3-1 ナオの隣
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白みかかっていた空は、藍色の夜を越えるとまた燃えて、青く鮮やかに彩られる。
慌てて列車に飛び乗った時は視界にたくさん広がっていた風車も、今はもうすでにない。
海の近くの風の町を後にしたケイたちを乗せる列車は、どんどん内陸の方へと滑っていく。
ケイはもう何時間もずっと、ぼんやりと窓の外を眺めていた。
もっとも、昨日のナオのようにいちいちはしゃいだり喜んだりするわけでもなく、ただ流れる景色を目に映しているだけだ。
ケイの脳裏には、つい昨日の任務が何度も描かれていた。
頬を掠めた水流も、大地を揺るがした激動も、飛び散った土の匂いも、薄暗い中迸る電流も、全てが、色鮮やかに。
――次の任務を命じます。詳細は追って指示します。
あの事務員の女性の言った通り、『ヤナギ』の町の駅から列車に飛び乗ると同時に、ケイたちとラン、 それぞれの携帯電話にメールが届いた。それぞれに別の任務を命じる、いつもの形式的で機械的な内容だった。
ただ利用され振り回されただけの任務に辟易とする間もなく、彼らは町を追い出された形だった。仕方なく向かい合った四人掛けの座席に座り、ランと合わせた四人ともが、様々な感情を抑え込んで黙りこくっていると、列車にやや慌てた様子のアナウンスが流れた。
『――ヤナギの町の発電施設に異常が発生したため、安全確認ができるまで後続の列車の運転を取りやめることになりました。そのため、大幅にダイヤの乱れが発生する見込みであり、当列車にも影響が出る見込みです』
ご迷惑をおかけします、と。
ざわめきだす客室で、子供たちはただ目を見開いて、茫然と車内のスピーカーを見やった。
同時にようやく悟る。考えてみれば当たり前のことだった。例の裏切り者が『雷』の能力者であった以上、あの風力発電の町での影響は甚大だ。発電施設だけでなく、町中全てを含めた安全確認は必須と言える。あの事務員はそれが分かっていたから、さっさと町から遠ざけたのだろう。
ケイたちがしたことは、ただ裏切り者を炙り出すことにほんの少し関わっただけ。
もう、用はない。足止めされる前に、早く町から出ろと。
政府にとって、自分たちなどただの駒にすぎない。
わかっていたつもりだったのに、まざまざと思い知らされた。それがたまらなくやるせなくて、悔しい。
ケイは頬杖をつくと、唇を噛みしめる代わりに、ただ気だるげに目を細めた。
「……ねむ」
思わず口をついて飛び出す。
決して昨夜眠りが浅かったわけではない。
故郷にいた頃はあまり列車というものに乗ったことがなかったが、ケイはどうやら規則正しい揺れにより心地よさを感じる性質らしい。振動が子守歌のように鼓膜に響いて、脳が活動を停止しようとしているかのようだ。
昨日からずっと列車の中で揺られながら、皆で一晩を過ごした。
あのアナウンスのあと、四人で顔を見合わせた。
それはもうお互いがひどい表情をしていて、もはや皆で笑い合ってしまった。
それはとてもぎこちないものだったけれど、その声で、やっと呑み込むことができた気がする。
スピリストは、政府の戦力だ。
用がないのならば簡単だ、考える必要もないのだ。
そこからはようやく、四人でぽつぽつと話をし始めた。
ランも、ケイたち三人も、お互いのことを深くは話さないけれど、やはり同い年。一度打ち解けてみるととても話しやすかった。気づくと夜が更けて、座席で毛布にくるまり眠りについた。
目を覚ますと朝が来ていて、目的の場所にかなり近づいているようだった。もう間もなく、次の任務で指定された町の最寄り駅に着くだろう。
そう、次の任務は。
「次の任務があるのは、『アベリア』の町っていうんだよね」
荷物にしまい込んでいた携帯電話を取り出して立ち上げると、ナオは高い声をあげる。ケイは少し驚くと、彼女の方へ目を向けた。
メールの内容はすでに昨日のうちに全員で確認済みなので、ナオは画面を展開して投影することはせず、ひとり画面に目を落とす。
表題はTo Mission
今回も調査任務らしい。ランの方も同様のようで、ケイたちの目的地の少し手前の駅で降りることになるらしい。おかげでランとはずっと一緒に過ごすことになってしまったので、ケイとしては面白くない。
そう、面白くないのだ。ただひたすらに。
「ケイ?」
憮然として頬杖をついたまま目を逸らしたケイに、ナオは不思議そうな顔を向ける。
ケイは今、ナオの向かいの座席に座っている。隣でコーヒーを飲みながらくつろいでいたハルトが意地悪そうな笑みを浮かべた。
彼らの前では、ナオとランが肩を並べて座っている。いや、肩を並べてというよりは、肩が触れ合う位置にある。
町の名前を検索すると、写真と地図がヒットする。ランはそれを覗き込むと、僅かに弾んだ声をあげた。
「ああ、そういえば俺その町行ったことあるよ」
「うぇ? そうなの、ランくん」
「ああ、つい先週に。写真見て思い出したよ。任務じゃなくて日が暮れたから一泊するのに寄っただけなんだけどね」
にこやかに言いながら、ランはナオの左横の髪を何度も梳いている。髪が柔らかく動かされるのと、時々かかる彼の吐息が少しくすぐったいが、特に拒絶するほどでもなく、されるがままだった。
余談だが、列車に乗った当初は、ケイはしっかりとナオの隣に座っていたのである。ところが携帯電話に着信が入り、席を外した隙にランはちゃっかり彼女の隣を陣取っていた。間の悪いケイに苦笑……いや、明らかに楽しそうな表情を浮かべるハルトと、してやったりと唇を吊り上げるランの顔が同時に目に入り、非常に不愉快だったが後の祭りである。
さらにその直後、ランはぬかりなく「せっかくだからずっとナオちゃんの隣にいたいな」と約束を取り付け、ナオもあっさりと承諾してしまうという有様だ。
当のナオはそろそろランの過剰なボディタッチにも免疫がついてきたのか、やや肩を強張らせつつも笑って会話ができるようになっていた。彼は確かによく身体や髪に触れてくるが、決してナオに危害を加えたり、無理強いはしない。今もきっと一言「やめて」と言えば、彼はすぐに手を離すだろう。彼と知り合ってから任務としては色々あったけれど、決して悪い人ではないと認識したらしい。
反対にケイは、そんな彼女の態度にも苛立ちを覚えていた。
「……誰に対してもいい顔すんな」
「ケイ? 何か言った?」
「言ってねぇよ」
ぼそりと響いたケイの声を聞き取ると、ナオは目を丸くして聞き返す。
しかしケイは完全にふてくされてしまっていた。
目を閉じて知らん顔を決め込む彼に、ナオは眉尻を下げたものの、またランに声をかけられて視線を外す。ケイの横でハルトが危うくコーヒーを吹き出しそうになっていても、ランの勢いに流されて突っ込み損ねた。
「残念だな、俺もその町で任務があったらきみの力になれたかもしれないのに。あんまり覚えてないんだ」
「ありがと。その気持ちだけで十分だよ」
「いや、不十分だよ。俺の気持ちに応えてもらうにはね」
「ふゅ? どうして?」
「はは、きみは本当に手ごわいよね」
ランは磊落に笑った。
ナオは訝しげに首を傾げる。大きな瞳に、列車内の光が反射されてゆらゆらと揺れている。
唇を尖らせる彼女をまっすぐ見ると、ランは艶のある笑みを浮かべてみせる。
おおよそ十三歳とは思えない表情だった。横目で見ていたケイが思いっきり顔を引き攣らせたが、ナオ以外眼中にないランが気にするはずもなかった。
「手ごわいって? 私がキミに勝てるとは思えないよ。私の力は水ダメだもの」
ほら、と左腕の赤い精霊石を見せながら、ナオは言う。
そういう意味ではないのだが。
別の方向から押してみる必要があると踏んだのか、ランは黙って唇に左手を当てる。彼の左手首の青い石が、ナオのそれとは対比した輝きを放つ。
「ぶっ……ごほげほっ。あはは……げほげほっ」
向かいの席では、これまで静観していたハルトがついにコーヒーで噎せて盛大に咳込んでいた。コーヒーを零さないように必死で体のバランスを取りながら背中を震わせている彼に、ランは面倒臭そうな一瞥をくれる。




