3-3 いつかまたどこかで
「――間もなく停車致します。お降りのお客様はどうぞお忘れ物のないようお気をつけください」
続けて列車内に明るい女性の声のアナウンスが響く。次の駅がもう間近に迫っていると知った乗客たちは、銘々に荷物を纏めて降車の準備を始める。車内がざわめき出すところをみると、次の駅はそれなりに乗客の出入りが激しい駅なのだろうか。
「ああ、俺は次で降りないと」
ランもそのなかの一人だった。名残惜しそうに肩を落としつつも、忘れ物がないよう手早く荷物を確認している。
「そっか。気をつけてね、ランくん」
「ああ、ありがとうナオちゃん」
ランはひときわ爽やかに笑う。少し女性的で端正な顔立ちがふわりと綻ぶと、まるで彼の周囲に美しい花が咲き乱れるようだった。
だが、ナオはそんな彼に対して、困った顔を傾けてみせた。
「……あの、私は降りないよ?」
「ん? そうだっけ?」
気にした様子もなく、ランは席を立つ。
ただ、その手はしっかりとナオの手を握り、離そうとしなかった。
ナオの口から乾いた笑いが漏れたところで、代わりと言わんばかりにケイが立ち上がる。
不気味な無表情を貼り付けたまま、ケイは手刀を勢いよく振り下ろす。ランとナオの繋がれていた手をすっぱりと断ち切った。
「何すんだよ」
「いいからさっさと行けよお前。乗り過ごすぞ」
「あ?」
そのまままたしても、ケイとランは睨み合う。
ハルトは胡乱げに眉根を寄せると頬杖をつく。
いい加減飽きてきた。先ほどからずっと客席中の注目を集めていることにそろそろ気づくべきである。
「はいはーい、他のお客さんの迷惑だよ。もういっそお前ら二人で降りたら?」
「誰がこいつと! ……う」
ケイとランの声が綺麗に重なる。お互いが本日一番のしかめっ面を見合わせると、さらに眉間の皺を深く刻む。
しかしハルトの声音は、言外にその何万倍も何かを含んでいた。
「ん? ごめん聞こえなかった。こいつと? なに?」
「……」
ハルトの明らかに物言いたげな顔を見て、ようやく二人は口を噤んだ。
窓の外の景色が、徐々に穏やかに流れ始める。列車がスピードを緩めたのだ。慣性の法則に従って足下がぐらついたところで、ランはそれに気づく。さすがにもうのんびり言い争いをしている時間はなかった。
青が基調のランの服に馴染む、落ち着いた藍色の鞄を手に取り肩にかける。同じく濃い青色の携帯電話を握りしめて時刻を確認すると、朝の十時を少し過ぎたところだった。
こんなにも時間が早く感じるのは久しぶりだ。ランは内心皮肉めいた笑みを浮かべながら、ようやくケイたちに背を向けた。
「……なぁお前、何でスピリストになったんだ?」
「ああ?」
座席に戻ろうとしていたケイが、投げかけられたランの声にまた振り返る。
前に出そうとした足を止めると、ランは背を向けたまま立ち尽くしている。一呼吸分の間の後、わずかに肩を振るわせると、彼はまた抑揚のない低い声をあげた。
「はは。いや悪い、言わなくてもいいさ。ただ、今まで同い年なんて会ったことなかったから、珍しかっただけ……」
「――仲間に会うためだ」
遮るようにして、ケイは答えた。ランは今度こそ勢いよく振り向く。
やや露出が多めの青と黒の服の隙間をすり抜けた、大きなピンク色の鉱石のようなペンダントが大きく舞った。
これまでのくだらないやりとりからは想像もできないような、凛とした声音だった。
「仲間に会って、取り戻すため。それだけだ」
ランは静かに瞠目する。
迷いなく言い切ったケイや、黙ったままランを見つめていたナオやハルトの瞳を見て、何かを言おうとして開けた口を閉じた。
列車がさらに減速する。
ランは淡い笑みを浮かべると、携帯電話を握る手に力を込めた。
「……全ては叶えたい願いのために、か」
「願い?」
「俺がスピリストになると決めた時、言われたことだよ。なんでわざわざこの道に進むのかってな。でも誰に何を言われようと、俺も強くならなきゃならないから」
だから、きっと同じだと。
そう心の中で呟く。恐らくケイたちも今、そう思ったことだろう。だからもう、それ以上の言葉はいらない。
「ま、お前らもせいぜい頑張れよ」
「……おう」
言うと、ランは肩を竦める。ケイは席に戻ると、小さく頷いた。
甲高いブレーキ音をあげて、列車が停車する。
駅への到着を告げる明るいアナウンスを受けて、ランはナオに向かって花のように笑うと左手を差し出した。
「それじゃあねナオちゃん。名残惜しいけど元気でね」
「うん、ありがとう!」
促されるまま、左手で握手を交わす。ランの手は繊細な外見に似合わず、大きくて暖かかった。
ナオはお返しと言わんばかりに、屈託のない笑顔を咲かせる。
そんな彼女に、ランは一瞬目を瞬かせる。握手をしたままの手を少し自分の方に引き寄せると、おもむろに空いている方の手でナオの左横の髪に指を絡めた。
「ふえ?」
ランはさらりと柔らかく髪を梳く。すでにさんざん触られ続けた後だからか慣れてきたナオが左上に目をやると、すでにランの顔がすぐ近くにあった。
あまりの至近距離に、ナオが驚くよりも早く。
ちゅ、と。
わざとらしいリップ音が車内に響いた。
ナオの左横の髪に着けられたヘアゴムの赤い飾りに、ランが口づけたのだ。
「……ぴ、ぴゃあっ!?」
ナオのひっくり返った声に、ランは少しだけ唇を離す。しかしすぐに下へと滑るようにして、今度はヘアゴムで結われた毛束に口づけを落とした。
再び響き渡る、短いリップ音。
周囲にいた他の乗客たちはしんと静まりかえり、あんぐりと口を開けて彼らに視線を集めた。
あまりに予想外のことに、ナオは肩をいからせただけで動くことができなかった。
「~~~~~っ!?」
ケイはというと、あまりの光景にもはや言葉にならない声をあげて口をぱくぱくと動かす。
何か言いたくても言葉にならず、顔を紅潮させるだけだった。そんな彼を、ランはにやりと笑いながら見下す。
「お、おおぅ。さすがだねーラン……」
さすがのハルトも口をぽかんと開けながら呟く。ランの言動や行動はハルトの想像の上をいくものがあり、非常に考えさせられるのだ。今後目当ての女性が現れたなら、口説くにあたり彼の手腕を見習わなければならない日が来るかもしれない。
癖のない黒髪が、光の粉を纏っているかのように優雅に揺れる。ランはとびきり爽やかにウィンクを飛ばすと、ようやく扉に向けて歩を進めた。
「じゃあまたねナオちゃん。寂しくなったらいつでも俺のところにおいで」
ランは片手をひらつかせる。その仕草さえ様になっているのだから、ハルトはもはや苦笑を浮かべるしかなかった。
軽やかに立ち去っていくランの後姿に、ケイは分かり易く激昂して声を荒げた。
「二度と会うことはねぇよ! このやろう!」
列車内に響きわたる怒声に、この日一番の好奇の目を集めてしまったことは言うまでもない。




