3-24 あなたが恐ろしい
「だが今町に納得してもらうには、それなりの理由が必要だったんだ」
「そうか、護衛と踊り手って任務は……」
「ああ。まさか彼女がさらに精霊を惹きつけてしまうとは、政府だって思ってなかっただろうがな……」
ようやく合点がいったケイは頷く。肩越しにナオを見やると、彼女は困ったようにエリアを見上げていた。
ナオの視線に気づくと、エリアは不適に笑う。次の言葉を楽しみにしているかのようだ。
促されるようにして、ナオはアオに問いかけた。
「アオさん……でもどうして私たちにそれを言ってくれなかったの? それにどうしてそれをあなただけで抱えようとしたの? 町の人やサキさんに相談したりは……話し合おうとはしなかったの?」
ナオの声音にはやや非難の色が含まれていた。
サキの不安げな視線を受けて、アオの動きが一瞬止まる。だが、彼は答えた。
「……していない。それよりも収穫祭を滞りなく行うことが、町長や他の実行委員にとっても急務だったから。おれが勝手に余計なことを知ってしまっただけだ」
「本当にそれはあんたの勝手だ。一歩間違えたらこの町を危険に晒すかもしれなかっただろう」
ケイが割り込む。そう言いつつも答えは分かっていたが、気づいたら口を開いていた。
「分かっている、だがきみたちも見ただろう! この町で緑の妖精がどれだけ大切にされているか……精霊に対する認識なんて、おれだって同じだ、おれだって戸惑った! ……だがそれでも彼女の夢や、この町の伝統を守りたかった」
「そだね。だから今この場で『妖精』に会えたなら、結果としてオレは良かったと思うんだけど」
今度はハルトが割り込んだ。ケイとナオは怪訝な顔をしてそちらを振り返ると、彼は腕を組んだまま意味深に言う。
「だってそうじゃん。ねぇ精霊さん、あんたはナオがここにいたから出てきたんだろ?」
「ふむ?」
急に話を振られ、エリアは首を傾げてハルトを見下ろす。
「まぁそれだけではないが、概ねな。確かに蝶どもが惹かれた魔力を持つものは気になっていたからの。実際はただの火の玉がお道化ておっただけで期待はずれではあったがな」
「う、ふええぇえ……」
なぜか攻撃されるナオである。この町に来てからと言うものの、なんだか扱いがひどい気がする。ナオはナオなりに頑張っていたつもりだったのだが。
もはや涙目のナオを綺麗に無視すると、エリアは続けた。
「そこの男の言う通り、わしは昔、この町の植物たちを救った反動でずっと森の奥で動けずにいた。この数日だ、この身に霊力が溢れ、ようやく満足に森を離れることができたのは。それまでは蝶どもを通してしか、この守るべき場所を見ることはできなかった。口惜しいことだがな」
エリアが翅を広げる。淡い色の翅が、きらきらと光る鱗粉を散らした。
明らかに人の身体ではないそれはとても美しい。だが、彼女を見つめるアオはサキを抱きしめると息を呑んだ。
「緑の妖精……いや、精霊エリア。おれは正直、あなたが恐ろしい」
「ほう?」
「だがあなたは確かに昔、この町を救ってくださった。村人が出会ったという美しい妖精は、間違いなくあなただ」
ほんの少しだけ震えるアオの声は、静まり返った空気によく通る。
エリアはひどく楽しげに微笑みながら、彼を見ていた。
否定の言葉は、誰も発しない。
アオのそれは宣言だ。
緑の妖精は、今ここに、この町に降り立ち、その姿を見せたのだと。
誰かの小さな声が聞こえる。
がさがさと衣擦れの音が聞こえ、土を踏む音が連鎖する。
集まった町の人々が、エリアに向かって次々と頭を垂れたのだ。
「精霊エリア。我らが祖先を、この町を大火より救ってくださったことも。あなたの植物を守るその役目が、我らに素晴らしい実りをもたらしていることも。全ての恵みに感謝し、この祭りを執り行いますことを」
アオはまた宣言する。そして手を組み、瞑目した。
「どうかこの町を、これからもお守りください」
凛とした声音は鈴のように高く、澄み渡るようだった。
静寂が流れる。
サキをはじめとし、その場に戸惑いが混じっているのは事実だ。だが、それでもエリアは笑みを消さない。たくさんの蝶たちとともに、ただ黙って翅を動かしていた。
「ハルト……お前絶対なんか知ってただろ」
「ふーん? なんのことー?」
ケイは隣に立っていたハルトに向け、半眼と小声を投げかけた。
ハルトはこの場に似合わない間延びした声を返す。後頭部に両手をかけ、誤魔化すように左右に揺れている。
ケイは何十万語も含んだ目をしてさらに詰め寄ろうとしたが、ハルトは明後日の方を向いていた。
そんな二人の背後に、ナオがちょこちょこと駆け寄った。
「ハルトぉ……?」
ハルトの半袖をつまんで下に引くと、彼をねめつけながらナオは唸るように言う。
対して、ハルトはさらに眩い笑顔とともに棒読みを返しただけだった。
「やぁナオ、素晴らしい舞いだったねあははは」
「まだ途中だったんだけど? ねぇハルト?」
「なんだいナオ、そんな刺激的に触るならオレじゃなくてケイにしたげなよあはははは」
ナオはハルトの胸元をつかむと、前後にがくがくと揺らしている。そんな彼女の抗議にも、ハルトは風に舞う木の葉のようにのんびり受け流した。
そんな彼らの間の抜けたやりとりは、静かなその場にこだまする。
エリアは彼らにちらりと目をやると、呆れたように肩を竦めた。
「……この町の者に妖精などと呼ばれておったのは、蝶どもを通して知っておった。だがわし自身がこの地を好いておる。この地に住み着いた人間がおらずとも、宴などなくとも、わしは命ある限りこの地の緑を守り続けるだろう」
エリアの薄桃の花弁が開く。静かに紡がれた言葉に、アオをはじめ皆が息を呑んで顔を上げた。
「妖精とは何じゃ。お前たちに人間とって神にも等しき存在か? 何も問題はない、好きに呼べば良い。わしはわし以外何者でもないのだからな」
エリアはやや高度を下げた。まるで人々の前に立ちはだかるかのように。
東の空に登る満月はまだ低い位置にある。いちだんと大きな真ん丸い月は、彼女を背後から妖しく照らした。
大きく広がる金色の長髪はゆったりとうねり、白いフリルは星の海に漂っているかのようにふわふわと遊ぶ。角度によって七色にも見える美しい蝶の翅は、月の光をめいっぱいに受けるようにして大きく広げられた。
妖精の使いと称された無数の白い蝶たちを従えて、紡ぐ。
その眩い光の矢で刺し抜くように、鋭い声で。
「だがもしも、わしがお前たちにとって望むものでないならば。わしにこの場を去れ、などと申すのであれば話は別じゃ。わしはお前たちを皆殺しにしてでもこの場を守りぬくだろう。我らは場所に縛られている。それが我ら精霊のさだめ」
若草の色を映したような緑の瞳はそれでも、どこか優しげだった。
脅しつつも、彼女とて分かっているのだろう。彼女はずっとこの町を見てきた。この町の人間たちはきっと、彼女に刃を向けたりはしないだろう。
そうでないならば昔、わざわざ飢える人々を救ったりはしない。緑を蘇らせるならば、森の草木だけでもよかったのだ。
静寂を、風の音だけが切り裂く。さわさわと、優しく草木を撫でながら。
人を愛し、また愛されるべき精霊の、その心根のように穏やかに。
ハルトの服を掴んだままそれを見ていたナオは、気付いたら開きっぱなしになっていた口を閉じるとそのまま弧を描いた。
片手を離し、空いた手で今度はケイの服の裾を引くと、ナオはそっと呟いた。




