02 娼婦のような女
「だって、まさか『娼婦のような女』だとわたくしに伝えたいだけなら、このような目立つ場所で話しかけてくる必要はないでしょう。わたくしに逃げられては困る、けれど同時に殿下にも知ってほしい、そんな重要なお話があったのではないかしら。きっと、わたくしが何かしてしまったのね。それなら、先ほどの態度も納得できるわ」
一歩下がって話を聞いていた第三王子が、変わらぬ微笑を浮かべながら「怖ぁ……」と呟く。しかし、その瞳には薄っすらと揶揄するような光が灯っている。
(あーあー。この人、愉快犯的なところあるから……)
いくら取り返しがつかないほどの非常識な行動を取っているとはいえ、目の前にいるのはひとりの少女である。
それも、容姿は決して悪くない。むしろ『可憐な』と形容されてもいいほどだ。
(わたくしのようなババアに言い負かされているのだから、少なからず彼女は可愛そうに見えているはず。それを助けたいとか思うことだって――)
むしろ、この少女の目的は最初からその一点だろう。
大勢の前で罵声を浴び、哀れに思った王子に助けてもらう。物語の世界などではありがちな展開だし、誰かさんなら通じるかもしれない手だが、残念なことに、相手が悪かった。
(……思うわけないわよねえ、この腹黒王子が)
現に、口ごもりだした少女を至極愉快そうな表情で眺めている。興味は持ったようだが、どう考えても実験動物に対するそれでしかない。
どんな手を使ってでも王子に見初められたいという意気込み自体は悪くないが、いかんせん、タイミングも何もかもが――悪手である。
「く、国? そんなの知らないわ! どうだっていい! 第三王子殿下! ご覧になってください! この人は、あたしのような成人を迎えたばかりの女にも容赦なく、公の場で貶めてくるんです! まるで弱い者いじめだわ!」
斜め上すぎる予想外の主張に、ルイーズは思わず口を噤んだ。許可を得ずに次期公爵夫人に話しかけるだけでもとんだ無礼なのに、王子にまで声を掛けるとは。なので――。
「お前に話しかける許可は与えていないけど?」
そう答えられるのは、当然のことだ。
少女はひゅっと息を呑み、わずかに視線を彷徨わせたものの、すでに引っ込みがつかないところまで来ていたらしい。
血の気を失った顔で、ルイーズの涼やかな表情を睨みつける。
「第三王子殿下、こ、この女は――」
「『この女』? わたくし、初対面のあなたに『この女』などと呼ばれる筋合いはないけれど?」
「うちがあんたのとこより下位だからって、そんなふうに偉そうに……酷いわ! 馬鹿にしているのね!」
「あら、まあ、このお嬢さんはまともに会話もできないのね」
「なんですって!? 馬鹿にするのもいい加減にっ」
「なら、落ち着いて聞いてちょうだい。わたくしがいつ、爵位の話を持ち出したのかしら。だいたい、わたくしが今言っているのは、人として当然のマナーだわ。それ以上の……たとえば、貴族としてのルールに則るなら、まずあなたの言葉は無視するでしょうね。あなたこそ、噂でしか聞いたことのない女を捕まえて『娼婦』だの『あんた』だの、わたくしのことを馬鹿にしているのではなくて?」
初見で誤解されやすい外見をしていることは、ルイーズ自身も承知している。ただ、その誤解は長い月日を費やして払拭してきたはずだ。
その立場や環境に悪意を持つ者はいるだろう。しかし、それとは別に、大人たちの情報を中途半端に仕入れた学生たちが、変な噂に惑わされているのも知っている。
稀にこのように、自分が正義だとでも言わんばかりの態度で、喧嘩を吹っかけてくる若者がいるのだ。
もっとも、厳しい社交界の中でひとり生き抜いてきたルイーズに、口で勝てるデビュタントなどいるわけもないのだが。
「それで、あなたが今ここで、わたくしに『娼婦のような女』と。第三王子殿下に『嫌な女』だとお伝えする意味はなに?」
意味などあるわけがない。
少し目立ちたかっただけ。
よくも悪くも、王族の目に留まれば。
そんな浅はかな願いだった。
少女は愚かにも、通っている学院である程度の幅を利かせていたがために、学生同士の諍いと同様に考えてしまったのだ。
「あ、……っ」
しまった、と思っても、すでに時遅し。
この事態はもはや『若いから』で済まされることではなくなっていた。周囲の非難するような視線を浴びて、少女は一歩、二歩と後ずさりする。
「ちが、違う、あたし」
震える少女に、ルイーズは緩やかに微笑んだ。
「わたくしと一緒に、見世物になった気分はいかが?」




