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3-25 宵越しの宴


「きっと……もう大丈夫だね」

「そうか?」

「そうだよ!」


 ケイがまだ何か言いたげな微妙な表情をしていたが、ナオはそれを笑顔で一蹴した。


 精霊と人。

 人は精霊を疎み、精霊は人を気にも留めない。

 時にお互いの住処を奪い合い、憎しみ合っていた「場所」だって少なからず見てきた。多くは悲しい結末になることも。ただ中立者として、任務として。

 だからこの町の人たちが精霊と向き合えるなら、そんな町があるのだと、それを知ることができたのが嬉しいのだ。

 ハルトは自身の服からナオの指を一本ずつ外すと、最後に彼女の指先を手に取る。


「任務はこれでだいたい終了かな」

「うんっ。あ、でもお祭りはまだ……」


 毛先を弾ませて頷いたナオは、ぱっと目を見開く。忘れていたが収穫祭は中断したままだ。

 花の匂いが風に乗って漂ってくる。風上の方を見ると、数匹の蝶がまたナオに向かって飛んできていた。


「きゃっ……」


 反射的に身構えたナオだったがぐっと堪えると、恐る恐る指先をのばす。蝶は吸い寄せられるようにナオの手にとまって嬉しそうに数回羽ばたいた後、溶けるように消える。

 ナオの足元にあった雑草が蠢き、小さな白い花をつけた。他の蝶たちも次々と消えて、その数と同じだけの花を咲かす。


「わぁ……!」


 ナオはぱっと顔を綻ばせた。花を撫でようとすると、それより早く風が吹き、花弁を舞い上げる。

花弁を目で追うとそこには、白い花の妖精のような精霊が佇んでいた。

 いつの間にか地に降りていたエリアに、ナオは気になっていたことを尋ねてみる。


「そういえば、なんであなたたちの力が急に強くなったんですか?」


 その言葉に、ケイとハルトははっとエリアの方を振り向く。

 そもそもの植物の異常成長の原因は間違いなくエリア自身なのだ。対して、エリアは今思い出したかのように軽い口調で答えた。


「ああ。それはわしにも分からぬ。だが、もしかするとどこかで我らと同じ精霊が生まれたのかもしれぬな。同じ植物を司る精霊が。それもよほど強い霊力を持った者が」

「そんなことがあるんですか?」

「希なことではあるがな。同じ属性の者は力も似通っていることが多いが、大地というものは繋がっておる。お互いの力が強いほどに、その影響を受け合うことがあるのじゃ。おそらくそれは我らだけではないだろう。あらゆる場の『地』に連なる精霊たちにも影響があるやもしれぬ。一時的なものだがな」


 事もなげに言ってのけたエリアに、ケイたち三人は揃って目を見張った。

 エリアの霊力は間違いなく強い部類に入るだろう。彼女の言う影響というものがこれほどまでにこの町へ混乱をもたらしたのだ、他にも何かあるのなら、あらゆる場所で何か異変が起こっているのかもしれない。そう考えるとひどく恐ろしい。

 強張った顔を見合わせる三人を見て、エリアは小さく笑った。


「まぁ良い。遠き地のことなどわしにはどうでもよいことじゃ。お前たちとてそうであろう、人間」


 言うと、エリアは自身にまっすぐ向けられていたひとつの視線と、その若草色の瞳を絡ませた。

 茫然と地面にへたり込んでいたサキは、それに気付くと本能的な恐怖にひゅっと喉をならす。胸に小さな手を当てると、ようやく声を絞り出した。


「……妖精様、いえ精霊……」

「そういえば、今思い出したことがある」


 エリアはサキのことなどどうでもいいと言わんばかりに、すぐに目を逸らした。

 ほんの少しだけ目を細めて空を仰ぐと、そっと独りごちる。


「昔、この地が焼け落ち、わしの持てる力を全て注いで緑を蘇らせたとき。わしがその後もこの場の緑を守り続けるためには、この身体を維持する最低限の霊力のみを残して森の大木と同化するしかなかった。身体の自由を手放す今際に、ほんの気まぐれじゃったがある男にこう言うた。今ならまだ間に合う、作物の種を持ってこい。わしが瞬く間に実らせてやろうと」


 誰に聞かせるわけでもない。

 もう戻らない時へと思いはせるエリアの声に、皆が耳を傾けた。


「すると男は答えた。それには及ばぬ。実りには無限の感謝をせねばならぬものだ。これ以上あなたの好意を受け取れば、それを忘れてしまうやもしれん、と。男はこの地に住み着いた人間だった。男はすぐに歳を取り死んでしもうたが、いつからか男が住んでいた集落では毎年この時期になると、作物を捧げて宴を開くようになった。動けぬわしにとっては、良い余興ではあったの」


 言うと、エリアはそっと目を伏せる。ほんのわずか、彼女は首を横に振ると、再び目を開いた。

 エリアはナオに向き直った。


「――さて火の玉。お前は我らに町の植物を操るのをやめろと言うたな。よかろう、そのかわりひとつ条件がある」

「条件?」


 もはや火の玉と言われても普通に反応するナオである。

 条件という言葉に警戒を示すナオを指さすと、エリアの腕に絡みついていた蔦がしゅるんと音をあげる。


「先に言うた通り、我らの霊力は強まっておる。ならば、それを少しばかり放出せねば衝動を抑えられぬのだ。こやつらに自我はほとんどないからの」


 次いで、エリアは自身の周りに飛び交う無数の蝶を示す。

 ケイたちをはじめ、明らかに身構える人間たちを見て、エリアは意外と言わんばかりに一度まばたきをする。

 そして、彼女は見た目の年齢……十代後半の可憐な少女のように、花のような笑顔を咲かせてみせた。


「今宵は踊ろうぞ。この蝶どもの霊力が枯れるまで。満足ゆくまで宴は終わらぬ。我らが手を引くのはそれからじゃ」


 硬い口調だが端々を少し弾ませたエリアに、蝶たちがぱたぱたと踊って応える。

 ケイたちスピリストも、サキたち町の人間たちも、皆呆気にとられていた。

 やがて事態をゆっくり咀嚼して呑み込んだナオは、吸い込む息の音と同時にゆっくりと、満面の笑みを浮かべた。


「……はい!」


 ナオの甲高い声が響く。

 この日のために綺麗に飾られた髪が、花が、七色に輝くフリルやリボンが大きく揺れて、ナオは手を掲げる。

 前方に大きく踏み込むと、ナオはまた綺麗に円を描いて転回し華麗に着地した。


「踊ろう、みんなで! だって、お祭りはみんなで楽しむものだよ!」


 可憐な衣装を纏った赤い踊り手は、小さな手を広げて皆を導く。

 数瞬の間ののち、躊躇いのあとに溢れる歓声。

 神へ捧げるこの町の祭りは、まだ終わっていないのだ。


「いやちょっとナオ……見えたら危ないからもうちょっと普通に踊れって……」


 何故か顔を赤らめてぼそぼそと言うケイのことなど、ナオは微塵も気にせずに踊り続けたのだった。




 宴は夜明けまで続いた。

 広場一帯がぼうぼうの草や、色とりどりの花たちに覆われ尽くしたとき、半透明の蝶たちは霊力を出し尽くし、その数を数十匹にまで減らしていた。

 まるで優しい朝日のように淡く、美しく輝くエリアは柔らかな微笑みを浮かべると、残った蝶たちを従えて森へと飛び去っていった。

 柔らかな日差しを受けて、淡い色の金髪や背の翅はいっそう鮮やかに光り輝く。

 美しく、神々しい。

 くしくもその姿は、やはりおとぎ話に出てくる妖精そのものだと、ケイはこっそりと苦笑いを浮かべながら見とれていた。




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