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4-7 赤い世界での攻防


「どういうこと……? ねぇケイ、ハルト」


 背後のケイに声をかけようとしたナオの髪を、何かが鋭い音をあげてかすめる。

 それがハルトの放った短剣だと気づいてそちらを振り向いたとき、短剣は空中で不自然に弾かれて落下した。まるで見えない何かにぶつかったようだ。


「え!?」

「ナオそこだ! そこに何かいる!」


 目を見張るナオに、ハルトの鋭い声が届く。

 直後、ナオはそちらに向かって身構えた。

 ハルトが示した先をまっすぐに見据えると、空気が波打つようにして揺らめいている。

 ナオは両手に魔力を凝縮させる。淡い光を帯びた後、空よりも赤い炎が彼女の細い腕を包み込んだ。


 そこにいる『何か』が、この不可思議な状況を作り出しているのだろうか。


 ひとつひとつの小さな動きが全て細かな振動となって辺りを震わせ、頭を無理矢理かき混ぜられているような不快な感覚を覚える。目の前には変わらず不気味な暗い光景が広がっている。しかし、不思議と恐怖を感じていないことに今更ながら驚く。

 そのとき、脳裏を過ったのは、依頼者ユキヤの意味深な言葉だ。


 ――捕まったのさ、指輪に。


 ナオは自身の炎に熱せられた空気を肺いっぱいに吸い込むと、静かに紡ぐ。


「……いい加減」


 かすかに焦りの気配を滲ませたような気がしたその『何か』を睨みつけると、ナオは思い切り炎を叩き込んだ。


「ここから、出してーっ!」


 瞬く間に巨大な渦となった炎は八方に広がり、視界が燃えさかる炎に包まれた。赤い空がさらに赤く明るく染まり、ついには何も見えなくなる。


「え、ちょっ……」

「う、うわ!」

「あち、あちちちっ!」


 どこかで上がった三重の悲鳴に混じって、薄いガラスが割れたかのような高い音が聞こえる。

 その直後、景色がぐにゃりとゆがみ、併せて視界が大きく回転した。

 一瞬船酔いしたような感覚に襲われたと思ったら、周囲が鮮やかな青と緑で彩られる。

 元いた湖のほとりの、さわやかな水と草の匂いを感じ取ると、ナオはようやく我に返って景色を確認した。そこで気づく。


「ふえ?」


 体が宙に浮いている。


「ぷぎゅっ」


 はずもなく、ナオはぐしゃりと地面に落ちた。

 ふわふわと風船で浮いていたのに、突然取り上げられて落下した感じだった。しかし、とりあえずはあのよくわからないところから元いた場所に戻って来られたらしい。ナオは安堵のため息をついた。


「いたたた……そうだ、ケイ、ハルト!」


 したたかに打ち付けたお尻をさすりながら、ナオはまたきょろきょろと辺りを見渡す。

 しかし近くには誰もおらず、岸辺の水面で魚が一匹跳ねただけ。ナオはさっと青ざめた。


 ――何故だ、まさか元の場所に戻って来られたのは自分だけなのだろうか。いやまさか、あの魚がケイたちなのか!?


 様々な不安に支配されそうになるナオだったが、それは背後からかけられた低い声に遮られた。


「……おい、ナオ……」

「ケイ! よかった無事だったんだ……ね?」


 きらきらと顔を輝かせて振り向いたナオだったが、そこには恨めしそうに見下ろして来るケイ、明らかに何かを含んだ笑みを浮かべたハルトが並んで立っていた。

 中途半端に口を開けたまま固まるナオだったが、ふと気づく。二人の顔や服がすすで所々汚れていたのだ。

 ハルトは膝を折ると、へたり込んだままのナオの頬を無造作につねり上げた。


「ナーオちゃぁーん、とりあえずよくわかんない所脱出できたのはいいんだけどさぁ、もうちょっと火加減はできなかったのかなぁ? オレらもあとちょっとで黒コゲだったんだけどー? これでもめっちゃ焦って逃げたんだけどー?」

いひゃいはぅほー(いたいハルトー)……ごひぇん、ふい(ごめん、つい)……」


 頬にこびりついたすすよりも黒い笑顔を貼り付かせたままのハルトに、ぐにぐにと頬を弄ばれるのは恐怖でしかなかった。烈火のごとく罵倒されたほうがずっとマシだと思えるほどに、こういった時のハルトの持つ威圧感は半端ないものである。ナオはただただすくみながら謝罪するしかなかった。

 後ろ姿だけでも禍々しい何かを放つハルトと縮こまっているナオを交互に見ながら、さしものケイも顔をひきつらせるだけにとどめた。

 ひとまず服についたすすをぱたぱたとはたきながら、ケイは今更のように思い出す。


「あ? そういやさっきのおっさんどこいった?」

「あ」


 ナオとハルトが揃って素っ頓狂な声を上げる。

 すっかり忘れていた。三人は銘々に辺りを見渡した。


「あ、いた」


 ほどなくして今回の任務の不思議な依頼者、ユキヤの姿をとらえるも、ナオはまたその場で硬直した。


「おい、大丈夫なのかアレ……」


 ケイも呆然とそちらを指さして呟いている。言葉とは裏腹に足がさっぱり動こうとしないのは、ユキヤに対して抱いた第一印象の悪さからだろうか。


「見事にさっきの直撃食らったみたいだねぇ。うーん、ご愁傷様? とりあえず助けた方がいい?」


 ハルトは苦笑しながらも肩をすくめただけにとどめる。

 三人の視線の先にあったのは、太陽を反射して光る大きな湖。

 その上でぷかぷかと浮いて気絶している小柄な男、ユキヤの姿だった。




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