3-9 だからだいじょうぶ
「精霊というのは、ってどういう意味?」
ハルトの澄んだ声が響いて、ケイはアオとともに振り向いた。
黒目がちなハルトの目が鋭くきらめいて見える。それに答えたのは、やっと我に返ったらしいサキの方だった。
「ごめんなさいね話を中断させて。さ、行きましょうかっ」
「だ、だからどこに? っていうかなんか論点ずれてない?」
思い切り身を乗り出すサキに、ハルトは苦笑いを浮かべた。
妙に鼻息が荒いサキの背後から、先ほどまで彼女に巻き付いていたものらしい蔦がひょっこりと現れる。ナオがまた目が飛び出さんばかりに驚いていたが、サキは全く怖がるようなそぶりは見せない。それどころか嬉しそうに頬を染めて蔦を見やった。
「あ、あのぅ……サキさん、それ怖くないんですか……?」
たまりかねたナオがおずおずと口を開く。左手が固く握りしめられているあたり、許可さえあればすぐにでも蔦を燃やしたいのだろう。
ナオが心底訝しげな顔をしているのを心外だと言わんばかりに、サキは三つ編みを振り回しながら首を振った。
「私たちは理由もなく草木を傷つけたりしみゃいわ」
「みゃ?」
サキはまたしてもきっぱりと言い切った。その間にも蔦はうねうねと動き、時に彼女の頭をはたいているがお構いなしだ。終いには頬までつつかれていたせいで、語尾がおかしなことになっていた。
「『アベリア』は昔から自然とともにある町だ。だからこれまでどれほど変なことが起きても、無闇に刈り取ったりはしてこなかったんだ」
隣で忙しなく動く妻を手で制すると、今度はアオの方が口を開く。
「そ、そうなんですか……でも、いざという時は私……」
勢いに押されつつ、ナオは眉尻を下げて口ごもる。
足元で小さな火がちらつく。ナオは慌てて魔力を制御すると火をおさめた。
スピリストの力は基本的に破壊の力だ。特殊な能力を持つものは探せばいるかもしれないが、少なくとも三人は攻撃能力しか持っていない。
ケイは低い声で唸ると腕を組む。
「俺たちこの任務向いてなくねぇか? 植物系の能力とかならまだしも氷と火と剣だぜ、どうしろってんだ……」
「まー冷害もたらすか焼き畑農業か草刈りしかできないよねぇ」
ケイが落とした呟きに棒読みを返すハルトも、やや遠い目をしていた。
ハルトはため息を落とす。
できるならば明後日の収穫祭までに事の真相を突き止め、解決をしてしまいたい。原因が分からないまま護衛に徹するのは避けたいところだ。
きゅっと唇を引き結んで顔を上げると、彼の金髪が風もないのに僅かに踊る。
「……」
特に何かの気配は感じない。
ハルトは注意深く辺りを探っていく。だが、いくら能力の発動を強めても結果は同じだった。
ぐるりと辺りを見渡し、再び視線を戻したところで、ハルトは目を剥いた。
「ちょ、ちょっとお姉さん何してんの!?」
何を思ったのか、サキがうずくまりながら、大人しくなった蔦を土ごと掘り起こして持ち上げようとしている。
「え、だって後でお水をあげるって約束したし、ここじゃ誰かに踏まれちゃうでしょ」
「ちょ、おい!」
血相を変えて制止しようとするケイをよそに、サキは手で豪快に土をかいている。綺麗な緑のマニキュアが施された手が泥だらけだ。
「鉢に移してあげないと。んー、根っこが深いわね……」
「だだだめですよ! 危ないですって!」
サキは根を傷つけないように周りの土を削っていく。真剣に根を探る彼女を引き離そうと、ナオは慌てて手を伸ばした。そのときだった。
「あら?」
サキの手に触れていた根や蔦が、一度不自然に震える。
直後、蔦の先端が再び大きくしなった。
「サキさん!」
ナオは甲高い声とともに、サキを突き飛ばした。最も蔦の近くにいたサキを庇うために、反射的に身体が動いたのだ。
サキが地面を転がる。追って飛び込んだナオが勢いのまま一回転して体勢を整えようとしたところに、鞭が唸ったかのような音が追いつく。
急激に伸びた蔦がありえない速さで飛んでくる。ナオが目を見開いて手を突き出したのを蛇のようにすり抜けると、彼女の首に絡みついた。
「――あぅ……っ!」
か細い声が喉から漏れる。苦痛に顔を歪めながら首元に手をやるが、蔦が細くて掴めない。
「ナオ!?」
ケイとハルトの声が重なる。一瞬躊躇した後、ケイは能力を発動すると、冷気で青白く輝く手をナオに向かって伸ばした。
「こんの、やろう!」
ケイよりわずかに早く、ハルトが甲高い声をあげながら剣を一閃すると、蔦は根本から切り離される。
張りつめられていた蔦が大きく弧を描く。ナオはバランスを崩しながらも、わずかに蔦が緩んだ隙を見逃さず、炎をあげた。
植物が焼けた生々しい臭いとともに、粉々になった蔦が舞う。
ようやく酸素にありつけた。ナオは喉を押さえながら肩を弾ませる。
「げほっ、けほ……ほげ……」
「ナオ、大丈夫か!?」
安堵しつつも、ケイはくずおれそうになったナオの肩を支える。ナオは黙って小さく頷いた。
彼女の首には、細いものが食い込んだ跡が痛々しく刻まれていた。
「……今の、普通の人間なら首の骨折られててもおかしくなかったと思うけど。お姉さん」
ハルトは目を眇めて、低い声をあげる。
明るい色の瞳に真っ直ぐに射抜かれ、サキはびくりと肩を踊らせる。
さすがの彼女も青い顔をしながら、隣で佇む夫と顔を見合わせる。
サキは恐怖と申し訳なさそうな気持ちを入り混ぜたような顔でナオを見るが、すぐにハルトへと視線を戻した。
「……今まではこんなことなかったわ。あなたたちがスピリストだからよ。そう、きっとそう。人にはない力があるんだから、驚かれただけなのよ」
「驚く? なにが?」
ハルトの声音が鋭さを増す。サキはわずかに目を伏せると視線を泳がせる。
胸の前でぎゅっと拳を握ると、サキは顎を持ち上げる。
不安と恐怖の色を溶かした瞳を揺らしながら、それでも彼女ははっきりとした口調で言う。
「大丈夫よ。だってこの町は、妖精様に守られているんだから」
まるで、自分自身に言い聞かせるようにして。




