12 なぜそう思ったのかということ
「なんだ、あれは……」
「五年ぶりに会った奥方はどうだった?」
「変わらず美しかったが?」
「うわお、即答だねえ」
革張りのソファーに深く腰掛けたアルトンが、絶望的な、けれどもどこか喜色の滲んだ器用な声を漏らす。
ルーファスは、水差しからグラスに水を注ぎながら、そんな従兄弟を気味悪そうに見つめた。長い付き合いになるが、四角四面な従兄弟が女性を褒めるところなど見たことがなかった。
「……お前、ルイーズのこと好きだったの?」
なので、ついそう聞いてしまったのも仕方のないことだろう。
おそらく、妻本人であっても同じことを感じただろうが、当然の疑問を投げかけたルーファスに、アルトンは意味がわからないというふうに「は?」と眉根を寄せる。
「なぜそんなことを?」
「いやいや、ええ? そんなの初耳なんだけど……」
「わざわざ人に聞かせる話でもないだろう。それに、彼女の素晴らしいところばかり宣伝して、俺がいない間に他の男に好意を寄せられたら困る」
「……嘘だろ」
はは、とルーファスは乾いた笑みを浮かべた。
気心の知れた相手ということもあって、外向けの仮面はすっかり取り外してしまったようだ。
「だが、離れている間に随分と状況は変わったようだったな。まさかお前が名前で呼ばせているとは」
歴戦の猛者を思わせる鋭い瞳が、やや苦しげに眇められる。
――まさか、この男が嫉妬だって?
羨望の入り混じった視線を正面から受け止めて、ルーファスは頬を引き攣らせた。いったい、この事態をどう見ればいいのだろう、と。
「まあ、彼女はいまや、魔術師団だけでなく、国に欠かせない存在になっているからね。お前も見ただろう? 彼女のずば抜けたあの能力」
女性とはいえ、精鋭が集まる第一小隊の騎士に指一本触れさせることはなかったルイーズ・エマニュエル・バルニエ。
さすが、入団早々副師団長に任命されただけのことはある。
アルトンは「ああ」とひとつ頷いて、眉間の皺を伸ばすように指で揉み解した。
「妻に魔力があるのは聞いていたが……まさかあれほどのものとは。彼女はいつから魔術師団に?」
「正確な日付は確認しないとわからないけれど、たぶん、お前がいなくなってから一年後ぐらいだと思うよ」
「なぜ誰も教えてくれなかったんだ? それに、母上が許したとは到底……」
困惑気味に呟かれた言葉に、すかさず「母上、ねえ」と口元を歪めるルーファス。そのとき、ノックの音が部屋に響いた。
「失礼しまーす!」
部屋の主が返事をする前に、扉が開く。そこから顔を出したのは、第一小隊の副隊長であるミケル・イヴォン・カパルディだった。
アルトンは一度唇を結んで、しかしすぐに小さく息を吐く。
「ミケル、ここは王子殿下の執務室だ。最低限のマナーは弁えろ」
唸るようにそう言われたが、ミケルは飄々とした態度でアルトンの隣に腰を下ろした。
「まあまあ。そんなことより、なんか大変なことが起きたらしいじゃないですか! なんでも、隊長が溺愛する奥さまが魔術師団の副師団長になっていたとか? 社交界でもだいぶ注目を浴びているようですね!」
王族の前だというのに、緊張した様子は一切ない。それどころか、テーブルの真ん中に置かれた飴に手を伸ばし、呑気にも鼻歌を口ずさみながら、包み紙を開けている。
「さすがミケル、情報が早いね」
感心したような口ぶりで、ルーファスが苦笑した。
第一小隊にとって有益な情報を取ってくるのは、いつもミケルの仕事である。帰国後すぐに、自国の状況をより詳細に入手しておくのは大事なことだろう。
王子を前にしてこの態度が許されるのも、ひとえにその能力が認められているからだ。無論、公の場ではもう少し改まった振る舞いが求められるのであるが。
「奥さまとアンナが揉めに揉めたとか」
「アンナ……ああ、あの女性騎士のことかい?」
「ええ。彼女が隊長に懸想しているのは知っていたんですけどね、というか、あからさますぎてみんな気づいてたと思うんですけど」
「なに?」
「気づいていなかったのなんて、隊長ぐらいだと思いますよ! 隣国にいる間も、『隊長は自分を思っているに違いない』だの『政略結婚だから、奥さまと別れるに別れられないんだ』だの吹聴してましたから。奥さまへの溺愛ぶりを知っているボクからしたら、気持ち悪いのなんのって!」
「なぜ否定してくれなかったんだ!?」
思わず叫ぶと、ミケルは悪戯を叱られた子どものようにむくれた。
「しましたよ! でも、彼女の中ではすでに隊長と両想いということになっているのか、何を言っても変に曲解されてしまうか、まったく聞く耳を持ってくれないかのどちらかだったんですもん」
「ああ、うん。体の関係があると息をするように嘘を吐いていたしね。彼女には虚言癖もあるのかもしれない」
容赦ない言葉に、アルトンは頭を抱えた。いったいどうしてこんなことになってしまったのか、と。
「で、そのアンナについてだけど」
しばしの沈黙のあと、水で唇を湿らせたルーファスが話を切り出した。そして、「ミケル、どうだった?」と問い掛ける。
「殿下のおっしゃるとおりでしたよ」
反芻するように言いながら、ソファーに背中を預けたミケルがぐっと伸びをする。二人のやり取りに、アルトンは眉根を寄せた。
「おっしゃるとおり、とは?」
「ん? ああ、ミケルにはちょっと仕事を頼んでいてね。あの女……アンナがあのあとどうするのか、探ってもらっていたんだ」
結局、第一小隊の面々には、ある程度の処罰が下った。一年間の減俸と奉仕、そして二週間の自宅謹慎。王家の血を引く次期公爵を貶めようとしただけでなく、騎士団と魔術師団の軋轢をさらに深めようとしたのが重く見られたのである。
また、アンナに関しては、暴力事件を主導した張本人として、第一小隊からは除隊。ただし、騎士を辞するのではなく、降格という形になった。学生や十代の若者たちと共に、見習いから始めさせるのだそうだ。
「あの女はどうやら、お前の母親とつながっているらしいね」
世間話をするかのような軽い調子で言われて、アルトンは目を見開いた。
「母上と……」
「僕はこれでも、貴族名鑑に掲載されている貴族の名前と顔はほとんど覚えているからね。お前たちも名前で呼んでいるし、家名がないということは平民なんだろう?」
選民思想を持った者たちも少なくないが、近年の騎士団と魔術師団においては、能力重視での雇用を行っている。
「ええ」とミケルが静かに頷いた。
「普通、どんなに夢見がちな者であっても、平民がまさか次期公爵の嫁になれるなどと馬鹿げたことを思うはずはない。まあ、あの女には妄想癖か、あるいは虚言癖があったようだから、実際はどうかわからないが……平民では愛人がいいところだろう」
「俺は愛人など作るつもりはない」
ルーファスが半目になる。
「いや、それはまあ、どうでもいいんだけど。僕が言いたいのは、つまり、愛人がいいところの平民であれば、わざわざルイーズを退けようとする意味はないってこと。貴族としての教育を受けたこともない平民が次期公爵の嫁? たとえお前が望んだとしても、王家が却下する。そんなのは幼い子どもにだってわかることだ」
平民に近い男爵や子爵なら、あり得たことかもしれない。ただし、それであってもハードルは高いのであるが。
ほかには、どこかの貴族に養子縁組した後の婚姻という手もあるだろう。しかし、養子縁組は基本的に貴族間で行われるもので、平民を養子に迎え入れるとすればそれなりに理由があるからなのだ。
第一小隊に所属しているといっても、なんの功績も残していない彼女を家に迎え入れるメリットはない。
「それで、処分が言い渡されたあとの彼女を探るよう、殿下に言われてたんですよね」
軽い調子で口を挟むミケルに、ルーファスがうんと頷いた。
「確かに、騎士団では身分に関係なく有能な者を登用しているが、平民と貴族は違うし、王政を敷いている以上、そうでなければならないと思っている。現にあのルイーズだって、慇懃無礼なように見えて――」
「彼女ほど礼節を弁えている女性はいないと思うが?」
「……うん、そう見えても、実はしっかり線引きをしている。なのに、平民が次期公爵の嫁になれると本気で思っているということは、よほど頭が弱いか、誰かにそそのかされたかのどちらかだろうと思ってね。ルイーズが強引に連れて行かれるのを偶然見かけたから、影を使ってミケルに指示を飛ばしたんだよ」
「……その『誰か』というのが、母だと?」
わずかに挑むような色を滲ませたその声に、ルーファスは肩を竦める。アルトンにとっては良い母親であっただろうから、信じられないのは仕方がないとでも言うように。
「端的に言うと、そう。むしろお前の母親以外に、誰が『次期公爵の妻になれる』だなんてそそのかせると思うんだい? 現公爵という線もあるだろうが、あの人は貴族であれば、お前の妻が誰であろうとあまり気にしないだろう」




