2-27 そして風車はまた回る
「やけにあの子供らにこだわるんだな」
「だってあの子たち、俺の後輩の知り合いだし」
「は?」
さらりと返された言葉に、事務員は目を剥いた。その反応を待ってたと言わんばかりに、少年はいたずらっぽくウィンクをしてみせる。
「あ、黒髪の子は別だけど。任務とはいえやっぱりちょっとは気になるでしょ」
「……そういう先入観を抜きにするために、戦力評価の任務には無関係な人間を選出するはずだが」
「俺が直接知ってるわけじゃないしいいんじゃない。言っとくけど偶然だからね」
「まぁそうだが……」
事務員は深い溜息をつく。目を僅かに伏せて髪を鬱陶しげに払うと、いかにも納得がいかないと言わんばかりの渋面を浮かべている。
少年はにこにこと笑顔を浮かべている。その顔は年相応にも見えるが、どこか大人びた雰囲気も併せ持っているように思えた。
「全く、だから僕はお前ら研究員は信用できないんだ」
「おや、カテゴリーだけで偏見を持たないでほしいね。それに文句ならきみんとこのお姫様に言うんだね。お互いに上司には振り回されてるんだからさ」
「……」
飄々と切り返した少年に、事務員は一瞬動きを止める。
数呼吸分の間押し黙った事務員に無視されたととらえたのか、少年はわざとらしく首を傾げてみせる。
次の言葉を促されている。底の知れない表情だが、少年の狙いを深読みするだけ無駄だ。
余計なことは、口走らない。
事務員は鎖骨あたりに軽く手を添え、自身を示した。
「……スピリストなんてそんなものだ。それより、早くこの姿解いてくれないか」
「いいじゃん可愛いし上出来だろ? せっかくなんだからもう少し楽しんだらどうだい。ああ、もっと若いほうがよかった? 胸も大きい方が?」
「ふざけるな」
事務員のこめかみにかかっている髪がふわりと踊り、露わになる青筋とともに具現化した電流が迸る。青白い光が怒りを隠そうとしない事務員の顔を不気味に照らしたが、対して少年は気にした素振りもなく手をひらつかせてみせた。
カップに残った冷めたコーヒーを一気に飲み干す。かちゃりと音をたて、洒落た皿に揃いのデザインのカップを置いた。
「ごちそうさまでした」
淹れたての香りも、深みのある味わいも、青いアラベスクで彩られたカップも、全てが素晴らしい余韻を残す。この店のコーヒーはぜひまた飲みたいものだ。少年は満足げに頷いた。
事務員をからかうだけからかっておきながら、これで話は終わりだと言外に告げる。テーブルに置いてあった注文伝票を手に取ると、少年はゆっくりと立ち上がって笑顔を見せた。
「じゃ、俺は本当にそろそろ戻らないとね。心配しなくても俺から離れればもとに戻るよ」
「言われずとも」
事務員は本日何度めかも分からない舌打ちをすると、バチバチと音をあげていた電流を瞬時に消し去る。細い左手の黄色い精霊石が輝きを収めると長袖を下ろし、すぐに踵を返して立ち去ろうとする。
「あ、そうだ。ちょっと気になったんだけど」
「なんだ」
送り出しておきながら、少年はまた事務員を呼び止める。友人に気軽に話しかけるような呑気な口調と、突き放すような早口が不釣り合いだ。
事務員はもはや髪を逆立てる勢いで苛立っていたが、律儀に立ち止まって振り返った。淡いピンク色の唇がぴくぴくと痙攣している。
「俺専門じゃないからわかんないんだけど。この件、けっこう後始末大変なんじゃないの?」
「ああ……」
心配していると言わんばかりに眉をハの字に下げる少年だが、目元が楽しげなのはごまかしきれていない。何が言いたいのか瞬時に理解したらしい事務員は、怒りやら目の前の事実やらに顔をひきつらせて固まる。
「ほら、町に張り巡らされた配電線て地中にあるでしょ。変電器とか風車本体とか、発電に関わる全ての施設や機材の安全確認はしないといけないんじゃない。もしかしたら電気エネルギーを盗難しやすいように地下からいじられたりとかしてるかもしれないでしょ。『雷』だけじゃなくて『地』の能力者までいるんだから」
「ぐっ……」
「あと、支部はもちろん、各オフィスとかのシステム諸々の安全確認でしょ。『雷』のきみなら配電の異常を探ることができるかもしれないけど、あの犯人より優秀な『地』の能力者、政府に言って呼んでおいた方がいいと思うけどな」
「……」
「となると、町の電力関係者の協力が不可欠になるわけで。警察への報告も必要だね。町にも必然的に発電関連施設の安全の証明は求められるはず。風力発電の町だけに対象は膨大だ。きみ、しばらく政府に帰れないんじゃ」
「……このくそガキが。だったらお前も手伝え」
「いやだなぁ。それじゃいつまで経ってもその姿のままだよ……――ねぇ、先輩……シュウさん?」
「ぐっ……」
現実を思い知らせるだけ知らせたところでころころと笑うと、早く行けと手で促す。
事務員はひどく恨めしそうに少年を睨みつけるが、実際に山積みの仕事を鑑みるとそれどころではない。そのまま静かに町並みに消えていく事務員の背中を面白そうなものを見る目で見送ると、少年はふと視線を斜め上へ滑らせた。
「――もういいよ」
「はぁーい」
すると、待ってましたと言わんばかりに返事が飛んでくる。
何もない所から突如として上がった声にも、少年は驚いたそぶりを見せない。
「任務おつかれぇー」
「ああ、ありがとう。いやいや、思った以上に寄り道しちゃうことになっちゃったね」
「そぉだねぇ。でもきみぃ、けっこう楽しそうだったよぉ?」
妙に上がり調子の高い声が、小気味よく会話を成立させている。
背中を何かが這いずり回り、ねっとりと絡みつくような不気味さを纏うその声。少年が視線を固定している先で、空気が僅かに歪んで見えた。
少年は何もない空へ向かって、当たり前に話しかける。
まるでたちの悪い幻覚でも見ているかのように、どこか楽しげに鼻を鳴らす。
空色を映す茶の瞳は、彼の思いひとつで何色にでも染まれる。
それこそが、少年に与えられた能力なのだから。
「そうでもないさ。俺も大した収穫はなかったしね。この任務、まだ他にも何か意図がある気がするんだけど。さすがというか彼、口は堅そうだ」
「そぉなのぉ? でもまぁ、それも想定内なんでしょぉ?」
「まぁね」
少年は微笑を貼り付かせたまま、すいと視線を滑らせる。
風車をシンボルとする町並みが視界を彩る。太陽の光を反射して所々でまたたきながら、遠くの方で小さく見える風車がくるくると回っている。
何事もなかったかのように、ただその翼に風を感じて。
無機質で、無感情で、残酷なほど何にも左右されない。
少年にとってはそれゆえに、この景色は美しいと感じる。
少年は踵を返し、テラス席から店内へと戻ると、手早く会計を済ませる。いまだ続く節電により薄暗い店内は少し寂しげだが、あまり気にならなかった。会計をしてくれた少年より少しだけ年上と思われる若いウェイトレスに「ごちそうさま、美味しかったです」と礼を述べると、ウェイトレスは可愛らしい笑顔で見送ってくれた。
飲食店から出て、賑やかな大通りをすたすたと歩いていく。事務員とは逆方面へと。
先刻町に出たという、怪しさ満点の黒づくめの恐喝犯とやらのおかげで一時騒然となっていたが、先の大規模な停電はものの数十分で回復した。と言うより、最近は停電や電気関係の不具合が多すぎたせいもあり、町の人々も慣れてきているようだった。問題は大量に割ってしまった電球の需要が跳ね上がったくらいで、今では支部や警察の働きかけもあり、元の活気を取り戻している。
でも、あのビジュアルはちょっとセンスがなかったかなぁ。
苦笑を浮かべた少年だったが、まぁ目的は達成したからいいだろう。
少年はふっと視線をもたげ、小さな声で呟いた。
「……さて、帰るか。そろそろ列車は乗るの危ういかな。今から停電するだろうし、ちょっと遠いけど港に向かったほうがいいかもね」
「お船お船ぇ。ボクは列車のがよかったんだけどなぁ。景色見るの楽しいもぉん」
「ほら、早く来ないと置いていくよ」
「はぁーい」
少年はまた、何もないところへ向かって声をかけ促す。当たり前のように返ってきた応えを確認すると、口元に笑みを浮かべた。
風が唸る。
僅かに混ざった潮の香りが鼻孔を擽ると、ひときわ強い風が少年の脇を通り抜ける。
この風でまた一度、あの町の風車が回るのかな、と。
もう振り返らない背後の景色を心中でそっと描きながら、少年はそのまま立ち去っていった。




