4-22 いつかまた、青空の下で
その時、別の男性の声が通話に割り込んできた。
スゥが振り返ると、背後に同じく白衣を着た若い男性が覗き込んでいるのが映る。鳶色の長めの髪を後ろで一つにまとめた、背の高い人だ。
見知らぬ人物の乱入にケイたち三人がきょとんとしていることに気付くと、男性もまた切れ長の目を見開いた。よく見るとその顔はまだ幼さが残る。間違いなく年上だろうが、成人はしていなさそうな少年だ。
「ごめんねスゥ、てっきりユキヤさんとばかり。きみたちも邪魔して悪かったね」
少年はケイたちにも目を向けると軽く会釈し、そそくさと部屋を出て行こうとする。スゥは彼に向かって首を横に振った。
「いえ、だいじょうぶです。室長、聞こえましたか? 終わったならさっさと帰ってきてください。仕事は山のようにありますよ」
「ええー……」
「いいですね?」
渋るユキヤを鋭く睨みつけると、スゥは容赦なく畳みかける。ユキヤはあっさりと屈服すると、背筋をぴんと伸ばした。一応室長などと呼ばれているようだが、これではどっちが上の立場か分からない。
「それじゃあケイ、ハルト、ナオ。ありがとう、元気でやれよ」
スゥは正面を向くと、目元を綻ばせる。返事を待たず、彼の姿は掻き消えた。
「え、待ってスゥ……」
ナオは慌てて手をのばす。だが、携帯電話から不在を現す音が響くと、しょんぼりと肩を落とした。
「切れちゃった。もうちょっと話したかったのにな……」
「仕方ねぇよ、監視されてる。あいつはきっと、俺たち以上に」
ナオの肩に手を置くと、ケイは眉根を寄せる。
空いている手を握りしめて、行き場のない想いを潰す。
それは他でもない自分自身へ、言い聞かせるために。
「俺だって同じ気持ちだ。スゥや、俺たちの仲間を連れていった政府を、俺は許さない。いつか必ず取り戻してやる」
押し殺すようにして落とされたその声は、静かな湖畔の風に掻き消される。
下を向いて黙っているナオとハルトの代わりに、ユキヤがゆったりと諭すように、口を開く。
「ひとつ忠告しておくよ。今後もし、君たちの仲間を想う気持ちにつけ込んで、甘美な言葉で誘惑されたとしても……決して、政府に逆らってはいけない。それがどんなに大義名分を掲げた素晴らしいものであっても。君たちのためにも、スゥのためにも」
「……ふん」
ケイは不貞腐れたように吐き捨てる。
まるで親に怒られた子供が拗ねているかのような表情のケイに、ユキヤはこっそり苦笑を浮かべていた。
「ん?」
ふと、ケイは今更ながら拳の中に何か固いものがあることを思い出す。返すタイミングを失っていた、ユキヤの指輪の金色の台座部分だった。
ケイはユキヤにそれを突き出した。
「そうだこれ。俺が持ったままだったから返す」
「ん? ああ、僕にはもう必要ないからあげるよ」
「は? いや指輪の部品なんて俺もいらねぇ……」
ユキヤはケイの言葉を遮るように、彼の手から指輪を取り上げる。次いで白衣のポケットをまさぐって何かを取り出したかと思うと、それを指輪に押し込みはじめた。
ぱちん、という小気味良い音が響くと、ユキヤは満足げに笑う。
再び指輪をケイに差し出す。思わず広げてしまったケイの掌に、青い石がはめ込まれた指輪がころんと転がった。
石は大きさも形も台座にぴったりだ。白い石と揃いで作られたものだろうか。
「はい、これでオッケー。どうだい、綺麗だろう。それ、こないだ『クレナ』っていう町に温泉旅行に行ったときのおみやげ。任務のお礼にあげるよ」
「は?」
目を点にして固まるケイに、ユキヤは満面の笑みを浮かべるとさっさと踵を返した。
「きっときみの役に立つよ。んじゃ、またねー」
爽やかに言い捨てると、ユキヤはそのまますたすたと歩いて行った。
ケイがもはやどこから突っ込むべきか分からず固まっているうちに、ユキヤの姿はどんどん遠ざかっていく。そして、やがて見えなくなった。
「綺麗だね、それ」
横から覗き込んできたナオの声にようやく我に返る。
確かに、この青い石も透明感はないが、空を映したような綺麗な色だ。目を輝かせるナオに、ケイは微妙な顔をしてみせた。
「だったらお前がもらっとけよ。俺別に石に興味ねぇし」
「だめだよ。この任務でがんばったのはケイだもん、キミが持っておかないと」
「そーそー!」
ナオの背後から躍り出てきたハルトが、突如として口を挟む。その顔は指輪にも空にも水面にも負けないほど輝く笑顔だ。
長い付き合いの賜物か、嫌な予感がしてケイは瞬時に身構える。だが、もう遅かった。
ハルトは爽やかに言葉を並べた。
「だぁって、ナオ(好きな女の子)に渡すんなら指輪は自分で用意しないとだめだもんね、ケイ! ナオもケイ以外の男から受け取ったらだめだぜ!」
「なっ……!?」
「ふぇ?」
ケイは顔から火が出そうな勢いで赤面した。
対するナオは大きな目をぱちぱちさせて首を傾けただけだ。その横で、ケイは顔を隠すように項垂れると小刻みに震えている。
「ハルト? どゆこと?」
「わかんない? もーお前ほんと鈍いよなぁ、ケイはね……」
「ハルトぉっ! てめぇ何好き勝手言ってんだよこの野郎!」
ケイは勢いよく顔を上げるとハルトの軽い口調を遮った。その顔は怒りを十二分に表している。違う意味で真っ赤なので迫力はないが。
身の危険を感じたハルトは軽やかに駆け出す。
「あーはははケイが怒ったー」
「てんめこの野郎! 待ちやがれ!」
「えーオレはケイのために言ってんのにぃー」
そのままいつものごとく、二人の鬼ごっこが開催される。ナオは慣れた様子で笑いながらそれを見守っていた。
ふと、ナオは空を仰ぐ。夕方に近づいてきたとはいえまだ澄んだ青色をしていて、眩しい太陽は目に染みる。
いつの間にか暑さも忘れ、元気よく駆け回るケイとハルトの声を聞きながら、ナオは今一度ほほ笑んだ。
「私たちは元気でいるよ、スゥ。だから心配しないで。必ずまた会おうね」
遥か遠く離れた場所にいる、大切な幼なじみの姿を空に描いて、ナオはそっと呟いた。
心地よい風が頬をなでる。
まるで代わりに応えてくれたように思えて、なんだかとてもうれしくなった。




