4-13 朽ちた剣
周りの景色がだんだんできあがっていく。
足は平らな土の上を駆けているらしい。辺りは薄暗くなっていったかと思えば、徐々に視界が悪くなっていく。それほど深くはないが、霧が立ちこめているようだ。
「ハルト!」
もう一度叫ぶ。だが、ハルトらしい人影はやはり、反応を示さない。それどころか、懸命に走るケイをよそにどんどん遠ざかっていく。やがて霧に紛れて、人影は見えなくなった。
「はぁ……はぁ。くそ」
仕方なく足を止める。何度も肩を跳ね上げて、ケイは荒い呼吸を繰り返す。
額の汗を腕で拭うと、ケイは改めて周囲の景色を確認する。
霧に覆われてほぼ何も見えないが、気温は服装に合ってちょうど良いくらいだ。人影を夢中で追いかけている間に景色が完成してしまったのだろうが、おそらくこれも幻覚なのだろう。
先ほどの空間で目印をつけた木が動かなかったことを見るに、ほとんど移動はしていないと思われる。人影もおそらくハルトではなかった可能性の方が高そうだ。
まんまと誘導されてしまったのだろうか。
ケイは歯噛みする。このまま結界の中で振り回されているだけでは、魔力切れも時間の問題だ。
今は気配に敏感なハルトはいない。突破力を持つナオもいない。
発動を最小限に抑えると、ケイは深く息を吸い込んだ。
「……考えろ」
大きく息を吐く。
肺の奥にまで霧を吸い込むように数度繰り返すと、少し気持ちが落ち着いた。
最初に捕らわれた結界。あの空間は、異常に熱くて不気味な荒野。次は極寒の森の中。そして今は深い霧の中。
それが幻覚であるのなら、この気温差も、足の裏に響く地面を蹴った衝撃も、一体どうやって認識しているのだろう。
感覚とは神経からの情報の伝達による脳の認識だ。もし本来ない痛みでさえも、脳に直接認識させることができるのであれば非常に驚異である。
溢れ出た魔力にあおられて、ケイの髪や服がふわりと広がる。
すっと目を細めると、ケイは指輪の精霊の攻撃について振り返ってみる。
最初は荒野に転がった岩々が浮かび上がって飛んできた。不思議だったのは、弾いた岩は破片を残すことなく消え去ったこと。岩がなくなってもどこからか新たなものが現れたが、それも同様だった。
次にケイと同じ姿をしたものが、『氷』の能力で襲いかかってきた。
ケイとよく似た力を操る。いや、スピリストはそもそも精霊石により、後天的に精霊のように属性を持つのだから、ケイの魔力が精霊に似ていただけなのだろうか。となると、精霊は『氷』の属性を持つのかと思ったが、それでは最初の岩について説明ができない。
そこまで考えて、ケイははっと顔を上げた。頬の傷を撫でるようにして、風を感じたのだ。
「霧が……」
風に吹かれて霧が晴れていく。
少しずつ視界が明けてきて、前方に光が見えた。ケイは思わずそちらへ歩を進めようとしたところで、つま先に何か堅いものがこつんと当たった。
「あ?」
ケイは視線を下に向ける。そこには一振りの錆びた剣が転がっていた。
「何でこんなものが……」
反射的にそれに手をのばそうとしたとき、不意に強い風が吹き抜けて霧を一気に飛ばした。
今度の景色は広くて平らな地面がどこまでも続き、空は青みを帯びているがひどく作り物のような感じが漂っている。
そして足下だけでなく、辺りには所々に剣が転がっていた。
そのほとんどが錆びたり折れたりと使いものにならなさそうなものだった。
きょろきょろと辺りを見渡したところで、ケイはさっと青ざめる。
大小さまざまあるが、剣は全て金色の柄と橙色の飾りがついている。ハルトが普段『剣』の能力で使っているものと同じだ。
「ハ、ハルト!?」
朽ちて打ち捨てられた剣を見て、ケイはハルトの姿を探した。
手近にあった短剣を拾う。
柄は冷たく、錆でざらざらした感覚が手のひらに伝わる。錆の臭いがつんと鼻腔をつく。裏返して見ても刃はぼろぼろだが、ずしりとした重みがあった。
発動をやや強めるが、剣からハルトの魔力の気配は感じない。おそらくハルトのものではないだろう。
ほんの少し胸を撫で下ろしたケイだったが、すぐに嫌な予感がして周囲への警戒を強める。
最初の結界では落ちていた岩が突然浮かび上がり、飛んできた。ということは。
「うわっ!」
案の定、文字通り空気を切り裂くような音をあげて、一振りの剣がケイめがけて飛んできた。
間一髪のところで上体を捻りそれを躱したが、岩よりもよほど殺傷力がありそうな剣が直線状に飛び去って行くのを見て息を呑む。
考える暇を与えず、またしても転がっていた剣がふわりと浮き上がり、その切っ先をケイに向ける。ケイは反射的に手にしていた剣を構えた。
「だからっ! なんでいちいち物が浮いてこっちに飛んでくるんだよ気持ち悪ぃっ!」
ケイは悪態をつく。
そういえば以前の風車の町の任務でも椅子が浮いて飛んできたとかナオが言っていたが、彼女が泣き叫ぶ気持ちも少しは分かる気がしたケイだった。今回は精霊の仕業と分かっているのはいいが、不気味だ。
そのまま容赦なく飛んできた剣は、今度は避けずに身体の前で弾いた。
ガン、という鈍い衝撃が腕を走る。
脆くなった剣の強度は大したことはないらしい。飛んできたものも受け止めたものも罅が走り、高い音をあげて砕ける。
目の前で破片が飛び散り、ケイは腕で顔を庇った。だが、降り注いできたのは固い金属ではなかった。
「……冷たっ……!?」
腕に触れたのは、何かの液体のようだった。見ると、透明な水がケイの手首から肘へとつたい、地面にぽたぽたと落ちて染み込んでいく。
手首の精霊石が輝く。噴き出した冷気にあおられ、水は一瞬で固体へと変わった。
「凍った……やっぱり水なのか、これ」
腕に貼りついた氷を無造作に剥がして打ち捨てると、ケイは顔をしかめる。砕けた剣の残骸はどこにも見当たらない。
氷はあっという間に溶けて地面に吸い込まれていった。やがて濡れた染みも跡形もなく、消え去る。
ケイはぐっと右手を握りしめる。冷気が凝縮されていき、再び氷の槍を手にした。
「ってことは……お前は『水』属性持ちか」
どこにいるのかも分からない精霊に向かって、わざとらしく呼びかける。反応は返ってこなかったが、ようやく得心したケイの瞳は力強く光る。
最初の岩攻撃が破片を残さなかったのも、ナオの桁外れの威力を持つ火球により、飛び散った水が熱で蒸発しただけだったのだろう。
灼熱でも、極寒の空間でも、不自然に散らばっていた水たまりも。そこからケイに似た何かが現れたのも、それが精霊の攻撃の元だからだ。結界を出た後もケイの頬の傷が残っていたのも、幻覚ではなく実際に傷を付けられていただけのこと。
おそらく、全ての媒体は水。それを幻覚で様々なものに見せているのだとしたら。
「…………」
そこまで考えて、ケイは片眉をぴくりと跳ね上げた。
やはりと言うか、あの胡散臭い男はなぜ最初からそうケイたちに伝えなかったのだろう。自分の精霊の属性が分からないとは言わせない。いや、それに関しては考えても苛立つだけなので後回しだ。とりあえず自分を無理矢理納得させたケイは、頭にちらつくユキヤのへらへらした笑顔を追い払って前方を睨む。
何かが近づいて来る気配がした。また剣だろうか。
ケイは槍を構えると、強い冷気を纏ってそちらを振り返る。そして、目をいっぱいに見開いた。
「な……ナオ?」




