3-4 半透明の蝶
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駅を後にすると、三人並んで歩きながら辺りを見渡す。
想像していたよりも少し体感温度が低く感じる。
水面が多い。
用水路や水田、畑が広く分布するこの町はまさに、若草を思わせる緑色だった。
高い気温によって蒸散する水が、辺りの熱を奪っているのだろうか。湿気は多いようだが、植物の呼吸が近くに感じられる。
事前に調べていた情報によると、この町は農業が盛んなようだ。見る限り、田畑の占める割合はかなりのものだった。
大きな河川という水源があり、降雨量と日照のバランスが適度で、様々な作物が育ちやすいのだ。気温は年間通してほぼ一定なので、連作が可能な作物であるならば、栽培の時期を選ばないこともまた強みである。特に今は収穫期に重なっているらしく、どの畑もたくさんの実りをあげていた。
風に乗って漂う草の香りが鼻孔を擽ると、どこか心が安らいだ。田舎育ちなので都会には憧れるものの、やはりのどかな光景は懐かしさを覚えていいものである。
ところが、今この町は不思議なことが頻繁に起こっており、住人たちを悩ませているという。
「植物が異常に育つ町、かぁ」
首をこてんと倒しながら、ナオはメールを上がり調子の口調で読み上げる。
ケイと一緒に、携帯電話を左手に持っているハルトの両隣から覗き込む。画面から展開され小さなスクリーンに投影されたそのメールの内容は、何度読んでも同じだった。
曰く、蒔いたばかりの種が、翌日に見るともう畑いっぱいに葉を広げていた。
刈り取ったはずの稲が、翌日また金色に輝く穂をつけていた。
何もなかったはずの更地に、一晩で青々と草花が生い茂っていた。
それだけならまだしも、今度は木造の建物から次々と芽が出てきた。
これらの出来事が六日ほど前に起き、徐々に頻発し始めたのだ。
最初はやれ奇跡だやれ天の恵みだと言っていたもののすぐに気味が悪くなり、町は混乱の最中にあるらしい。
特にここ数日はひどいものらしく、畑に出て帰って来たら家が蔦にすっぽりと覆われていた……といった仰天もののエピソードもあり、政府への申請に至ったという。
「うーん、前よりは明らかに精霊絡みの任務みたいだねぇ」
「だな。で、これはまだ調査段階の任務か」
携帯電話の画面をなぞり、スクリーンをスライドさせて全文を確認しながらハルトは頷く。
自然界にあるものが、異様に増えたり消えたりする。
そういった異変を調査するというのは、精霊が関わる任務の定石とも言えるほど一般的だった。実際、池の水が急に溢れたり干上がったりといったものは水の精霊同士が喧嘩していた影響だったりするし、山道に大岩が現れたりするのは地の精霊のいたずらだったりするし、不審な人魂の原因は単に火の精霊が散歩していただけだったりと、実は大したことがない案件も多々ある。
とはいえ、万が一の時戦う力を持たない一般人には精霊と関わることは憚られるので、些細なことでもすぐに政府に申請を行う。そのため、この手の任務は数が多いのだ。
「普通に考えると、植物に関わる精霊がいるってことだよな」
ケイの言葉に、ハルトとナオは同時に頷いてみせる。
「ランくんが来たときは何もなかったって言ってたね。その間に何かあったのかも町で聞かなきゃだね」
「う」
ナオの口からランの名前が出た瞬間、ケイはまた分かり易く口を尖らせた。
「あいつはもういいだろ、忘れろ」
「もーぅケイ、どうしてそんなこと言うの。キミ、昨日からずっと変だよ?」
ナオは眉をつり上げる。ケイはばつが悪そうに目を逸らした。
「なんでもねぇよ」
「なんでもあるけどほっといたげて」
「うっせぇハルト黙ってろ!」
すかさず突っ込みを飛ばしてきたハルトを睨むと、ケイは顔をしかめた。
なんでもあるのにほっとくの? などと言いながらナオがきょとんとしているのを後目に、ケイは口の中でひたすら「忘れよう忘れよう……」と繰り返していた。見るからに不気味なその姿に、今度はこっそり顔を引き攣らせたナオである。
「あ」
ふと、道端に咲いていた小さな雑草がつけた黄色い花に、淡い色の蝶が一匹止まっているのが目に入る。翅はほとんど白に近いが、よく見ると鱗粉が太陽の光を細かく反射して、複雑な色に輝いていた。
見たことがない蝶だった。羽化したばかりなのだろうか。こんなのどかな町にはほかにもたくさん昆虫がいることだろう。もっと知らない生き物に会うことだってあるはずだ。
「えへへ、綺麗な子だなぁ」
「ん? どしたの?」
無意識のうちに立ち止まり、口元を綻ばせて呟いたナオに、ハルトが携帯電話を持ったまま不思議そうに振り返った。
遅れて振り返ったケイも蝶を見つけると、ハルトと同じく物珍しそうに目を丸くする。
蝶はまるで三人の視線に気づいたかのようにひらりと舞い上がると、彼らの頭上を旋回した。
淡い色の蝶は空に溶けてしまいそうに儚く見えたが、それ以上に優雅だった。白いレースを翻しているかのようなダンスをじっと見つめていると、ナオの頭の辺りまで高度を下げ、今にも髪に止まりそうなほど近づいてくる。思わず手を伸ばしかけたナオをすり抜けて、蝶は気まぐれに飛び去って行った。




