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3-2 きみがうらやましい


「……水か、そうだね」


 ナオの左手首に視線を戻すと、ランはふと、切なげに目を細める。


「俺はさ、本当はきみの力が羨ましいんだ。俺は『火』の能力が欲しかった」

「ふぇ?」


 自身の手の上に、手の平を合わせる形でナオの左手をそっと乗せる。

 細い手首に貼り付いた石を視界の中心に据えながら、逆の手でナオの手の甲に柔らかく触れる。ナオは擽ったさに頬をわずかに痙攣させた。

 この繊手(せんしゅ)が、あの赤く、紅い苛烈な炎を意のままに操っていた。

 今でも思う。この本来人が決して持ち得ない力は、どこか不安定で、どこか夢のようで。鏡に映る自分も、目に映る相手も本当に能力者であるのか、にわかに信じられないときがある。

 スピリストの力は、いつまで経っても、まるで他人事のようで不思議だ。


「『火』の力、初めて目の当たりにして驚いたよ。あの一瞬であんなにも火力が出せるものかって。たぶん純粋な力勝負をしてぶつかれば、俺はきみには敵わないだろう」

「ええ! そんなことないよ!」


 ナオは思わずランの手をふりほどく。両手をめいっぱい広げると、大げさに振ってみせた。

 全力で否定にかかるナオに、苦笑いのランはおろか、ケイやハルトも半目を浮かべて顔を見合わせた。

 実際はそんなことあるのである。ナオは完全に攻撃特化型であり、膨大な魔力を消費する代わりにとてつもない威力の炎を放つことができる。いかにランが『水』であり、優秀な魔力を持っているとしても、一撃の威力だけで言えば競り負けるのは明らかだった。それはランよりさらに攻撃力が劣るケイや、己の身体能力に大きく左右されるハルトの『剣』の能力にとっても同じことが言える。

 ナオの強みであり、弱みである。だからこそケイやハルトは、彼女に前線を任せるのを躊躇することが多いのだ。

 もし使いどころを間違ったなら、一気に窮地に追い込まれる。強さと、危うさを併せ持った力だからだ。

 普段誉められ慣れていないナオはわずかに顔を紅潮させる。しかしすぐに何かに気づいたかのように動きを止めると、口を真一文字に引き結んで俯いた。


「……でも、それなら昨日の事務員さんは、私の火なんて簡単に消しちゃったよね」


 ナオは弱い声音を落とした。

 彼女の言葉に、昨日の任務がまた脳裏に再生される。

 ランは眉間に皺を寄せると、静かに首を振った。


「……俺は、あれは例外だと思う」

「例外?」

「強すぎるんだ。それこそ、きみの力を打ち消すほどの魔力を使っても、あの人は余裕だっただろ。それに」


 ランは一度言葉を切る。ナオの不安定に揺れる瞳に移った彼は、まっすぐに視線を絡ませた。


「スピリストでありながら任務の指示にまで手を回すことができる人間なんてそう多くないはずだよ。政府にとって、それなりに高い地位にいるんじゃないか」

「オレも同感。『雷』はもともとものすごく強いって聞くし。あの女、今のオレらなんか比べものにならないほどの能力者だと思うんだけど」


 話に入ってきたのはハルトだった。

 ハルトはこぼさずに守りきったコーヒーを飲み終えると、紙のコップをぐしゃりと握りしめる。彼の子猫のような目が鋭く輝いた。


「……でも」

「あの女のことは忘れろ、ナオ。昨日も言ったけど、オレらにはもう関係ないよ」

「違うよ。ただ私だって、もっと強くなりたいんだもん」


 ナオはむっと唇を尖らせる。

 良く通る高い声を抑えて、ナオはまた俯いた。

 その静かな声音にランは苦笑を浮かべながら、彼女をそっと見やった。


「だいじょうぶ、俺がきみを……」


 しかし彼女の曇った横顔を見ると、ランは伸ばしかけた手を止める。

 藍色がかった長い睫毛が、青い瞳の上に影を落とす。

 ランはゆっくりと拳を握ると、右隣に乗り出そうとした身体とともに座席へと戻した。


「きみは強いよ、ナオちゃん」


 穏やかな声音は、甘美な余韻を含ませて染み渡る。

 そんなことない、と出かかった言葉を、ナオは喉の奥で呑み込んだ。

 それは、言うべきではない。

 まるで穏やかな海のように、静かで、包み込むようなランの言葉に、そう思わされたからだ。


「……ありがと」


 だからナオもまた、唇に綺麗な弧を描くと、静かにそう返す。

 普段の落ち着きのない行動と甲高い奇声の数々からは想像できない彼女の声音に、ケイとハルトは揃って目をぱちくりと瞬かせた。


「うにゅ? どしたの二人とも」

「あ、戻っちゃった」

「ふえ?」


 妙な好奇を含ませた視線を受け、ナオは訝しげな表情を向ける。

 少し居心地が悪くて、ナオはぱっと顔を上げてまた高い声を張り上げた。


「で、でもランくん、あんなにも水を上手く操れるんだもん! やっぱりすごいよ! 私すぐに疲れちゃうし、そういうのはまだ少し難しくて」


 気恥ずかしさからか、だんだん声が大きくなっている。ただでさえよく通るその声に、乗客が何事かと振り返るのも当然である。結果としてさらに視線を呼んでしまったことに、ナオは気づいていない。

 ランは一度客席に目をやると、すぐにナオに向き直る。そして反対に少し声を落として言った。


「そうかな?」

「そうだよ! だからね」

「そっか。じゃあさ、俺が色々きみに教えてあげる。二人きりで色んなことを知っていこう」

「へ?」

「おいこら待て。この野郎」


 それまで黙って拗ねていただけのケイがついに乱入した。

 ランの斜め前からずいと身を乗り出すと、明らかな敵意を込めた低い声をあげる。座席に座ったままではあるものの、今にも立ち上がらんばかりの勢いだ。

 目を瞬かせるナオの横で、ランは心底邪険な目を彼に向けた。


「あ? 何がだよ」

「てめぇ何勝手なこと言ってんだよ。単独行動(ソロ)のくせに」

「それがどーした。スカウトは自由だろ」


 睨み合う二人の間に電流が走っているかのようだった。

 一触即発の二人を見て狼狽するナオをよそに、ハルトはやれやれと肩をすくめる。昨日の今日だ、当分の間稲妻など見るのはできればごめん被りたいのだが。しかしこのやりとり自体は面白そうでもあるので、あえて何か突っ込むつもりもない。

 ナオが膝の上に置いたままにしていた携帯電話を、彼女から手渡してもらう。手早くタッチパネルをいじり始めたハルトを気にすることなく、ランとケイは言い争いを続けていた。


「ていうか、お前結局ナオちゃんの何なわけ? 俺が彼女に何言おうが俺の勝手だろ」


 ランの鋭い声音に、ケイの動きが一瞬止まる。


「……同じ町出身の幼なじみだよ」

「そうか、じゃ問題ないな。ねぇナオちゃん、やっぱ俺と一緒に来ない? 俺といた方が楽しいよ」

「黙れこの野郎」


 ケイが危うくつかみかかりそうな勢いで、額に青筋を立てる。

 そのとき、タイミングを計ったかのように列車のスピーカーから軽やかな音楽が流れた。



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