あの言い方だと娼婦の方々への侮辱にもなってしまうわ。あれだって立派なお仕事ですもの。確かに、止むに止まれず……という方もいらっしゃるけれど、中にはそのお仕事に誇りを持っていらっしゃる方だっているわけだし」
実際、貴族男性がよく利用する高級娼館などでは、最高のサービスが提供されている。見目が良いのはもちろん、教養やマナーなども求められるのだ。それこそ、貴族にも劣らないほどには。
「はあ、奥さまって、本当、内と外とでは印象が変わりますよねえ」
ラナの呆れたような苦笑に、ルイーズは不貞腐れた子どものように顔を顰めた。
「いいじゃない。素に戻れるのはあなたたちの前でだけなんだから」
「うーん、うれしいこと言ってくれますねえ」
「ラナとばあやには感謝しているのよ、これでも。あなたたちがいなければ、きっとわたくしは今頃――」
「たいしたことはできておりませんよ、奥さま」
突然割り込んできた第三者の声。
女性にしては低い、けれども温かみを持った声に、ルイーズが頬を綻ばせる。
「ばあや!」
「私たちのほうこそ、身勝手にこうしてそばに置いていただいているんですから」
ラナの祖母であり、長く公爵家に仕えていたネイトだ。すでに引退した身であるが、今はラナと共にルイーズのもとに身を寄せている。
「そんな、あなたたちが来てくれなければ、わたくしは今でも心細い思いをしていたと思うわ。一歩間違えばすべてを失うかもしれなかった状況で、ついてきてくれてありがとう」
「まあまあ! 私どもは、奥さまがご立派に活躍している姿を拝見できるだけで、十分でございますよ! 輿入れされたときはいかにも貴族のご令嬢といった感じでしたのに、いえ、あれはあれで美しゅうございましたけれども、今の奥さまは実に――」
「おばあちゃん、お嬢さまは?」
櫛をポケットにしまい込み、ラナは訊ねた。
「お眠りになりましたよ。少し寂しそうではありましたけれど、泣いてはおられませんでした」
「いつも助かるわ。まったく、第三王子殿下が『顔だけでも出せ』とかおっしゃるから、変なことに巻き込まれたのよ。わたくしのことなんてどうでもいいと思っているくせに」
「そうですかあ? 殿下はあれで結構、奥さまのこと大事になさっているような気がしますけどお」
「ラナ、殿下のお心を勝手に推察してはいけません」
「……はあい。まあ、今回のことに限って言えば、旦那さまがお戻りになったからでしょうねえ」
「そう、そうなのよね」
――旦那さま。
ああ、聞いただけで胃が痛むわ、とルイーズは半ば項垂れたい気持ちだった。




