11 魔術師を侮るな!
思わぬ速さに目を瞠るルイーズだったが、しかしそこから一歩も退くことはせず、緩やかに口元を綻ばせる。
頭の中で、パチン、と何かが弾けた。
「なっ……!?」
まるで何かに躓いたかのように体勢を崩した女性騎士は、顎から地面へと追突する。訓練用の剣が円を描きながら滑っていった。
「なん、だ、これは!?」
女性騎士が完全に混乱した声音でわっと叫ぶ。
起き上がろうとして叶わなかったのだろう。
ルイーズは猫のようにしなやかな瞳を細めると、うつ伏せになったまま呻く女性騎士をじっと見つめた。まるで獲物を甚振る獣のように、愉悦の滲んだ表情で。
「ええと、息はできている……わよね? 力加減を間違えると、うっかり押しつぶしてしまいそうだわ」
「なにを……!」
「あなたがたが言ったんでしょう。――魔術師と戦いたい、と」
――それって、ねえ。こういうことよ。
続けて放たれた言葉に、誰かが息を呑んだ。
王宮の騎士たちは、他人に興味を持たない魔術師たちの性格に感謝すべきだ。彼らが同じように好戦的だったなら、街のひとつやふたつ、吹き飛んでいただろう。
ほとんどの人間が持たない特別な力。
毒にも薬にもなり得るそれは、諸刃の剣だからこそ、魔術師たちはみだりに人前で使わないようにしているだけなのである。
「あなたは、わたくしの前では立ち上がることすらできない。どんなに身軽でも、振り下ろす剣が重たくても、届かなければ意味がないもの」
「……く、そっ」
見えない力に押さえつけられている女性騎士は、苦しげな息を吐き出した。しかし、だからといって諦めた様子はない。
なんとか体を起こそうともがく女性騎士に、一度魔術を解除する。
女性騎士は素早く体勢を立て直すと、腰をかがめた状態で横に飛んだ。アクロバティックなその動きの最中で手に掴んだのは、地面に転がったままの剣。
(さすがエリート中のエリートと言われるだけあるわね)
確かに、彼女の身のこなしには無駄がない。多くの訓練を積んだ者にしかできない動きだ。彼女はきっと根が真面目な人なのだろう。
だからこそ、残念でならなかった。男尊女卑の色が強いこの国の中で、それも騎士という男性社会の中で生き抜いてきた女性が、恋愛に溺れ、ただの女になってしまったことが。
「お前がっ、お前さえいなければ……!」
はっとして目を瞬かせると、いつの間にか距離を詰められていた。
「あら、まあ」
それはほんの、瞬きの間。
押し迫る女性騎士にのんびりとした声を上げたルイーズは、デコピンをする要領で親指と中指を弾いた。
「、っう、わあ!?」
刹那、女性騎士の体が風に煽られた紙きれのように吹き飛ばされていく。
傷付けるどころか、触れることすら叶わない――。
ようやく現実に追いついてきたのか、受け身を取って顔を上げた女性騎士の顔には、わずかばかりの怯えが滲んでいた。
その表情には覚えがある。
圧倒的に強い、到底敵うはずもない未知の生物を目の当たりにしたときのそれだ。
「『一撃で終わってしまうのはつまらない』……だったかしら?」
自分を嘲り笑う騎士たちを思い返しながら、繰り返す。
研究者気質で、何事も根拠を大事にする魔術師としては、実際に確かめたわけでもないのに相手を弱いはずだと論じるだなんて、愚かしいことこのうえない。
「それに、あなたがたは『騎士を語るな』とおっしゃっていましたけれど、ならばなぜ、あなたがたが魔術師を語るのは許されると思うの?」
思いのほか、自分の声に力が入っていたことにルイーズは驚いた。
魔術師が騎士たちに貶されるのはいつものことなので、怒ってはいない――のだが、やはり気持ちいいわけがないのだ。
魔術師が本質的に他人への興味が薄い人種であるからといって、仲間意識がまったくないということではない。尊敬する上司もいるし、エメルダのような可愛い後輩もいる。
「騎士さまがたのように表立って活動しているわけじゃないから『愛国心がない』と言われるのかもしれないけれど、陛下に仕える気がないのであれば、興味の有無がはっきりしている魔術師は決して誰にも傅きはしないでしょうね」
決闘開始前に聞こえていた野次も、もうすっかり聞こえない。さして大きなものではなかったが、ルイーズの声はよく響いた。
「ああ、そうそう、確か『自己中心的』と言われることも多いんですけれど。魔術師の多くは研究者気質ですので、何事も効率重視で考えるだけですわ。それは『自己中心的』ではなく、『合理的』と呼ばれるものです」
ただ感性が違うだけなのだ、と告げる。
「魔術師たちが言い返してこなかったのは、騎士たちを恐れていたからではございません。根拠なく勝手に盛り上がり、正義の鉄槌を下した気になっているあなたがたに、一欠片の興味も湧かなかったからです」
ルイーズは穏やかな笑みを浮かべたまま、人差し指でくるりと宙を掻き混ぜた。その瞬間、姿勢を低くして警戒態勢を保っていた女性騎士の体が、横向きに回転した。
切れ長の瞳が驚きに見開かれる。女性騎士はそのまま体勢を崩し、側頭部から地面に着地した。表情は見えないが、細長い苦悶の声が上がる。
「あなたがたは、口を開けば『魔術師はたいした働きもしないくせに』とおっしゃいますけれど……まあ、確かに、職務上、目立ちやすいのは騎士さまがたのお仕事かもしれませんわね。華やかな方も多いようですし、護衛やら警備やらと人前に出ることも多いでしょうし。ですが、それならば、魔術師からはこう問いましょう。――あなたがたは、国民の生活を発展させられる研究ができるのですか、と」
それぞれがそれぞれにできることを頑張ればいい。ただそれだけの話なのに、どうして騎士たちは魔術師に同じものを求めるのか。
思わずため息を吐いて、ルイーズは人差し指をくいと上に跳ね上げた。抵抗する隙ひとつ残さないまま、女性騎士の体が宙に吹き上げられる。
――まるで玩具のようだ。
あまりに一方的な光景に、騎士たちの顔から血の気が引いていく。
「あ!」
勢いよく跳ね飛ばされた女性騎士を見て、ルイーズが短く叫んだ。
(やりすぎたわ!)
力加減を誤ってしまったのだ。
遥か上空に浮いた体はぴくりとも反応しない。先ほど強く頭を打ち付けたせいだろう。見たところ、大きな怪我はしていないようであるが――しまった、とルイーズは咄嗟に地面を蹴り上げた。
自身の体に身体強化の魔術をかけ、落ちてくる女性騎士の体を受け止める。そのまま着地し、ゆっくり地面に下ろすと、彼女はどうやら気を失っているらしいことがわかった。
「やあやあ、決着がついたみたいだねえ」
気絶もつまり、戦意喪失したということに変わりない。
パチパチとやる気のない拍手を鳴らしながら、第三王子が近づいてくる。「ええ」と、ルイーズは軽く礼をした。
「さすが副師団長、といったところかな? 見事な手腕だったよ」
「殿下に褒めていただけるなんて光栄ですわ」
「ああ、これでむやみやたらと魔術師に喧嘩を売る騎士も少なくなるだろう」
「……そうですわねえ」
それが狙いか、と肩を竦める。
騎士団内で厳しく定められた規律を遊び半分に破る男ではないと思っていたが、やはり必要だから許したのだろう。
「お前たちもわかったね?」
第三王子はルイーズの前までやってくると、首を捻って顔だけで振り向いた。
「これからは王宮内で魔術師たちとすれ違っても、理由もなく絡まないこと。彼らにやり返そうという意思があれば、いつでもそうできるのだということを忘れるな」
一部始終を目撃した騎士たちは、言葉もない様子で何度も頷いている。
(まあ、わたくしのように、まるで『魔法』のような魔術を使う人はいないのだけど。でも、もうやってくれるなと脅すには丁度いい材料だったということかしら)
夫であるアルトンも、五年前までは内気でおどおどしていた妻の変わり果てた様子に、愕然としていた。
珍しく疲れたように息を吐き出したルーファスは、「それに」と話を続ける。
「魔術師を侮られたままだと困るんだよ。今は平和な時代だから許されるかもしれないが、他国にも魔術師はいる。もし戦争なんかが始まり、そのときに魔術師を下に見た騎士ばかりだと、ただただ蹂躙されてしまう。――今のように」
指一本で人の体を好きなように動かすルイーズを見ていた騎士たちは、己の未熟さにただ絶望した。




