3-15 赤の踊り子
「ナオ、入ってもいいか?」
「ケイ? いいよ!」
声の主はケイのようだった。既知の人物に、ナオは安堵して了承する。
すぐさま扉が開く。
ケイは眉根を寄せ、難しい顔をしながら部屋に足を踏み入れた。顔を上げた途端、彼は口をあんぐりと開けた。
ナオを凝視したまま、ケイは凍り付いたように動かなくなった。気まずさに耐えきれず、ナオはおずおずと切り出す。
「あの、どうかな……?」
「へ? あ、いや……!」
ケイは目に見えて狼狽えた。顔面を紅潮させるとなぜか後ずさり、両の手の平を見せながら左右に細かく振っている。
「そ、そんなに似合わないかな」
ナオはしょぼんと眉尻を下げた。ケイの反応は芳しくない。
そういうわけではない、と言おうとしたところで、舌がもつれて思うように言葉にならない。焦るケイの後ろから、太陽のような笑顔を浮かべたハルトが現れて快活に言う。
「わーナオめっちゃかわいいじゃん! やっぱりお前赤似合うねー!」
「ハルト、ありがとうっ」
ナオはほっと表情を緩めた。
ハルトに押しのけられる形で後ろに下がり、ケイがなぜか落ち込んだような顔をしているのを不思議に思いながら、ナオは少し頬を染めて衣装の裾をつまむ。
「へぇ、イメージ変わるなぁ。普段ももうちょっとだけ女の子らしい服着たっていいんじゃない? スカートも似合ってるよ」
「うん、でも任務とかあったら動き回るから」
「えー、ならたまにはさ。たぶんケイがめっちゃ喜ぶよ」
「え、でもケイは似合ってないって……」
ナオはまた寂しげな表情をする。すかさずケイのひっくり返った声が飛んできた。
「え、ちょ、言ってねぇ! だからっ……」
「う、ううん! 別にほんとのこと言ってくれていいよっ」
ケイは慌ててナオに詰め寄る。対してナオは後ずさった。突然必死の形相で近寄って来られても怖いだけである。
言葉に詰まっているケイにハルトが呆れた目を向けていると、突如としてケイの背後の扉が勢いよく開いた。
「ナオちゃーん! 衣装どうなったー!?」
「ぐえっ」
廊下を全速力で走ってきたサキが、土煙をあげそうな勢いで部屋へなだれ込んでくる。
小柄な女性に軽々と吹っ飛ばされたケイは、赤面を隠すようにして壁に激突した。
意識が回復してすぐ飛んできたらしいサキは、肩を弾ませながらナオの元へ駆け寄る。服や三つ編みは崩れているがお構いなしだ。ナオはまた顔をひきつらせる。
サキは疲労の色が残る顔を輝かせた。
「きゃーん思った通り! 似合う、似合うわ! かわいい!」
「あ、ありがとうございます……」
「ところで舞いの方はどう? ヒマリたちは大丈夫?」
「それは……」
ナオは顔を曇らせる。サキも「そう」と一言頷くと眉尻を下げた。
ヒマリというのは二日前、この屋敷に乱入してきた踊り手の少女のことだ。
採寸の後、早速ナオはヒマリら踊り手たちと顔を合わせ、練習に打ち込んできた。しかし案の定、ヒマリだけでなく他の少女たちもナオを快く思っておらず、風当たりは厳しいものだった。
質問しても教えてくれなかったり、失敗すると罵倒したり、わざとぶつかったり。
それが六人分、さらに全員が十代後半と年上なのだ。ナオはただ唇を噛みしめてひたすら練習を繰り返した。元々の身体能力は高く身軽なので動き自体は問題ないのだが、全て覚えるとなると大変だ。今まで生きてきて、ここまで真剣に踊ろうとしたことなどない。
さらに面倒なことに、ヒマリには「そこで側転してちょうだい」等と本来はないであろう無茶な動きを要求されたりもした。しかし、それをナオがこなしてしまったのだ。
ナオを追い込むつもりが、引っ込みがつかなくなってしまったヒマリがそれを組み込んだりと、全体の難易度が余計に上がってしまった。
本当は今も衣装合わせや化粧は半ばに、早く練習に戻りたい。必死で身体に覚え込ませてきたのだが、やはり時間が圧倒的に足りない。
本番は明日だ。不安はつのるばかりだった。
だが、サキもまた夜の目も寝ずに衣装を作り、仕上げてきてくれたのだ。収穫祭へ向ける彼女の想いの強さは本物だ。そう思うと、なかなか言い出せずにいた。
ナオは困った表情でサキを上目遣いに見る。サキはナオの全身を見るため、やや後ろに下がって向かい合う形になっていた。
サキは満足そうに頷いた。
「うん、いいわね。腰のリボンはもうちょっと短い方が動きやすいかしら。ああ、ずっと衣装合わせてて疲れたわよね。今お菓子と飲み物持ってくるから座っててくれる?」
サキはせわしなく踵を返すと、そのままぱたぱたと部屋を出ていく。片時もじっとしていない彼女に、助手のお姉さんたちが慣れた様子で続いていった。
ナオは衣装が皺にならないよう細心の注意を払いながら、ドレッサーの前の椅子に腰かける。ようやく体重を預けることができて、ナオはほっと息をついた。
「ナオ、大丈夫?」
ハルトの手が肩に乗せられる。弾かれたように顔を上げると、ハルトが優しげに覗き込んできている。
「うん、ありがと!」
ナオは頷く。疲労の色は濃いが、笑顔は明るい。
ケイがドレッサーの横の壁にもたれかかった。ナオをちらりと見やると、サキに吹っ飛ばされたせいでしたたかにぶつけた鼻を押さえながら鏡を覗き込んだ。先ほどとは別の意味で赤くなっていて地味に痛い。
ナオには逆に心配そうな顔をされてしまった。ケイは不貞腐れたように言った。
「……無理すんなよ」
「大丈夫、まだやれるよ。ところでケイ、ハルト、そっちはどう?」
「ああ、残念だけど特に大きな収穫はナシだよ」
答えたのはハルトだった。ズボンのポケットから携帯電話を取り出すと、手早くタッチパネルを操作する。
手渡された携帯電話を見ると、画面には美しい妖精の絵が表示されている。
「あの絵、写真撮ってたの?」
「うん。あと絵本もちょっと借りてね。支部に行って一応調査はお願いしてきたんだけど」
「妖精さん、やっぱり精霊なのかな」
「うーんどうだろね。もしかしたら何か分かるかもしれないし。今んとこ音沙汰ないけど」
「そっか……」
ナオは俯く。
ケイとハルトはこの町に滞在しつつ、異変が起きたところを中心に町中を奔走した。しかし、調査は行き詰っていた。




