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3-11 村人と緑の妖精(☆)


「あの絵ね。綺麗でしょう?」


 自慢げに言いながら、サキは飲みかけていた紅茶を置いて立ち上がる。

 部屋の奥の壁には、巨大な絵がかけられていた。天井が高く、広々とした室内の中でも、壁全体を覆い尽くさんばかりの大きさだ。部屋に入った途端、否が応でも目に飛び込んでくる。

 柔らかい絨毯を踏みしめながら、サキは絵に歩み寄る。

 緑が映える鮮やかな色使いは、ケイたちでなくても多くの客人の目を奪ってきたことだろう。サキは滑らかに話し始める。


挿絵(By みてみん)


「これはね、この町の守り神の肖像画よ。緑の妖精、と呼ばれているわ」

「妖精……」


 絵を凝視したまま、ナオは小さな声で呟く。

 鮮やかな緑色の瞳をもつ若い女性が描かれている。その慈悲に満ちた眼差しに吸い込まれそうになるが、ケイたちが目を奪われた理由はそこではなかった。

 女性の背後から、大きな蝶の翅が描かれている。白に近い淡い色の翅は独特の色合いをしており、そのまわりに同じ翅を持つ蝶が飛んでいる。この町に来てから何度も見かけたあの蝶とそっくりだった。


「あの、蝶……」


 ぽつりと言うと、ケイはようやくサキに目を向ける。サキは得意げに頷いてみせた。


「ええ、さっき見たっていう子に似てるでしょう? 妖精様の使いと言われているから、見かけたらラッキーなのよ。この町の礼拝堂では一般的に信仰されている光の神とともに、豊穣の女神として祀られているの」

「聞いたことないな……」

「そうかもね、この町の昔話に伝わる神様だから、他の町とは」


 わかりあえないかもね。


 それだけ声音を落とすと、サキは口元から笑みを消し、背を向ける。


「――どっかで見たことがあるね、こういうの」


 サキに聞こえないくらいの小さな声で、ハルトがひとりごちた。

 その言葉に、ナオもまた切なげに俯いた。

 穏やかでいて大きな壁のような、サキの小さな背中を見ないようにして。


「そうか。だからさっきこの町は妖精が守ってる、って言ってたのか」

「ええ」


 ケイの声に、サキは絵の下に置かれた棚を開けながら答える。

 振り向くと、彼女の手には一冊の本が握りしめられていた。


「これよ。読んでみる?」


 優しく微笑みながら、サキはケイに歩み寄る。彼を促し、全員でテーブルにつくと、サキは横に並んだ三人の目の前に本を差し出した。


「村人と緑の妖精……」


 繊細な飾り文字で描かれたタイトルを、ケイが棒読みする。

 なんとも安直なタイトルだ、と思ったが、とても美しい絵本だった。

 緑色をメインに、彩度の高い色が散りばめられている。滲みを多用した画法はどこか儚げな雰囲気を持つが、繊細な筆遣いが、魅せたいものをより鮮やかに描いている。絵にあまり関心がない三人が見ても、思わず感嘆の声を漏らしてしまうほどだった。

 サキは恭しく絵本の表紙をめくると、鈴が鳴るように透き通った声で音読を始めた。


 むかしむかし、あるところに、ひとりの村人がすんでいました。

 村人は畑をたがやし、作物をそだて、まいにちいっしょうけんめいはたらいています。


 ある日、村人は森にかりをしにでかけました。

 うんよくえものをしとめ、いえにかえろうとしましたが、たいへん。道がわからなくなってしまったのです。

 そのうえ、天気はまたたくまにわるくなり、村人はこまってしまいます。

 おおきな木のしたで雨にふるえながら雨やどりをしていると、そのとき。

 こうごうしい光があふれ、うつくしい蝶のはねをもつ、ようせいがあらわれたのです。

 ようせいはあるほうこうをゆびさしていいました。


「あとすこしまてば、雨はよわくなります。あちらへはしりなさい。そうすれば、森をぬけられるでしょう」


 村人がようせいのうつくしさにみとれていると、ほんとうに雨はよわまりました。

 ようせいのいうとおり、村人ははしります。すると、森をぬけることができました。

 村人はたいへんかんしゃしました。


「わたしがいきているのは、森のようせいのおかげだ」


 村人はもりのいりぐちに、じぶんがそだてた作物をすこし、おれいにおきました。

 するとそれまでいじょうに、村人がそだてる作物はたくさん実るようになったのです。

 村人はまた、かんしゃのそなえものをしに森へいきます。また、あのうつくしいようせいにあいたいと、そう思いながら。


 あるとし、村人がすむ村は光にめぐまれず、作物がふそくし、ひどくうえました。

 よわいものからつぎつぎとしんでいき、村はかなしみにつつまれます。

 このままでは、みんなしんでしまう。

 明るい夜の日、村人はわずかにとれた作物をもって、森へでかけました。


「森のようせいさま、どうか村をたすけてください」


 村人がいのりをささげると、とつぜんそらがまぶしく光りかがやき、いつかのようせいがあらわれたのです。

 ようせいがせなかのはねをはばたかせると、村はあわいみどりの光につつまれ、しおれた作物はみるみるおおきくなり、りっぱに実りました。

 村はすくわれたのです。

 村人はいいました。


「この村は、みどりのようせいにすくわれたのだ」


 それから村はまいとしおなじ明るい夜の日に、かんしゃのきもちをささげるようになったのです。

 みどりのようせいにまもられ、村はゆたかになりました。めでたしめでたし。




「この話は、実際にこの町であったことをもとに作られたって言われているのよ」


 短いため息をひとつ落とすと、サキは相槌も待たずに話し続けた。


「まぁ、史実はもっと悲惨だったんだけど。この辺りはずっと昔から農業が盛んでね。ある年、記録的な不作に見舞われ、さらに不幸なことに村が火事によって焼け野原になってしまったそうなの。村が滅びそうになったとき、一人の村人が残った僅かな作物を全て空へと捧げ、祈った。この村を助けてくださいと」


 ケイたちは三人とも、じっとサキを見つめて耳を傾けている。


「その時、綺麗な蝶の翅を持つ妖精が現れた。妖精がその腕を掲げると、焼けた大地は瞬く間に緑を取り戻し、人々は飢えから救われた。村人は妖精を探し続けたけど、二度と会うことは叶わなかったそう。彼によってこの話はよって語り継がれ、いつしか緑の妖精と呼ばれるようになった」


 サキは本を閉じると、背後を仰ぎ見た。

 大きな絵の中で微笑む緑の妖精。サキは小さな拳に力を込めた。


「そして村人が緑の妖精と会ったのは、明るい夜の日。つまり満月の夜だったと言われているの。そしてこの収穫の時期の満月は、三日後」


 そこまで聞いて、ようやく合点がいった。ハルトは頷く。


「そうか、延期はできないってそういうことなんだね」

「ええ。収穫祭はね、村人がしたように収穫した作物を妖精様に捧げて、感謝するためのものなのよ」


 ハルトの言葉に、サキは恍惚とした笑顔を見せた。




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