3-18 収穫祭1日目②
「あ、ああそうだな。彼女は踊り手だから。いや、最初は心配したが、スピリストの身体能力というのはやはり凄いもんだ……」
「凄いかな? どのへんが?」
ハルトは弾かれたようにアオを見上げた。
遮るようにして飛んできた彼の高めの声に、アオはまた表情を堅くした。
「いや、豊穣の舞いは毎年踊り手たちが皆で懸命に練習して仕上げるものだから。複雑な動きだってあるし、チームワークが大事になる。それを三日経たずにあそこまで形にできるなんて、やっぱり」
「スピリストかどうかは関係ないよ。ナオは練習のとき、一度だって能力を発動してない。あれはあいつの努力の成果だ」
またしても遮られる。ハルトの声が明らかに鋭くなった。アオは今度こそ言葉に詰まる。
「スピリストは確かに身体能力が高いけど、それは魔力の副産物みたいなもんだから、能力を発動したときだけ筋力が強化されるってだけなんだ。発動すればそれだけ踊るのだって楽かもしれないけど、ナオはそれをしてない」
「なぜ……?」
「できないからだよ。発動したらより気配が強くなる。もしナオの魔力に反応しておかしなことが引き寄せられているなら、そんなのもってのほかだ」
アオは目を見開いた。
畳みかけるようにして、ハルトは彼の瞳を真っ直ぐに射抜く。
「――きっと今日は何も起きないよ。今日はナオ、祭りには来ないから」
「…………」
にぎやかな祭りの中で、彼らの周囲だけ音が消え去ったようだった。
アオは返す言葉を見つけられず、視線を斜め下に泳がせた。そこへ、ハルトの容赦ない声が続く。
「政府だってバカじゃない。この町の『妖精』のことだって、そんな昔からの伝統なんだ、ある程度は調べて把握しているはずだ。力が使えないなら普通の女の子と変わらないし、踊り手なんてさせる意味がない。オレなら今からでもやめるよう指示するよ。そうしないなら何か理由があるのかなって考えたんだ」
その通りだ。
アオは心の中でそう呟くと短い息を吐く。観念したように目を伏せると、今度は見上げてくるハルトと視線を絡ませた。
確証はないにせよ、現状を鑑みるとナオは祭りの中心から遠ざけるべきなのだ。ある意味酷い話だが、祭りが終わるまで端の方でひっそり標的になり続けてもらえば良いのである。ナオとて自分の身だけを守る方がよほど簡単だ。本人が怖がっているのは置いといて。
たとえ豊穣の舞いを六人で踊ることになったところで、わざわざ危険を犯してまでナオが加わるよりは成功する確率は高くなる。実際、ケイとハルトはすでに政府にその旨を申し出ていたのだが、棄却された。
「――アオさん、もう一度サキさんを説得してくれないか。ナオは踊り手から外すべきだ」
「いや、だめだ。それだけはできない」
アオは即答する。
一息に、これまでで最も迷いがない答えだった。
反対にハルトはこれまでで一番の渋面を作る。
「どうして? オレには納得できない」
「……おれはこの町の出身じゃないんだ。農業に憧れて越して来た。ここは本当に良いところだ。サキとはこの町で出会ったよ。おれの一目惚れだった。押しに押して結婚にこぎつけた自慢の妻だ、彼女の全てを受け入れ、愛したいと思っている」
「ん?」
質問の答えになっていないどころか、唐突に自分語りが始まった。さすがのハルトも眉をひそめる。
アオは顔を上げると、どこか空を見つめる。まるでまだ実らぬ恋に想いを馳せるようにして。
「サキは誰よりも、妖精に憧れているんだ」
絞り出すかのような声音だった。
ハルトは黙ったまま顔を上げると、アオと同じように空を見つめる。
空の澄んだ青と、深い木々が密集している緑の境界線が鮮やかな景色だ。
――妖精の森。
おそらく今神職者たちについてそこへ向かっているであろうケイを脳裏に思い浮かべる。
意識を凝らすが、特に怪しい気配は感じない。
この二日間、ケイとハルトはもちろん森の方にも調査に向かった。
その入り口付近に祠が奉られていただけで、特に不審な点はなかった。むしろどこか澄んだ風を纏っているかのように神聖な雰囲気を感じただけで、蝶には会わなかった。
中にも足を踏み入れたが、木々が揺れ、鳥や虫が歌う豊かな森だった。以前立ち寄った町の死にかけた森とは天と地の差だ。精霊の命が消えかけて、霊力が暴走しているわけではなさそうだ。下手に踏み込む理由はない。
もし何かあるとすればケイが先に対応するだろう。今、彼の魔力が感じ取れないのだから大丈夫なはずだ。
視界の隅でアオがため息をつく。ハルトがそちらを向くと、アオは得体の知れないものを見るように眉をひそめていた。
「あの蝶は一体どこから来るんだろう。やはりあの森で生まれたのか。あんな生き物かも分からないものを、この町の皆はなぜ疑問に思わないんだ」
「へぇ? アオさんはそんな風に思ってるんだ」
「当然だろう。蝶にこそ見えるが花と戯れるわけでも、蜜を吸うわけでも、花粉を運ぶわけでもない。サキは神聖視しているが、おれには正直恐ろしい」
「そういう考えだから、妖精を否定したいってこと?」
「そうじゃない。いや、そうかもしれないが、少なくともこの町のあり方を否定したいわけではない。ただおれは、サキの願いを叶えてやりたい」
「サキさん?」
ハルトは首を傾げる。その流れからどうしてサキにつながるのか。
当然の反応だろうと、アオは頷いてみせた。
「村人と緑の妖精。この話は史実を元にしていると言っていただろう。その村人のモデルになったのは、サキの先祖らしいんだ」
「へぇ……じゃあ」
「あの絵を見る彼女の目を見ただろう。子供の頃から繰り返し話を聞かされて、伝統は守るべきものだと教えられてきた。彼女自身、収穫祭を成功させることに、誰よりも拘っている」
サキを見ていればわかることだ。
ハルトもまた、アオを真っ直ぐ見上げ頷いてみせた。
そんなハルトに対し、アオは勢いよく頭を下げた。
「だから頼む! 彼女のために、祭りを成功させてやってほしい。そして……」
「…………!」
その先に続いたアオの言葉に、ハルトは目を見張ると、戸惑いながらも首肯した。




