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1-7 守るべきもの


「あの森、かなり広いのに丸ごと町の敷地内に含まれてるんだね。地図でも結構な割合だ」


 ハルトは歩きながらそう呟いた。彼の手にはポケットから取り出した携帯電話がある。

 やや早足で歩を進めてきたが、彼らの目の前にはもうすでに多くの緑色が迫ってきていた。公園を離れてからさほど時間は経っていない。

 民家や工場もまだそれなりに大きく視界に映る。つまりそれぞれの距離が近いということだ。民家と森と工業地帯、それらをすっぽり包みこんで一つの町を形成している。

 携帯電話の画面には近辺の地図が表示されている。ケイはそれを横から覗き込んだ。

 町の範囲を示す破線が森林を示す緑色まで囲っている。ケイは背後を振り返った。遠くの方の景色はやや煙がかかってぼやけよく見えない。また煙の臭いが漂ってきて、ケイは無意識に顔をしかめた。


「いや、あの森は我々にとっても大切な森だから、あそこの開発だけは私もするつもりはないんだよ」

「え?」


 ケイの表情をどう解釈したのか、町長が突然弁解をするかのように話し始めた。ケイは思わず声をあげて町長を見る。やや早口で話す町長の口髭が細かく揺れている。


「それならばと多くの人が賛同してくれているよ。次の選挙でもまた私が町長を勤めることになるだろうし、事業を始めた責任もある。だから今回のことは早急に、なるべく穏便に解決してほしいんだ」

「……それ、森の精霊たちは納得しているのか?」


 ケイは眉根を寄せる。睨みつけるかのような彼の表情に町長はたじろいだが、次いでへらりと笑う。


「納得? いやいや、人の暮らしを豊かにするための開発だよ。精霊たちにいちいち了承を得たりするわけないだろう。第一私もほとんど精霊たちを見たことがない。森を切り開くならまだしも、そんなつもりはないしね」

「…………」


 ケイは何も言わなかった。それに町長はどこかほっとした表情を見せた。反論されなかったことに安堵したのだろうか、そんな表情だ。それはまるで、どこか後ろめたいことがあるかのように。

 ケイは一度目を伏せると、諦めたかのように町長から視線を外す。その時だった。


「————ッ!」


 弱い電流が触れたかのようなわずかな刺激を肌に感じて、ケイははっと目を見開いた。

 やや熱を帯びているかのように感じるそれは、何か別のエネルギー……波動に似たものだ。明らかに周りの空気とは異なる気配を、ケイは敏感に感じ取る。

 気配の方向を勢いよく振り返ると、数瞬早くハルトがそちらを向いていた。すぐに彼はケイの方を振り向くと、ナオも合わせて三人目が合う形となる。三人は一様に眉を吊り上げると、表情を引き締めて頷いた。

 そんな彼らに気づいた様子もなく、町長はいまだに民家の方を向いて両手を広げ、熱弁をふるっている最中だった。


「この町は近いうちに南の中核都市として生まれ変わる。この森も我が町のシンボルとなるに違いない。町は一体となり、皆ともに発展していくんだ。だがシルキは幼さ故にそれが理解できないのか……」

「町長さんごめんなさい、少し黙ってください」


 ナオの高い声が遮った。有無を言わさない鋭い口調に、さすがの町長も言葉を止める。不服そうだった彼の表情はケイたち三人を見た瞬間に強張った。彼らは町長のことはそっちのけで、森の方をじっと見据えている。


 風が唸っている。

 まるで地響きのように低い音で。まるで何かを威嚇する獣の声のようだ。

 

 風が渦巻いている。

 まるで嵐が起こる前触れのようにざわざわと。


「ひっ?」


 町長の口から短い悲鳴が漏れた。

 町の森が明らかに不穏な空気を纏っている。

 森の上空は昼間だというのに不自然に暗く、澱んでいる。


「な、なんだあれは……雨でも降るのか? なぁ君たち、一体何が起こって……?」


 町長が縋るような目をケイに向ける。そのとき、一段と大きく風が唸る音が響く。直後、突風が彼らに襲いかかった。


「うひゃあ!」


 町長は飛ばされそうになるハットを押さえてかがみ込んだ。そんな彼の横をすり抜け、ケイたち三人は駆け出した。

 三人は一目散に風上へと駆けていく。町長は慌てて声を張り上げた。


「ま、待ってくれ君たち! どこへ……」


 狼狽えながら、町長は遅れて駆け出してケイたちの後を追う。その間にも強い風が何度も吹き荒れて、吹き上げられる土煙で視界が悪い。

 風上は東。ケイたちが向かうのは、例の森の方角だ。


「くそ、やっぱこうなるのかよ!」

「まーね、気配を調べた時点で分かってたさ。調査だけでは終わっちゃくれないよ。明らかに時間ないもん」


 走りながら悪態をつくケイに、ハルトは冷めた様子でそう返した。

 後方では町長の姿がどんどん小さくなっていく。相手は壮年の男性とはいえ、あっという間に彼を振り切ろうとする三人の速さは人間離れしたものだった。

 ケイの右手首にある青い石が、わずかに見える太陽光を反射して煌めく。


 走り抜けたのは一本道だった。程なくして道が途切れると、代わりに暗い森の入り口がぽっかりと待ち受けていた。

 間違いなくこの森の周囲や中の空気が激しく振動している。そうしている間にも止まない風はやはりここから生まれていた。

 ケイはそこでようやく振り返ると、まだ必死で追いかけて来ているらしい町長に聞こえるよう大声で叫んだ。


「町長さん、あんたは来るな! 危険だから戻っていてくれ!」

「あと町の人も近づけないよう伝えてねー。よろしくー」


 ハルトも続けて言う。

 おそらく聞こえてはいるだろうと返事を待つことはせず、ケイはハルト、ナオと顔を見合わせる。三人で頷き合ったとき、また強い風が彼らに襲いかかった。


「くそ、俺たちの気配に気づかれたかっ」


 子供や体重の軽い女性なら吹き飛ばされそうなほどの突風だった。まるで森へ近づくなと警告しているかのようだ。

 ケイは悪態をつくが、風の流れと隙間を的確に見極めて森へと飛び込んでいく。


「待って、一緒に行く!」


 先走ったケイの後を、ナオが甲高い声とともに続こうとする。

 しかしそんな彼女の肩を、ハルトが不意に掴んだ。


「悪いナオ、お前はここで待ってて」

「ふぇっ?」


 言い終わる前に強い力で後ろに引かれ、ナオは勢いを殺せず盛大に尻もちをつく。

 ナオの短い悲鳴と同時に、追い討ちのように強い風が辺りに吹き荒れた。

 風に巻き上げられる砂塵のせいで目を開けられない。軽量のナオは弾き飛ばされそうになるが、姿勢と重心を低くして耐えた。

 風が上空へと吹き上がる。無意識にそれを目で追ったナオは、はっと目を見開いた。


「あっ……!」


 風は本来、人の目には映らないものだ。

 しかしナオにはほんの一瞬だけ何かの気配がすると同時に、森の上空を旋回する青い影が見えた。


「あれは……!」


 徐々に風が弱くなっていく。

 やがてようやく風が止むと、ナオは乱れて顔にかかった髪を鬱陶しげに払う。


「ハルト大丈夫……って、あれ?」


 そう声をかけようとして、ナオはきょろきょろと辺りを見渡すと目を瞬かせる。周囲に散らばっているのは風に飛ばされてきた木の葉や枝木だけだ。金髪の少年の姿はどこにもない。

 次いでナオは後ろを振り返る。そろそろ追って来ているはずの町長の姿が見えそうな頃だが、彼が現れる気配はない。その場にぽつんと一人、ナオは取り残されていた。


「ふぇっ!? ケイもハルトもひどい、私を置いて行っちゃったの!?」


 間の抜けた声と共に、ナオは空を見上げた。曇天の空がほんの一瞬怪しげに揺らめく。

 悔しそうに唇を尖らせたナオの肩に、不意に何かがポトンと落ちてくる。

 それが木の葉と小さな蜘蛛だとナオが気づいた瞬間、彼女の盛大な悲鳴が辺りにこだました。



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