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2-26 揺らめく姿


 騒がしい町中を、事務員は背筋を伸ばして速足で歩いていく。じっと前を見据えているその顔は眉間に深い皺を刻んでおり、今にも唾棄せんばかりの勢いだ。

 重厚な雰囲気を持つ落ち着いた色の制服も、動きまわることを想定されていないであろう膝丈のタイトなスカートも、普段は軽やかに床を打ち鳴らすヒールのある靴も気にした様子もなく、大股でどかどかと進む。頭頂部でまとめられた髪は振り乱されたまま崩れかけている。

 女性らしい曲線を持つ容姿に似つかわないその素振り。明らかな不機嫌をばらまく彼女に向かって、どこからか軽い声がかけられた。


「やぁ。お疲れ様」

「……お前か」


 彼女は僅かに肩を跳ねさせると足を止める。嫌なものに見つかった、そう言わんばかりの忌々し気な声音だった。

 二十代半ばほどの、普段は落ち着いた雰囲気を持つ女性の顔が思い切り歪められると、それに応える声がすっと冷え込む。


「そんな顔しないでくれるかい。一応俺、きみに協力してる身なんだけど」

「……ちっ。どこにいる、出てこい」


 事務員は舌打ちをひとつ、そう吐き捨てると視線を彷徨わせる。するとやれやれと嘆息する気配と共に、背後で声があがる。


「こっちだよ、さっきからここにいるじゃないか」


 振り返り、目に飛び込んできたのは、一軒の洒落た飲食店だった。一人の少年がテラス席で優雅にコーヒーを堪能しながら、恋人と待ち合わせをしていたかのようににこやかに手を振っている。

 鳶色(とびいろ)の長めの髪は低い位置でひとつに束ねられており、切れ長の目が利発そうな印象を与える。長袖の暗めの色の服を纏った手足はすらりと長い。立った姿勢で対峙したときは事務員と比べてもかなり目線が高かったが、その顔立ちはまだ幼さが残る。おそらく十代半ばから後半といったところか。確か年下だったな? 等と考えるも、少年の本音の読めない微笑はどこか油断ならない雰囲気を持っており、事務員は本能的に警戒心を抱いてしまう。

 少年は向い側の椅子を示して事務員を促してくる。コーヒーをすすめているようだが、事務員はそれを丁重に辞退すると、その場で腕を組んで佇む。

 テラス席と大通りを仕切る、繊細なデザインのフェンス越しに見えた少年の顔が、気にしないと言わんばかりに綻んだ。手にしていたカップを置いて、少年は口を開いた。


「きみほどの人が駆り出された割には、肩すかしの任務で残念だったね。でもまぁよかったじゃないか」

「いいわけあるか。とんだ無駄足だ」


 事務員は溜息をつく。遠い目をした彼女は、諦めたかのように肩を下げる。

 口調には荒さが含まれ、刺々しい。その容姿に似合わないねと、少年は面白そうに茶化したが、余計に事務員を苛立たせただけだった。


「ふざけた遊びはもう終わりだ。()はあの支部の事務員なんかじゃない」

「そりゃそうだけどね。こう、なんていうの。ギャップの問題だよ。せっかく美人なのに、ねぇ」

「うるさい黙れ」

「えー、ひどいなぁ」


 少年はからからと笑う。


「クロもきみと同じ『雷』の能力だったって? あの女の子の『火』と同じ攻撃特化だね。そんな恵まれた力を持ちながら政府を敵に回すなんて」

「だからあんな奴と一緒にするな」

「ところで、きみの報告にあったあれ。あの建物で起きたポルターガイスト? あれも『雷』の力でしょ、どうやってたの?」


 未知へのものに向けて、少年の目が輝く。

 自分以外の能力に対して関心があるのは誰もが同じなのか、それとも彼ら(・・)の性質か。

 事務員は少年から視線を逸らすと、声を落として言った。


「……あれはおそらく、電気エネルギーで満たされた空間で、電流を流した金属だけを磁力で操っていたんだろう。あまり精密なコントロールはできないとは思うが」

「へぇ、そんなことできるんだね。ってことは携帯が使えなかったのも?」

「それはまだ調査中だが、影響の可能性はあるな。あのアジトへの侵入者を追い出すために色々と仕掛けがしてあったんだろう。おかげでかなり魔力を消費したらしいが」

「だろうねー、本来『雷』ってそういう細かいことには向かないし。で、他には?」


 軽い相槌を打ちながら、男性にしては細く長い指でテーブルを小突く。

 黒いシンプルな携帯電話の画面に爪が当たって、コツコツと音が響いた。


「……これがあの建物にあったらしい」


 事務員は懐から紙の束を取り出し、フェンスの隙間から少年に突き出す。

 古びた建物に置き去りにされていた割には綺麗な紙に、真新しい汚れが付着している。先ほど任務を終えた子供たちから回収したものだった。

 コーヒーカップを置き、少年はそれを受け取ると、ぱらぱらと捲って内容を確認する。次いで、目を丸くした。


「ああ、これってこの町の地下配電の資料じゃないの? 驚いた、こんなものどこから手に入れたんだか」

「それはこれから調べる必要がある。これが出てきたとなると、裏で手引きしていた奴がいるはずだからな。というか、これに関してはお前らの……」

「それならやっぱり諸々の事件は彼らの仕業ってことだね。やっぱりよかったじゃないか、一気に解決して」


 事務員の言葉を、少年はわざとらしく遮る。にやりと笑うと、資料を事務員へと返した。

 事務員は不快そうに資料に目を落とす。


「あのチンピラ、『雷』の方だな。おそらく配電システムを利用する形で、色んな機器に侵入していたんだろう。電力の盗難も同じ手口か、単に情報の媒体として一緒に吸い上げたか。電源を使わない機器は少ないし、地下に大規模な風力発電の配電線が張り巡らされているこの町は、確かにアジトにうってつけと言えるな。得たものをどうしようとしていたかは、これから締め上げるが」


 例えば、誰かに売りつけるとか。

 あるいは、誰かに依頼されていたとか。

 手がかりは、少しずつ集めて、()って、結びつけて繋げていく。

 それこそ、まるで電線のように。目指す先へとたどり着くために。幾重にも張り巡らせて。

 少しでも可能性があるのなら、細かな糸でもむしり取って、奪うのだ。

 それこそが、事務員に課せられた大きな任務なのだから。


 少年はコーヒーを一口啜ると、かちゃんと音を立ててカップを置いた。ブラック派である彼の興味ありげな表情が、暗い色のコーヒーに映し出されて揺らめく。


「まぁどうせ、あんな三下からは有力な情報は得られないだろうが一応な。政府に侵入しようとした『雷』の器用さは誉めてやるが」

「なんだ、アテが外れたの?」

「いいや。僕も上も、そう簡単にしっぽを掴めるとは思ってない」

「そりゃまぁそうか。でも、蓋を開けてみたら十分な難易度だったとはいえ、あんな子供をわざわざ利用するなんて。さっさときみが出れば良かったのに俺まで巻き込んでそんな格好して。俺まっすぐ政府に帰るつもりだったのにさぁ」


 言葉とは裏腹に、少年は非難すると言うよりは挑発するような軽い口調を投げかける。

 嫌なところを突いてくる。

 小生意気な年下の少年に向け、事務員は心中で大きな舌打ちをする。しかし今回はそれを押し込め、一度瞑目して心を落ち着けると、静かに言葉を返す。


「好きでしてるわけじゃない。僕には他にも仕事があるし、情報を得るにも指示するにも一番支部の窓口がてっとり早かったんだ。憶測だけで乗り込むほど無鉄砲じゃないからな」

「その情報のために、こないだ『ウグイス』の町まで俺を飛ばしたくせに」

「それは僕が頼んだことじゃないし、元々はあの町で、あの子供らの『戦力の観察と評価をすること』がお前の任務だっただろう。今回のこともそうだ、見届けるだけでいいのに好き勝手ひっかき回してきた奴がよく言う」


 不服そうに目を眇めた少年を、事務員は腕を組んで睨みつける。

 少年は口元に笑みを浮かべると、左の人差指を事務員へ向け、くるくると回してみせる。まるで遠くに見える風車を指で回すかのようにして空を切る。


「時間の効率化さ。いいでしょ別に、俺だって無関係でもないし。ちゃんとあの子たちの戦力は報告したんだから許してよ。まぁ、今回のことで株上げたんじゃないあの子たち。他ならぬきみがそう思ってるだろ? 精神的にはちょっと未熟だけど」

「……ふん」


 一瞬の間をおいて、事務員は僅かに唇を尖らせると目を逸らした。不本意だが肯定の意なのだろう。その表情は拗ねたようにもとれ、少し可愛らしくも思えてしまって、少年は思わず笑ってしまう。


 本来の彼女……いや、『()』を知っているだけに、その差が面白い。


 誤魔化すように、少年は今度は小さく首を傾ける。切れ長の目をさらに三日月のように細めて、聞いてみる。


「それよりももう一人いた黒髪の子だけど、彼、こんな任務怒ってたんじゃない。おかしいね、無駄を嫌うきみがなんであんな面倒なことを?」

「知らんな。駒の駒になることだって任務のひとつだ。文句を言う権利はない」


 ――僕らのようにな。


 自嘲するかのような口調で落とされた事務員の言葉に、少年は苦笑する。

 にべもない返答は、より残酷な響きを孕んでいるかのように思えた。淡々と。じわじわと。それは染み渡る。


「それに。戦力としての評価と一緒に、成果だってちゃんとこの僕が報告するんだ。イレギュラーなケースとはいえ、彼ら双方に正当な任務として報酬は与えるはずだ」


 そうでなければ、政府としても沽券(こけん)に関わる。

 そう吐き捨てた事務員に、少年は納得したのか頷いた。説得力は十分だ。


「そりゃ重畳。そうしてやりなよ」


 ふふ、と笑い声を漏らし、優しげにまなじりを下げた少年に対し、事務員は不快そうに眉を跳ね上げた。


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