3-12 それは精霊ではない
狂気を孕んでさえ見えるその顔に、ハルトは思わず唇を引き結ぶ。
「……それって、本当に妖精なのか?」
「どういうこと?」
静かに問いかけたのはケイだった。
不自然に静かな声音に不釣り合いなほど、サキは勢いよくケイを顧みる。その瞳孔は大きく開いていた。
「最近のことだってそうだ。その話を聞く限り、俺としては植物に関係する精霊じゃないかと思え……」
「精霊なんかじゃないわ! 妖精様よ!」
甲高い声が、窓を突き破らんばかりに響きわたる。
手の平をテーブルに叩きつけようとしたところで、サキははたと動きを止めた。ケイの方に乗り出そうとしていた身体をゆっくり戻すと、肩を強ばらせながらソファへ沈み込む。
「ごめんね、大きな声出して。でも違うわ、精霊が人間を助けるはずないじゃない。この町には妖精様の加護があるのよ」
「……そうか」
ケイは短く答えると目を伏せた。
妖精という存在を完全に否定することは、今のケイにはできない。
だが、話を聞いている限り、その妖精とは精霊であるとしか思えなかった。いや、定義が曖昧な存在だと考えるよりも、ケイの中で納得がいく、と言った方が正しい。
これまでの任務を通して出会ってきたのは、精霊や得体のしれない出来事を忌避している人ばかりだった。それがこの町の人、少なくともサキとアオにおいては危険を顧みず収穫祭を行うことに固執したり、おかしなことが起こっても、妖精という絶対的な存在のもと呑み込んでしまう。ケイたちにとってはむしろ困惑することばかりだ。
人の心は難しい。特に、長い年月をかけて積み上げて、塗り固めて、確立させてきたものを動かすことは、とても。必要がないのなら、わざわざ揺れ動かさなくても良い。
「さ、お茶が冷めちゃうわ。どうぞ召し上がれ」
サキはばつが悪そうに曖昧な笑みを浮かべると、紅茶を一口啜る。
困惑して反応が遅れたナオを促し、ハルトはカップを手に取る。
「いただきます。それでお姉さん、本題は?」
「ええ。実は……」
サキは神妙に頷くと、今度こそ話を進めるべく口を開く。
しかしその時、大きな音をたてて応接室の扉が開け放たれた。
「サキさん! どこ行ってたんですかっ」
「あら」
今度は何だと固まるケイたちをよそに、サキは素っ頓狂な声をあげた。
扉を押した姿勢のまま、手の平をこちらに向けて立っていたのは、一人の少女だった。
荒い足音をあげ、柔らかい絨毯を踏みしめながら部屋に乱入すると、少女はサキを睨みつけながら、テーブルに平手を勢いよく叩きつける。衝撃とともにティーセットが危なっかしい音をあげて踊った。慌ててカップを押さえたナオに、少女は鬼のような形相を向ける。
「ちょっとサキさん、まさかと思うけどこの子が赤だって言うんじゃないでしょうね?」
いかにも気の強そうな少女だ。彼女はナオの前にずいと乗り出す。
背が高く顔立ちは整っており、モデルのような華やかさのある女の子だ。見たところ十六~十八歳くらいだろう。少女は大げさに腰を折ってナオの顔をのぞき込んだ。
あまりの迫力に顔をひきつらせるナオを舐めるように見ると、少女はふんと鼻を鳴らした。
「何よ、子供じゃないの」
「そんなこと言われても……」
ナオはしょんぼりと眉を下げた。しかし、事実は事実である。
サキはそんな二人に向かってにこやかに言った。
「ええ、そのまさかよ。だって本番はもう明々後日だし」
息を吐くように自然に投下されたその台詞に、少女はわかりやすく顔色を変えてサキに詰め寄る。
「ちょっと本気ですかサキさん!? この子あれでしょ、スピリストっていうやつ! なんで部外者にそんなことを!」
「だってかわいいじゃない。衣装も似合いそうだし、私の目に狂いはないわよ」
「でも! もっと美人でスタイルいい子くらい探せば町にいるでしょ! こんなチビが私たちの中に入れると思ってるんですか!?」
「あら、小さいのがまたいいんじゃない。逆に目立ちそうだし」
「サキさんの好みが受けるとは思えませんけどっ!?」
「ふ、ふえぇええ……」
あまりかみ合っていない二人の討論が繰り広げられる。
なぜだか言われたい放題だった。
鋭利な刃物で次々と刺し抜かれるような感覚を覚えながら、ナオはがっくりとうなだれた。
ナオは昔から身長が低めで、同世代と比べても抜きんでて小さかった。これでも最近はかなり伸びた方なのだ。同い年の仲間たちを追い越したことは一度たりともなかったが。
「代役の選定は私に任せてくれるって約束でしょ。他に手はないし、収穫祭のためじゃないの……成功させたくないの?」
「うう……! そ、それは……」
小柄な身体をさらに小さく丸め、悲しそうに声を落とすサキに、少女は言葉に詰まる。
――彼女、大人っぽい見た目だけど、意外と丸め込むにはちょろいのかもしれない。
などと失礼なことを考えていたハルトの目の前で、よくわからないやりとりは続く。
「と、とにかく、私は反対よ! だいたい三日で踊りこなせると思えないわ、六人でやった方がマシってものよ。バ、バカじゃないのっ!」
少女はもはや金切り声に近い捨て台詞を残して踵を返す。そのまま大股で部屋から出ると一度振り返り、まさに鬼のようにつり上がった目でナオを思い切り睨みつけると、勢いよく扉を閉めた。
まるで雷雨を伴った台風が過ぎ去ったかのような静寂が訪れる。ケイたち三人は一様にして目を点にし、固まっていた。
めちゃくちゃな言われようだったが、訳が分からなさすぎて、怒りの感情にたどり着かない。
「な、なんだってんだ……?」
「あらまぁ、困ったわねぇ」
ケイが口元をひくつかせていると、サキは暢気に頬に手を当てて言った。
おおよそ不釣り合いなその口調にようやく我に返ると、ケイは半目をサキに向けた。
「話が見えないんだが……」
「あら?」
サキは数回大げさにまばたきを繰り返すと、にっこりと笑う。
ハルトとナオも追って視線を集める。ナオは困惑を隠せない表情のままだったが、ハルトは何かを悟ったようで、ぴくりと片眉を跳ね上げた。
サキは小首を傾げてみせた。まるで何かをねだるかのように。




